―その675―
●歌は、「我がやどに生ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣に摺らゆな」である。
●歌をみていこう。
この歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その342)」で紹介している。
◆吾屋前尓 生土針 従心毛 不思人之 衣尓須良由奈
(作者未詳 巻七 一三三八)
≪書き下し≫我(わ)がやどに生(お)ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣に摺(す)らゆな
(訳)我が家の庭に生えているつちはりよ、お前は、心底お前を思ってくれぬ人の衣(きぬ)に摺られるなよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆ 格助詞 《接続》:体言、活用語の連体形に付く。〔起点〕…から。…以来。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)つちはり【土針】植物の名。メハジキとも、ツクバネソウとも、エンレイソウともいわれる。諸説があるが、メハジキが有力。シソ科の越年草。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
つちはりを自分の娘に喩え、「心ゆも思はぬ人」と結ばれることがないようにと、戒める親の気持ちを歌っている。
「つちはり」を詠んだ歌は、万葉集ではこの1首だけである。
―その676―
●歌は、「芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらずば我れ恋ひめやも」である。
●歌をみていこう。
◆芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安礼古非米夜母
(作者未詳 巻十四 三五〇八)
≪書き下し≫芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なるねつこ草(ぐさ)相見(あひみ)ずあらずば我(あ)れ恋ひめやも
(訳)芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)のねつこ草、あの一緒に寝た子とめぐり会いさえしなかったら、俺はこんなにも恋い焦がれることはなかったはずだ(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)。
(注)ねつこ草:女の譬え。「寝っ子」を懸ける。
(注)ねつこぐさ【ねつこ草】〘名〙: オキナグサ、また、シバクサとされるが未詳。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版 )
(注)あひみる【相見る・逢ひ見る】自動詞:①対面する。②契りを結ぶ。(学研)
「ねつこ草」を詠んだ歌は、万葉集ではこの1首だけである。
―その677―
●歌は、「道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何をか思はむ」である。
●歌をみていこう。
◆道邊之 乎花我下之 思草 今更尓 何物可将念
(作者未詳 巻十 二二七〇)
≪書き下し≫道の辺(へ)の尾花(をばな)が下(した)の思(おも)ひ草(ぐさ)今さらさらに何をか思はむ
(訳)道のほとりに茂る尾花の下蔭の思い草、その草のように、今さらうちしおれて何を一人思いわずらったりするものか。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。下二句の譬喩。
(注)思ひ草:一年生寄生植物。ススキ、チガヤ、サトウキビなどに寄生し、その根元にひっそりと花を咲かせる。
「思ひ草」を詠んだ歌は、万葉集ではこの1首だけである。
すすきの根元の「ナンバンギセル」を見て、首をうなだれているような花つきから「思ひ草」といわれたのだろう。
萩や梅といった名前でなく、「思ひ草」などのように、その知名度が低い場合、どのようにして実際の植物を突き止めていったのであろうかとふと思ってしまう。感覚だけで歌として受け入れているのであろうかとも。
万葉集の口誦から記録へと同様、植物の名の伝播も考えてみれば、大事業みたいなことである。
万葉集4500首の約三分の一にあたる1500首に約160種類におよぶ植物が詠われているのである。秋の萩と春の梅が群を抜いている。植物との出会いと歌の接点を今一度掘り下げていきたいものである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」