万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2532)」―

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(忌部首黒麻呂) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

        (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 このような「物名歌」における物の名に関して、清水克彦氏は、その著「萬葉論集」(桜楓社)の中で、「いずれも、歌語とは程遠い現実世界の言葉である。すなわち、物名歌は、歌の中に、歌語にあらざる現実世界の言葉を持ち込むことによって成立する歌であり、・・・物の名は、それが歌語から遠ければ遠い程、歓迎されたと思われる。この事は、巻十六の物名歌の中に、日常の会話においてさえ忌まれようとする『屎』というような言葉が、長忌寸意吉麻呂の作(三八二八)、忌部首の作(三八三二)、高宮王の作(三八五五)と、作者を異にする三首もの作品に、物の名として指定されている事によっても知り得よう。このような、いわばもっとも非歌語的な言葉を歌の中に持ち込む事は、決して容易な事柄ではないと思われる。ところが、さらに加えて、巻十六の物名歌は、この巻の言葉で言えば、その多くが『詠数種物歌』(三八三二、三八三三、三八五五―六の各題詞)である。すなわち、物の名は一つではないのであり、しかも物名歌はすべて短歌だから、限られた三十一文字の中に、与えられた数種の物の名を詠み込まねばならない。作歌の困難は一層加わるものと考えられる。しかし、だからこそ、この条件を充たし得た物名歌は高次言語なのであり、日常言語に対して、その卓越性を主張しうるものである。・・・幾つかの困難な条件を充たして、これを意味の通った三十一文字にまとめあげたという事は、それ自身が芸であり、それ自身が聴衆の賞讃を博しうる条件であったと思われる。この巻の物名歌は、日常言語性をなお濃厚に残しつつも、同時に、この意味で日常言語を越えていたのである。」と書かれている。

 

三八二八歌と三八五五歌をみてみよう。

 

■三八二八歌■

 題詞は、「香(かう)、塔(たふ)、厠(かはや)、屎(くそ)、鮒(ふな)、奴(やつこ)を詠む歌」である。

(注)厠:便所。川隈を利用した。(伊藤脚注)

(注の注)かはや【厠】名詞:便所。 ※川の上につき出して作った「川屋」の意とも、母屋のそばに建てた「側屋(かはや)」の意ともいう。(学研)

 

◆香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴

       (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二八)

 

≪書き下し≫香(かう)塗(ぬ)れる塔(たふ)にな寄りそ川隈(かはくま)の屎鮒(くそぶな)食(は)めるいたき女(め)奴(やつこ)

 

(訳)香を塗りこめた清らかな塔に近寄ってほしくないな。川の隅に集まる屎鮒(くそぶな)など食って、ひどく臭くてきたない女奴よ。(同上)

(注)香:仏前で焚く香。(伊藤脚注)

(注)かはくま【川隈】名詞:川の流れが折れ曲っている所。「かはぐま」とも。(学研)

(注)屎鮒:淀みで流れ来る屎を餌としている鮒のことか。

(注)いたき女奴:ひどくにおう女奴は。(伊藤脚注)

(注の注)いたし【痛し・甚し】形容詞:①痛い。▽肉体的に。②苦痛だ。痛い。つらい。▽精神的に。③甚だしい。ひどい。④すばらしい。感にたえない。⑤見ていられない。情けない。(学研)ここでは、⑤の意

(注の注)めやつこ【女奴】:女の奴隷。また、女をののしっていう語。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 三八三二、三八二八歌については、万葉時代のトイレとともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1227)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■三八五五歌■

題詞は、「高宮王詠數首物歌二首」<高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首>である。

 

◆           ▼莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為

       (高宮王 巻十六 三八五五)

   ▼は「草かんむりに『皂』である。「▼+莢」で「ざうけふ」と読む。

 

≪書き下し≫ざう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやつか)へせむ

 

(訳)さいかちの木にいたずらに延いまつわるへくそかずら、そのかずらさながらの、こんなつまらぬ身ながらも、絶えることなくいついつまでも宮仕えしたいもの。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)おほとる 自動詞:乱れ広がる。(学研)

(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起こす。自らを「へくそかずら」に喩えている。

(注)ざう莢(けふ)>さいかち【皂莢】:マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸(せっけん)の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)へくそかづら〕【屁糞葛】:アカネ科の蔓性(つるせい)の多年草。草やぶに生え、全体に悪臭がある。葉は卵形で先がとがり、対生。夏、筒状で先が5裂した花をつけ、灰白色で内側が赤紫色をしている。実は丸く、黄褐色。やいとばな。さおとめばな。くそかずら。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌については、三八五六歌とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2372)」で紹介している。

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 「物の名」から「物名歌」を改めて見直してみるとこれまでと違う面白みに気づかされたと同時に万葉集のさらなる懐の深さに驚かされたのである。おそるべし萬葉集・・・。

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉論集」 清水克彦氏 著 (桜楓社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉