●歌は、「石上布留の早稲田を秀でずとも縄だに延へよ守りつつ居らむ」 である。
前栽(せんざい)のいわれは、天理市HPによると、「中世、東大寺領の千代庄であった。千代(せんだい)を千載と書くようになり、三転して前栽となったので、『せんだい』から『せんざい』に変わった。代や田井は台地という説もある」そうである。
●歌をみていこう。
◆石上 振之早田乎 雖不秀 縄谷延与 守乍将居
(作者未詳 巻七 一三五三)
≪書き下し≫石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)を秀(ひ)でずとも縄(なは)だに延(は)へよ守(も)りつつ居(お)らむ
(訳)石上の布留の早稲を植えた田、この田にはまだ穂が出揃っていなくても、せめて標縄(しめなわ)だけは張っておいてください。私がよく見守っていますから。(伊藤 宏著「万葉集 二 角川ソフィア文庫より」
(注)早稲田:年ごろになる前の女の譬え
(注)ひづ【秀づ】自動詞:①穂が出る。②他よりまさる。ひいでる。 ※「ほ(秀)い(出)づ」→「ひいづ」→「ひづ」と変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
似たような、次の歌がある。
◆足曳之(あしひきの) 山田佃子(やまだつくるこ) 不秀友(ひでずとも) 縄谷延与(なはだにはへよ) 守登知金(もるとしろがね)
(作者未詳 巻十 二二一九)
(訳)山田を作っている若者よ、まだ穂は出揃わなくても、せめて標縄(しめなわ)だけでも張っておきなさい。ちゃんと番をしているとわかるように。(伊藤 宏著「満床万葉集 二 角川ソフィア文庫より」
●作者未詳歌について
今日取り上げた似たような歌はともに「作者未詳歌」である。
作者未詳歌は万葉集全体の約半数弱という。万葉集巻七、十,十一~十四の六巻が作者未詳歌巻といわれる。この六巻分だけで1807首が作者未詳歌である。
なぜこれほどまでに作者未詳歌が多いかについては、遠藤 宏稿「東歌・防人歌・作者未詳歌―万葉和歌史」(別冊國文學 万葉集必携<學燈社>)に次のような記述があるので引用させていただく。
「『日本古典文学大系本万葉集三』に説くところによってかなり解明することができる。即ち、(中略)巻十~十二は、奈良朝(天平期)の人々が作歌の参考のために作ったもの、またはその手控えをもとにしたものであり、それゆえ、作者名や作歌事情は不要であって逆に部立・分類が重視される。そして、歌の質がある程度平均的なのもそのゆえであると。」し、「主として編纂の在り様から追っていった作者未詳歌の意味なのである」さらに、「贈答・宴席あるいは旅中など、時と場合に応じた歌が求められ、作者未詳歌巻はそのための資料として有効であった。それゆえ、作者未詳歌巻の歌は型にはまったものが集められ、質的にも平均的なものとならざるをえないのである。」
お手本がある以上、似たような歌が存在するのも否めない。いわゆる「類歌」である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著
(東京大学出版会)
★「天理市HP」
★「weblio古語辞書」