●歌は、「真木の葉のしなふ背の山しのはずて我が越え行けば木の葉知りけむ」である。
●歌碑(プレート)は、国分寺市西元町 国分寺万葉庭園(104)にある。

20251122撮影
●歌をみていこう。
題詞は、「小田事(おだのつかふ)が背(せ)の山の歌一首」である。
(注)小田事:伝未詳。(伊藤脚注)
◆真木葉乃 之奈布勢能山 之努波受而 吾超去者 木葉知家武
(小田事 巻二 二九一)
≪書き下し≫真木(まき)の葉(は)のしなふ背(せ)の山しのはずて我(わ)が越え行けば木(こ)の葉知りけむ
(訳)杉や檜(ひのき)の枝ぶりよく茂りたわむ背の山であるのに、ゆっくり賞(め)でるゆとりもなく私は越えて行く、しかし、木の葉はこの気持ちがわかってくれたであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
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(注)まき【真木・槙】名詞:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(学研)
(注)しなふ:茂りたわむ。(伊藤脚注)
(注の注)しなふ【撓ふ】自動詞:しなやかにたわむ。美しい曲線を描く。(学研)
(注)しのはずて:しんみり賞美することもできずに。上の「しなふ」と語呂合わせ。(伊藤脚注)
(注の注)しのぶ【偲ぶ】他動詞:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。しのふ(学研) ここでは①の意
(注)木の葉知りけむ:樹木は人の心を知る能力があるとされた。「背」の山を故郷の「妹」を思いながら越えたことへの気遣いか。(伊藤脚注)


「勢能(山)」と「瀬野(町)」が結びついた郷土愛に基づく万葉歌碑の設置場所のように思える。
このような地元の強い思いのある万葉歌碑というと島根県益田市西平原町 鎌手公民館にある「作者未詳 巻十四 三四四四歌」の歌碑を挙げざるをえない。
巻十四 三四四四歌とともに歌碑についてみてみよう。
■巻十四 三四四四歌■
◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢
(作者未詳 巻十四 三四四四)
≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね
(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)茎韮(くくみら):《「くく」は茎、「みら」はニラの意》ニラの花茎が伸びたもの。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注の注)みら(韮):ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。(「植物で見る万葉の世界」 万葉の花の会発行)
(注)なふ 助動詞特殊型《接続》動詞の未然形に付く:〔打消〕…ない。…ぬ。 ◆※上代の東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
上四句と結句が二人の女が唱和する形になっている。韮摘みの歌と思われる。


歌碑の解説案内文には、「鎌手山あたりは人麿の時代には伎波都久の岡と呼ばれていたという。江戸時代の有名な地誌「石見八重葎」には石見名所三十六か所の一つとしてこれを紹介している。・・・石見八重葎及び石見岡名所和歌集成によると、この歌は柿本人麿が作るとなっている。万葉集四千五百首のうち石見で歌われたものの数は少ない。人麿にあやかって、今一首伎波都久の秀歌を世に紹介できることはこの里に住むものの大きい喜びである。」と書かれている。
解説案内文にある「石見八重葎(いわみやえむぐら)」と「石見国名所和歌集成」を調べてみた。
「レファレンス協同データベース」を検索してみると、「石見八重葎(いわみやえむぐら)』の著者である石田初右衛門について知りたい。」という質問に対し、「当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。」とあり、「資料1:解説に『石田初右衛門』あり。1757(宝暦7)-1826(文政9)。石見国那賀郡太田村(現・江津市)の生まれ。春律(はるのり)、江川堂澗水と号す。農事指導者、実学者。農業の傍ら桜谷たたら(製鉄)を経営した。庄屋の時に天明の大飢饉が起こり、難民救済のため開墾、甘藷栽培法を研究し村民を指導するなどした。篤学の人で、実地の見聞や体験に基づき独力で『石見八重葎』や『石見名所図会』など多数の著書を執筆した。井戸平左衛門、青木秀清とともに甘藷の三大恩人とされる。」と書かれている。そして、この「資料1については、『資料1】石見地方未刊資料刊行会 編 , 工通忠孝 , 石見地方未刊資料刊行会 , 工通忠孝. 角さ経石見八重葎. 石見地方未刊資料刊行会, 1999.』」とある。従って、「石見八重葎」に柿本人麿作と書かれておりそれを元に「石見国名所和歌集成」が紹介したともの思われる。
この歌は、巻十四にあり、「東歌」である。巻十四で「柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ」と書かれている歌は、三四一七、三四七〇、三四八一、三四九〇歌の四首である。三四四一歌では、左注に「柿本朝臣人麻呂が歌集には『遠くして』といふ。また『歩め黒駒』といふ。」とあり、「類歌」である旨注釈がついているので、柿本人麻呂歌集にあって巻十四に収録されたのは四首である。
伎波都久」について記載されたものとしては、和田明美氏の「『万葉集』東歌の地名と地名表象」(core.ac.uk)があり、その中で、国推定地としながらも「常陸国」として挙げておられる。
「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場 『柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭』」という同公園管理センター発行のパンフレットに、「益田の人々は歌聖柿本朝臣人麻呂のことを『人丸さん』と呼んでいます。人麻呂が益田(戸田の里)で生まれ育ち、宮廷歌人として和歌の道を極め、晩年益田川の河口に沈む鴨島で亡くなったと伝えられていることから、敬愛を込めて『人丸さん』と呼ばれるようになったと推察されます。(後略)」と書かれているが、いまだにこの地では親しみを込めて接していることがわかる。同パンフレットにもこの「鎌手公民館歌碑」が紹介されている。
地元の強い思いが伝わってくる歌碑であり歌の解説案内文である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)
★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)
★「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學万葉の花の会発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク デジタル大辞泉」
★「『万葉集』東歌の地名と地名表象」 和田明美氏稿 (CORE.AC.UK)
★「レファレンス協同データベース」
★「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場 『柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭』(パンフレット)」 (島根県立万葉公園管理センター発行)
★「鎌手公民館 歌の解説案内板」