万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2360)―

■ちがや■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「今朝鳴きて行きし雁が音寒みかもこの野の浅茅色づきにける」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(安倍虫麻呂) 20230926撮影



●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

一五七四~一五八〇歌の題詞は、「右大臣橘家宴歌七首」<右大臣橘家にして宴(うたげ)する歌七首>である。

(注)右大臣橘家:右大臣橘諸兄の家。(伊藤脚注)

 

 順番にみてみよう。

 

◆雲上尓 鳴奈流鴈之 雖遠 君将相跡 手廻来津

        (高橋安麻呂 巻八 一五七四)

 

≪書き下し≫雲の上(うへ)に鳴くなる雁(かり)の遠けども君に逢はむとた廻(もとほ)り来(き)つ

 

(訳)雲の上で鳴いている雁のように、遠い所ではありますが、あなた様にお目にかかろうと、めぐりめぐりしてやって参りました。(同上)

(注)上二句は序。「遠けども」を起す。(伊藤脚注)

(注)た廻(もとほ)り来(き)つ:遠路はるばるやって来た。宴は、奈良京から離れた井手(京都府綴喜郡)の別邸で行われた。(伊藤脚注)

(注の注)たもとほる【徘徊る】自動詞:行ったり来たりする。歩き回る。 ※「た」は接頭語。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆雲上尓 鳴都流鴈乃 寒苗 芽子乃下葉者 黄變可毛

       (高橋安麻呂 巻八 一五七五)

 

≪書き下し≫雲の上(うへ)に鳴きつる雁の寒きなへ萩の下葉(したば)はもみちぬるかも

 

(訳)雲の上で鳴いた雁の声が寒々と感じられる折も折、お屋敷一帯の萩の下葉はすっかり色づきましたね。何と見事なことでしょう。(同上)

(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)

 

 左注は、「右二首」<右の二首>である。

(注)右二首:主賓高橋虫麻呂の歌らしい。(伊藤脚注)

 

 

 この二首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1005)」で紹介している。なお、1005では、「別冊國文学 万葉集必携 稲岡耕二 編 (學燈社)」の万葉集人名索引により、橘諸兄の歌としている。

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◆此岳尓 小壮鹿履起 宇加埿良比 可聞可聞為良久 君故尓許曽

       (長門守巨曾倍対馬 巻八 一五七六)

 

≪書き下し≫この岡に小鹿(をしか)踏(ふ)み起しうかねらひかもかもすらく君故(ゆゑ)にこそ

 

(訳)この岡で鹿を追い立て窺(うかが)い狙うように、あれやこれやと心に尽くすのも、みんなあなた様を思ってのことなのです。(同上)

(注)小鹿踏み起し:鹿を追い立て。「小鹿」は前歌の「萩」の縁。(伊藤脚注)

(注の注)ふみおこす【踏み起こす】:①地を踏んで鳥獣などを驚かす。狩りたてる。②再興する。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)うかねらひかもかもすらく:獲物を狙ってあれこれ努力する。上三句は序。第四句を起す。(伊藤脚注)

(注の注)うかねらふ【窺狙ふ】他動詞:(ようすを)うかがってねらう。(学研)

(注の注)かもかも:[副]「かもかくも」に同じ。>かもかくも:[副]《副詞「か」「かく」のそれぞれに係助詞「も」が付いた語》どのようにも。とにもかくにも。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)すらく【為らく】:すること。していること。 ※派生語。 ⇒なりたち:サ変動詞「す」の終止形+接尾語「らく」(学研)

 

左注は、「右一首長門守巨曽倍朝臣津嶋」<右の一首は長門守巨曾倍朝臣対馬(ながとのかみこそべのあそみつしま)>である。

 

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◆秋野之 草花我末乎 押靡而 来之久毛知久 相流君可聞

       (安倍虫麻呂 巻八 一五七七)

 

≪書き下し≫秋の野の尾花(をばな)が末(うれ)を押しなべて来(こ)しくもしるく逢へる君かも

 

(訳)秋の野の尾花の穂先を押し伏せてやって来たかいがあって、あなた様にお目にかかることができました。(同上)

(注)一五七四を承ける歌。(伊藤脚注)

 

 

 

◆今朝鳴而 行之鴈鳴 寒可聞 此野乃淺茅 色付尓家類

       (安倍虫麻呂 巻八 一五七八)

 

≪書き下し≫今朝(けさ)鳴きて行きし雁(かり)が音(ね)寒(さむ)みかもこの野の浅茅(あさぢ)色づきにける

 

(訳)今朝鳴いて行った雁の声、その声が寒々としていたせいか、この野の浅茅までもが見事に色づいてきました。(同上)

(注)一五七五に応じる歌。(伊藤脚注)

 

左注は、「右二首阿倍朝臣蟲麻呂」<右の二首は安倍朝臣虫麻呂(あへのあそみむしまろ)>である。

 

 

◆朝扉開而 物念時尓 白露乃 置有秋芽子 所見喚鶏本名

       (文忌寸馬養 巻八 一五七九)

 

≪書き下し≫朝戸開けて物思ふ時に白露の置ける秋萩見えつつもとな

 

(訳)朝の戸を開けて物思いにふけっている時に、白露のおいている萩の、あわれな風情がやたらと目について仕方がありません。(同上)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

 

 

◆棹壮鹿之 来立鳴野之 秋芽子者 露霜負而 落去之物乎

       (文忌寸馬養 巻八 一五八〇)

 

≪書き下し≫さを鹿の来立ち鳴く野の秋萩は露霜負ひて散りにしものを

 

(訳)雄鹿がやって来てしきりに鳴き立てている野の萩、この野の萩妻は露を浴びてすっかり散ってしまったではありませんか。何ともせつなく思われます。(同上)

(注)一五七六の「鹿」を承け、鹿の妻である「秋萩」を石む。(伊藤脚注)

(注)つゆしも【露霜】名詞:①露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。②年月。※「つゆじも」とも。(学研)ここでは①の意

 

左注は「右二首文忌寸馬養」<右の二首は文忌寸馬養>である。

 

 この二首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2270)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

さらに、以上七首の宴席歌の年月日が「天平十年戊寅秋八月廿日」<天平十年戊寅(つちのえとら)の秋の八月の二十日>とある。

 

 

 「ちがや」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「『ちがや』の『ち』は、『千(せん)』の意で、沢山ある様を表し、『かや』が群生している

状態を表現している。チガヤはイネ科の多年草で初夏にかけて、葉に先立って花穂が出るが、これを『つばな』と詠っている。」と書かれている。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文学 万葉集必携 稲岡耕二 編 (學燈社)」

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉