万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2531)―

●歌は、「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ」である。

茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(紀女郎) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

 一四六〇、一四六一歌の題詞は、「紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首」<紀女郎(きのいらつめ)大伴宿禰家持に贈る歌二首>である。

 

◆晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代

        (紀女郎 巻八 一四六一)

 

≪書き下し≫昼は咲き夜(よる)は恋ひ寝(ね)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ

 

(訳)昼間は花開き、夜は葉を閉じ人に焦がれてねむるという、ねむの花ですよ。そんな花を主人の私だけが見てよいものか。そなたもご覧。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)きみ【君・公】名詞:①天皇。帝(みかど)。②主君。主人。③お方。▽貴人を敬っていう語。④君。▽人名・官名などの下に付いて、「…の君」の形で、その人に敬意を表す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ここでは、②の意

(注)わけ【戯奴】代名詞:①私め。▽自称の人称代名詞。卑下の意を表す。②おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者にいう。(学研)       

 

 

 

 

紀女郎(きのいらつめ)については、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」に「生没年未詳。『万葉集』末期の歌人。別名紀小鹿(おしか)。紀鹿人(かひと)の娘で、安貴王(あきのおおきみ)の妻。『万葉集』に12首の短歌が所収。このうち5首が大伴家持(おおとものやかもち)への贈歌。いずれも友交関係による社交的な歌であるが、当時の一般的傾向として恋歌的な、あるいは諧謔(かいぎゃく)的なことば遣いが持ち込まれる。『戯奴(わけ)がためわが手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)そ召して肥えませ』など、当時の新風の一典型といえる。事実とは異なる恋や、言語遊戯的な諧謔を通して、和歌が社交の重要な具となりつつあった。また一方では、月下の梅への観照による新しい風流の歌をも詠んでいる。」と書かれている。

 

 

 大伴家持とのやりとりをみてみよう。

 

■一四六〇、一四六一歌(紀女郎)・一四六二、一四六三歌(家持)■

題詞は、「紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首」<紀女郎(きのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌二首>である。

 

◆戯奴<變云和氣>之為 吾手母須麻尓 春野尓 抜流茅花曽 御食而肥座

         (紀女郎 巻八 一四六〇)

 

≪書き下し≫戯奴(わけ)<変して「わけ」といふ>がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)ぞ食(め)して肥(こ)えませ

 

(訳)そなたのために、私が手も休めずに春の野で抜き採った茅花(つばな)ですよ、これは。食(め)し上がってお太りなさいませよ。(同上)

(注)戯奴(わけ):「若」と同根。下僕などを呼ぶ語。ここは戯れて言ったもの。(伊藤脚注)

(注の注)わけ【戯奴】代名詞:①私め。▽自称の人称代名詞。卑下の意を表す。②おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者にいう。(学研)ここでは②の意

(注)変して:訓じて、の意。(伊藤脚注)

(注)手もすまに:我が手も休めずに。「すま」は休む意か。ニは打消し(伊藤脚注)

(注の注)てもすまに【手もすまに】分類連語:手を働かせて。一生懸命になって。(学研)

 

 

◆晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代

        (紀女郎 巻八 一四六一)

 

≪書き下し≫昼は咲き夜(よる)は恋ひ寝(ね)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ

 

(訳)昼間は花開き、夜は葉を閉じ人に焦がれてねむるという、ねむの花ですよ。そんな花を主人の私だけが見てよいものか。そなたもご覧。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 左注は、「右は、合歓(ねぶ)の花と茅花(つばな)を折り攀(よ)ぢて贈る」である。

 

 

 題詞は、「大伴家持、贈り和(こた)ふる歌二首」である。

 

◆吾君尓 戯奴者戀良思 給有 茅花乎雖喫 弥痩尓夜須

        (大伴家持 巻八 一四六二)

 

≪書き下し≫我(あ)が君に戯奴(わけ)は恋ふらし賜(たば)りたる茅花(つばな)を食(は)めどいや痩せに痩す

 

(訳)ご主人様に、この私めは恋い焦がれているようでございます。頂戴した茅花をいくら食べても、ますます痩せるばかりです。(同上)

(注)我が君に:我が主君に。(伊藤脚注)

(注)痩せに痩す:恋のあまりに痩せる。戯れて逆襲したもの。(伊藤脚注)

 

 

 

◆吾妹子之 形見乃合歓木者 花耳尓 咲而蓋 實尓不成鴨

        (大伴家持 巻八 一四六三)

 

≪書き下し≫吾妹子(わぎもこ)が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きてけだしく実(み)にならじかも

 

(訳)あなたが下さった形見のねむは、花だけ咲いて、たぶん実を結ばないのではありますまいか。(同上)

(注)けだし【蓋し】副詞①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。②〔下に仮定の表現を伴って〕もしかして。万一。③おおかた。多分。大体。(学研)

(注)実にならじ:交合が実らないことを寓する。(伊藤脚注)

 

 一四六〇から一四六三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その487)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■七六二、七六三歌(紀女郎)・七六四歌(家持)■

題詞は、「紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首  女郎名曰小鹿也」<紀女郎(きのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌二首  女郎、名を小鹿といふ>である。

 

◆神左夫跡 不欲者不有 八多也八多 如是為而後二 佐夫之家牟可聞

       (紀女郎 巻四 七六二)

 

≪書き下し≫神(かむ)さぶといなにはあらずはたやはたかくして後(のち)に寂(さぶ)しけむかも

 

(訳)もう老いぼれだから恋どころではないと拒(こば)むわけではないのです。そうはいうものの、こうしてお断りしたあとでさびしい気持ちになるのかもしれません。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)神さぶといなにはあらず:年老いているからいやだというわけではない。以下三首、「老いらくの恋」の遊び。(伊藤脚注)

(注)はたやはた:その反面。そうはいうものの。(伊藤脚注)

(注の注)はたやはた【将や将】分類連語:ひょっとして。もしや万一。 ※副詞「はたや」に副詞「はた」を続け、さらに強調する語。(学研)

 

 

 

◆玉緒乎 沫緒二搓而 結有者 在手後二毛 不相在目八方

        (紀女郎 巻四 七六三)

 

≪書き下し≫玉の緒(を)を沫緒(あわを)に搓(よ)りて結(むす)べらばありて後にも逢はずあらめやも

 

(訳)互いの玉の緒の命を、沫緒(あわお)のようにやわらかく搓(よ)り合わせて結んでおいたならば、生き長らえて、のちにでもお逢いできることがあるかもしれません。(同上)

(注)たまのを【玉の緒】名詞:①美しい宝玉を貫き通すひも。②少し。しばらく。短いことのたとえ。③命。(学研)ここでは③の意

(注)沫緒:糸を緩く搓り合わせた緒。以下二句、互いの心を緩く結ぶ意。(伊藤脚注)

(注の注)あわを【沫緒】〘名〙: 緒のより方の名。具体的なより方については諸説ある。あわ。 [補注]糸のより方をいうのか、紐の結び方をいうのか、さらにその状態が柔らかいのか強いのか、さまざまに説かれるが、未詳。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ありて後にも逢はずあらめやも:生き長らえて後に逢わないことがありましょうか。今逢うことを言外に断ったもの。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1114)」で、万葉集に収録されている紀女郎の十二首とともに紹介している。

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題詞は、「大伴宿祢家持和歌一首」<大伴宿禰家持が和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆百年尓 老舌出而 与余牟友 吾者不猒 戀者益友

       (大伴家持 巻四 七六四)

 

≪書き下し≫百年(ももとせ)に老舌(おいした)出(い)でてよよむとも我(あ)れはいとはじ恋ひは増(ま)すとも

 

(訳)あなた様が百歳になって老舌をのぞかせてよぼよぼになっても、私はけっしていやがったり致しません。恋しさはますます募ることはあっても。(同上)

(注)よよむ[動]:年老いて腰が曲がる。よぼよぼになる。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 

■七七五歌(家持・)七七六歌(紀女郎)■

題詞は、「大伴宿祢家持贈紀女郎歌一首」<大伴宿禰家持、紀女郎(きのいらつめ)に贈る歌一首>である。

 

◆鶉鳴 故郷従 念友 何如裳妹尓 相縁毛無寸

       (大伴家持 巻四 七七五)

 

≪書き下し≫鶉(うづら)鳴く古(ふ)りにし里ゆ思へども何(なに)ぞも妹(いも)に逢ふよしもなき

 

(訳)鶉の鳴く古びた里にいた頃からずっと思い続けてきたのに、どうしてあなたにお逢いするきっかけもないのでしょう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)鶉鳴く:「古る」の枕詞。鶉は荒涼たる草深い野に鳴く。(伊藤脚注)

(注の注)うずらなく【鶉鳴く】:[枕]ウズラは草深い古びた所で鳴くところから「古(ふ)る」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)古りにし里ゆ:古さびた奈良の里にいた時代からずっと。(伊藤脚注)

(注)にし 分類連語:…てしまった。(学研)

(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

 

 

 

題詞は、「紀女郎報贈家持歌一首」<紀女郎、家持に報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

◆事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手

        (紀女郎 巻四 七七六)

 

≪書き下し≫言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか小山田(をだやま)の苗代水(なはしろみず)の中淀にして

 

(訳)先に言い寄ったのはどこのどなただったのかしら。山あいの苗代の水が淀んでいるように、途中でとだえたりして。(同上)

(注)小山田の以下二句序。「中よど」を起す。(伊藤脚注)

(注)中よど:流れが中途で止まること。妻問いが絶えることの譬え。(伊藤脚注)

(注の注)よど【淀・澱】名詞:淀(よど)み。川などの流れが滞ること。また、その場所。(学研)

 

 「言出(ことだ)しは誰(た)が言(こと)にあるか」と、大上段から切り返しているところは、紀女郎の勝気な性格が出ているするどい歌である。

また、女郎の名は、「小鹿」というから、疑問の助詞の「か」に「鹿」をあてたのは、書き手の戯れであろうか。

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その945)」で紹介している。

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「小山田の苗代水の中淀」について、上野 誠氏は、その著「万葉集の心を読む」(角川ソフィア文庫)の中で、「『山田の苗代は風邪ひかすな』・・・これは山の水は冷たいので苗の発育には悪く、水を温めることが必要だという・・・言葉なのです。・・・わざと水路を長くして、水が流れる間に温まるのを待つ・・・ところが、水路を長くすると、『よど』ができやすく・・・水が滞って苗代が干上がってしまう。・・・だから『山田の苗代は風邪ひか』さないように水はよく温めるが、水が滞らないように見張る必要もある、・・・おそらく当時においても、そういった知識が多くの人に共有されていたのではないでしょうか。だからこそ『小山田の』という言葉が何のことわりもなく冠されているのでしょう。そして、それは家持の『鶉鳴く 故りにし郷』に呼応した切り返しとして考えられた表現なのでした。・・・紀女郎の巧みな序は、笑いによって相手を揶揄しながら、そこに逃げ道をも作るものでした。」と書かれている。「『ああいえば、こういう』という男女間のやり取りは、・・・一つの文芸の伝統であり、歌垣の文化の流れを引き継ぐものである、と考えることもできます。」とも指摘されている。

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集の心を読む」 上野 誠 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク デジタル大辞泉