万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2224~2226)―名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道―万葉集 巻七 一三六〇、巻二十 四四五六、巻十七 三九二一

―その2224―

●歌は、「息の緒に思へる我れを山ぢさの花にか君がうつろひぬらむ」である。

名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道万葉歌碑(プレート)<作者未詳> 20210216撮影

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆氣緒尓 念有吾乎 山治左能 花尓香公之 移奴良武

         (作者未詳 巻七 一三六〇)

 

≪書き下し≫息(いき)の緒(を)に思へる我(わ)れを山ぢさの花にか君がうつろひぬらむ

 

(訳)命がけで思っている私なのに、あなたはもう、山ぢさのあだ花になってしぼんでしまったのでしょうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いきのを【息の緒】名詞:①命。②息。呼吸。 ⇒ 参考 「を(緒)」は長く続くという意味。多くは「いきのをに」の形で用いられ、「命がけで」「命の綱として」と訳される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)山ぢさの花にか:しぼみやすいえごの木の花のように。(伊藤脚注)

(注)うつろふ【移ろふ】自動詞:①移動する。移り住む。②(色が)あせる。さめる。なくなる。③色づく。紅葉する。④(葉・花などが)散る。⑤心変わりする。心移りする。⑥顔色が変わる。青ざめる。⑦変わってゆく。変わり果てる。衰える。 ※「移る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「移らふ」が変化した語。(学研)

 

「やまぢさ」を詠んだ歌は、万葉集では二首収録されている。一方「ちさ」は、大伴家持の「教喩史生尾張少咋歌」<史生(ししやう)尾張少咋(をはりのをくひ)を教え喩(さと)す歌>」に見られる。

 

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 一三六〇歌については、「やまぢさ」のもう一首ならびに「ちさ」を詠んだ歌とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1081)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その2225―

●歌は、「ますらをと思へるものを大刀佩きて可爾波の田居に芹ぞ摘みける」である。

名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道万葉歌碑(プレート)<薩妙観命婦> 20210216撮影

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「薩妙觀命婦報贈歌一首」<薩妙觀命婦が報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆麻須良乎等 於毛敝流母能乎 多知波吉弖 可尓波乃多為尓 世理曽都美家流

          (薩妙観命婦 巻二十 四四五六)

 

 

≪書き下し≫ますらをと思へるものを大刀(たち)佩(は)きて可爾波(かには)の田居(たゐ)に芹ぞ摘みける

 

(訳)立派なお役人と思い込んでおりましたのに、何とまあ、太刀を腰に佩いたまま、蟹のように這いつくばって、可爾波(かには)の田んぼで芹なんぞをお摘みになっていたとは。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ますらを【益荒男・丈夫】名詞:心身ともに人並みすぐれた強い男子。りっぱな男子。[反対語] 手弱女(たわやめ)・(たをやめ)。 ⇒ 参考 上代では、武人や役人をさして用いることが多い。後には、単に「男」の意で用いる。(学研)

(注)可爾波(かには):京都府木津川市山城町綺田の地。「可爾」に「蟹」を懸け、這いつくばっての意をこめるか。(伊藤脚注)。

(注)芹ぞ摘みける:芹なんぞをお摘みになったとは。感謝の気持ちを諧謔に託している。(伊藤脚注)。

(注の注)かいぎゃく【諧謔】:こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア。「諧謔を弄ろうする」(コトバンク デジタル大辞泉

 

 左注は、「右二首左大臣讀之云尓 左大臣葛城王 後賜橘姓也」<右二首は、左大臣読みてしか云ふ 左大臣はこれ葛城王にして、 後に橘の姓を賜はる>である。

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2092)」で紹介している。

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―その2226―

●歌は、「かきつはた衣の摺り付けますらをの着襲ひ猟する月は来にけり」である。

名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道万葉歌碑(プレート)<大伴家持> 20210216撮影

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比獦須流 月者伎尓家里

       (大伴家持 巻十七 三九二一)

 

≪書き下し≫かきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付けますらをの着(き)襲(そ)ひ猟(かり)する月は来にけり

 

(訳)杜若(かきつばた)、その花を着物に摺り付け染め、ますらおたちが着飾って薬猟(くすりがり)をする月は、今ここにやってきた。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)きそふ【着襲ふ】他動詞:衣服を重ねて着る。(学研)

 

 題詞は、「十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首」<十六年の四月の五日に、独り平城(なら)の故宅(こたく)に居(を)りて作る歌六首>である。

(注)独り:内舎人の仲間と離れて独り。(伊藤脚注)

(注)故宅:奈良の佐保の邸。当時、平城京は古都であった。(伊藤脚注)

 

左注は、「右六首天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作」<右の六首の歌は、天平十六年の四月の五日に、独り平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)に居(を)りて、大伴宿禰家持作る。>である。

 

 題詞、左注の「独り平城(なら)に居り」、「平城(なら)故郷(こきゃう)の旧宅(きうたく)」から、安積親王の喪に服していたと考えられるのである。家持は、天平十年から十六年、内舎人(うどねり)であった。

(注)天平十六年:744年

(注)うどねり【内舎人】名詞:律令制で、「中務省(なかつかさしやう)」に属し、帯刀して、内裏(だいり)の警護・雑役、行幸の警護にあたる職。また、その人。「うとねり」とも。 ※「うちとねり」の変化した語。(学研)

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1886)」で紹介している。

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 獨居平城故宅作歌六首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その339)」で紹介している。

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安積親王については、「奈良時代親王聖武天皇と夫人県犬養広刀自の皇子。天平16(744)年閏1月、聖武天皇の難波行幸に従ったが、脚気のために桜井頓宮(東大阪市六万寺町付近)から恭仁京に引き返し2日後に死去。『万葉集』に大伴家持の挽歌を収める。天平1(729)年藤原氏長屋王の変を起こして不比等の娘である光明子を皇后に立てることを強行したのは、神亀5(728)年に、その前年光明子から生まれたばかりの皇太子が亡くなる一方、安積親王が生まれたためといわれる。天平10年阿倍内親王(孝謙天皇)が立太子していたが、安積親王はたったひとりの皇子であり、最も有力な皇位継承者だったので、藤原仲麻呂により暗殺されたとする説がある。」(コトバンク 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版)

(注)藤原仲麻呂は、恭仁京の留守官であった。(別冊國文學万葉集必携」稲岡耕二編 學燈社

 

藤井一二氏は、その著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書)のなかで、「安積親王の亡き後、大伴家持の動静を伝える歌や記録は伝えられていない。内舎人として難波・恭仁・紫香楽のどの宮で職務についたのかわからないが、おそらく家持は平城の旧宅で一年におよぶ服喪の期間を過ごしていた可能性がつよいと思われる。」と書かれている。

 

藤原仲麻呂がまき散らす歴史の火の粉は家持にも降りかかってくるのである。

 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「別冊國文學万葉集必携』」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 朝日日本歴史人物事典」

★「コトバンク デジタル大辞泉