万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その638,639)―加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森―万葉集 巻九 一七七二、巻三 三〇三

―その638―

●歌は、「後れ居て我けはや恋ひなむ印南野秋萩見つつ去なむ子ゆゑに」である。

 

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稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(阿倍大夫)

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その625)」で紹介している。

 

◆於久礼居而 吾者哉将戀 稲見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓

               (阿倍大夫 巻九 一七七二)

 

≪書き下し≫後(おく)れ居て我(あ)れはや恋ひなむ印南野(いなみの)の秋萩見つつ去(い)なむ子ゆゑに             

 

(訳)あとに残されて私は恋い焦がれることになるのか。印南野の秋萩を見ながら行ってしまういとしい人ゆえに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌の題詞は、「大神大夫任筑紫國時阿倍大夫作歌一首」<大神大夫(おほみわのまへつきみ)、筑紫(つくし)の国に任(ま)けらゆる時に、阿倍大夫(あへのまへつきみ)が作る歌一首>である。

(注)大神大夫:三輪朝臣高市麻呂

(注)まく【任く】他動詞①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

 

この歌は、一七七一歌を踏まえて、恋人を送る男の立場の歌に仕立て直して、送別の意をたくしたものと思われる。

 

一七七一歌をみてみよう。

 

◆於久礼居而 吾波也将戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者

               (作者未詳 巻九 一七七一)

 

≪書き下し≫後(おく)れ居(ゐ)て我(あ)れはや恋ひむ春霞(はるかすみ)たなびく山を君が越え去(い)なば

 

(訳)あとに残されていて私は恋い焦がれなければならないのでしょうか。春霞のたなびく山を、あなたが越えて行ってしまわれたならば。(同上)

 

題詞は、「大神大夫任長門守時集三輪河邊宴歌二首」<大神大夫(おほみわのまへつきみ)、

長門守(ながとのかみ)に任(ま)けられゆる時に、三輪(みわ)の川辺(かはべ)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌二首>である。

(注)三輪の川:三輪山麓あたりの初瀬川

 

左注は、「右二首古集中出」<右の二首は、古集の中に出(い)づ>である。

(注)古集とは、万葉集の編纂に供された資料であろう。巻一 八九歌の左注にある「古歌集」とは別の歌集と思われる。

 

一七七〇歌もみてみよう。

 

◆三諸乃  神能於婆勢流 泊瀬河 水尾之不断者 吾忘礼米也

               (作者未詳 巻九 一七七〇)

 

≪書き下し≫みもろの神の帯(お)ばせる泊瀬川(はつせがは)水脈(みを)し絶えずは我(われ)れ忘れめや

 

(訳)三輪のみもろの神が帯にしておられる泊瀬川、この川の水の流れが絶えない限り、私がそなたを忘れることがあろうか。(同上)

(注)おばす【帯ばす】分類連語:身にお着けになる。お帯びになる。 ※上代語。

なりたち動詞「おぶ」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」(学研)

(注)みを【水脈・澪】名詞:川や海の中の、帯状に深くなっている部分。水が流れ、舟の通る水路となる。 ※参考⇒みをつくし

(注)めや 分類連語:…だろうか、いや…ではない。 ※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」(学研)

 

 

 

―その639―

●歌は、「名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は」である。

 

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稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その627)」で紹介している。

 

◆名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者

               (柿本人麻呂 巻三 三〇三)

 

≪書き下し≫名ぐはしき印南(いなみ)の海(うみ)の沖つ波千重(ちへ)に隠(かく)りぬ大和島根(やまとしまね)は

 

(訳)名も霊妙な印南の海の沖つ波、その波の千重にたつかなたに隠れてしまった。大和の山なみは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(学研)

(注)印南の海:播磨灘(伊藤脚注)

(注)ちへ【千重】名詞:幾重もの重なり。(学研)

(注)しまね【島根】名詞:島。島国。 ※「ね」はどっしりと動かないものの意の接尾語。(学研)

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首」<柿本朝臣人麻呂、筑紫(つくし)の国に下(くだ)る時に、海道(うみつぢ)にして作る歌二首>である。もう一首の方もブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その627)」で紹介している。

 

 

≪国安天満宮➡稲美中央公園≫

 国安天満宮から車で数分である。

 稲美町HPには、稲美中央公園について「遊具、多目的グラウンド・ゲートボール場・テニスコート・野外活動センターなどがあり、スポーツに家族サービスに休日の一日をゆっくりとお過ごしください。とくに夏のナイターテニスは好評です。 また公園の近くにはいなみ文化の森・万葉の森・郷土資料館・いなみ野体育センターなどがあります。」と記されている。

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「いなみ野 万葉の森」の碑


 この「万葉の森」がお目当てのところである。同HPによると、稲美町は古来より万葉集に詠まれた“いなみ野”に位置し、この万葉の森は当時のいなみ野と瀬戸内海を形造った日本庭園です。園内には約120種類の万葉植物や「いなみ野」が詠まれた歌碑、庭が一望できる「憩いの館」などがあり、心が落ち着きます。」とある。

 

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万葉の森 説明案内板

 園内には、令和と決まる以前から万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文「時に初春の令月にして気淑よく風和ぐ梅は鏡前の粉を開き蘭は珮後の香を薫くんず」の歌碑(陶板プレート)があり、令和元年5月1日に新しい「序文の碑」が設置されたという。

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「梅花の歌」序文の碑

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「令和」の碑



 

 万葉の森では、花のテーマは「蘭」となっていた。印南野の地、稲美中央公園でこのような「序文」がとりあげられていたのも万葉集の何かがあったのかもしれない。

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「梅花の歌」序文「蘭」の陶板

なぜか「大伴池主」となっている。「令和」が横に並んで読めるのも一興。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「稲美町HP」

★「令和ゆかりの地、兵庫にも点在『庭園の歌碑から元号』」2019/4/3 06:40神戸新聞NEXT

 

※20230208 加古郡稲美町に訂正