●歌は、「梓弓引き豊国の鏡山見ず久ならば恋しけむかも」である。
●歌碑は、豊前国府跡公園万葉歌の森(4)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「▼作村主益人従豊前國上京時作歌一首」<▼作村主益人(くらつくりのすぐりますひと)、豊前(とよのみちのくち)の国より京へ上(のぼ)る時に作る歌一首>である
※ ▼は「木(へん)+安」で「くら」である。
(注)▼作村主益人:伝未詳
◆梓弓 引豊國之 鏡山 不見久有者 戀敷牟鴨
(▼作村主益人 巻三 三一一)
≪書き下し≫梓弓(あづさゆみ)引き豊国(とよくに)の鏡山(かがみやま)見ず久(ひさ)ならば恋(こひ)しけむかも
(訳)梓弓を引っ張って響(とよ)もすという豊の国、住み馴れた豊国の鏡山、この山を久しく見ないようになったら、恋しく思われてならないだろうな。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)あづさゆみ【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)「梓弓引き」は、序。「豊國」を起こす。引っぱって響(とよ)もすの意。
(注)鏡山:福岡県田川郡香春(かわら)の町の山
「鏡山」について知りたくて検索してみると、田川広域観光協会HPの「たがわネット 田川まるごと博物館」のブログ「香春町の鏡山神社と万葉歌碑巡り」に、鏡山神社の由来や、「官道が通り、宿駅であったため、人や文化の交流が盛んで」あったと記されている。さらに、近隣の万葉歌碑七基についても書かれていた。
豊前国府跡公園から車で20分の所である。ノーマークであった。
機会があれば是非訪れてみたいと思った。
ここに、三一一歌以外で、紹介されていた歌についてみてみよう。
題詞は、「河内王葬豊前國鏡山之時手持女王作歌三首」<河内王(かふちのおほきみ)を豊前(とよのみちのくち)の国の鏡(かがみ)の山に葬(はふ)る時に、手持女王(たもちのおほきみ)が作る歌三首>である。
(注)河内王:持統三年(689年)大宰帥。同八年四月没。
(注)手持女王:伝未詳。河内王の妻か。
◆王之 親魄相哉 豊國乃 鏡山乎 宮登定流
(手持女王 巻一 四一七)
≪書き下し≫大君(おほきみ)の和魂(にきたま)あへや豊国(とよくに)の鏡(かがみ)の山を宮と定むる
(訳)わが大君の御心にかなったというのであろうか。そんなはずもないのに、わが君は、
都を離れた豊国の鏡の山なんぞを常宮(とこみや)とお定めになった。(同上)
(注)にきたま=にきみたま【和御魂】名詞:柔和な徳を備えた神霊。「にきたま」とも。※「にき」は接頭語。中古以降は「にぎみたま」とも。[反対語] 荒御魂(あらみたま)。(学研)
(注)や 係助詞:《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 <文末にある場合。>①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは③の意
◆豊國乃 鏡山之 石戸立 隠尓計良思 雖待不来座
(手持女王 巻一 四一八)
≪書き下し≫豊国の鏡の山の岩戸(いはと)立て隠(こも)りにけらし待てど来(き)まさぬ
(訳)御心にかなうはずもない豊国の鏡の山の常宮(とこみや)、その石戸を閉ざして籠(こも)ってしまわれたらしい。いくらお待ちしてもおいでになっては下さらない。(同上)
◆石戸破 手力毛欲得 手弱寸 女有者 為便乃不知苦
(手持女王 巻一 四一九)
≪書き下し≫岩戸破(わ)る手力(たぢから)もがも手(た)弱(よわ)き女(をみな)にしあればすべの知らなく
(訳)岩戸をうちくだく力がこの手にあったらな。ああ、か弱い女の身であるので、どうしてよいか手だてがわからない。(同上)
この三首は、「鏡」「岩戸」「手力(手力男神)」の組み合わせによって天岩屋戸神話を踏まえた歌になっている。
もう一つの歌群をみてみよう。
一七六七から一七六九歌の題詞は、「抜氣大首任筑紫時娶豊前國娘子紐兒作歌三首」<抜気大首(ぬきのけだのおびと)、筑紫(つくし)に任(ま)けらゆる時に、豊前(とよのみちのくち)の国の娘子(をちめ)紐児(ひものこ)を娶(めと)りて作る歌三首>である。
(注)抜気大首:伝未詳
(注)紐児:遊行女婦の名か。
◆豊國乃 加波流波吾宅 紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾家
(抜気大首 巻九 一七六七)
≪書き下し≫豊国(とよくに)の香春(かはる)は我家(わぎへ)紐児(ひものこ)にいつがり居(を)れば香春は我家
(訳)豊の国の香春は我が家だ。かわいい紐児にいつもくっついていられるのだもの。香春は我が家だ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)いつがる【い繫る】自動詞:つながる。自然につながり合う。 ※上代語。「い」は接頭語。(学研)
旅先の地を家(家郷)ということで愛情を誇張している。しかも二度繰り返している。書き手も「加波流波吾宅」を二度目は「革流波吾家」と変はる表記をしており遊び心が感じられる。
◆石上 振乃早田乃 穂尓波不出 心中尓 戀流比日
(抜気大首 巻九 一七六八)
≪書き下し≫石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)の穂(ほ)には出(い)でず心のうちに恋ふるこのころ
(訳)石上の布留の早稲田の稲が他にさきがけて穂を出す、そんなように軽々しく表に出さないようにして、心の中で恋い焦がれているこのごろだ。(同上)
(注)いそのかみ【石の上】分類枕詞:今の奈良県天理市石上付近。ここに布留(ふる)の地が属して「石の上布留」と並べて呼ばれたことから、布留と同音の「古(ふ)る」「降る」などにかかる。「いそのかみ古き都」(学研)
(注)上二句は序。「穂に出づ」を越す。
◆如是耳志 戀思度者 霊剋 命毛吾波 惜雲奈師
(抜気大首 巻九 一七六九)
≪書き下し≫かくのみし恋ひしわたればたまきはる命(いのち)も我(わ)れは惜しけくもなし
(訳)こんなにただひたすらに恋い焦がれてばかりいるのでは、このたいせつな命あえ、私は惜しいとは思わない。(同上)
奈良県天理市の「石上の布留の」と詠んだ歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その51,52,53)で紹介している。(いずれも初めの頃のブログですので、毎朝のサンドイッチとデザートの写真が載っていますが、ご容赦ください。)
➡その51
万葉の時代も今も「(待ち望んで)今か今かのときめきは「高高なり」である(万葉歌碑を訪ねて―その51―) - 万葉集の歌碑めぐり
➡その52
万葉集の「作者未詳歌」は約半数を占める(万葉歌碑を訪ねて―その52―) - 万葉集の歌碑めぐり
➡その54
枕詞「石上」の歌いだしの歌は8首あるが、内1首は女性問題で流された乙麻呂を詠った歌である(万葉歌碑を訪ねて―その54―) - 万葉集の歌碑めぐり
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「たがわネット 田川まるごと博物館」 (田川広域観光協会HP)