万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2392)―

■かつら■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「目には見て手には取らえぬ月の内の桂のごとき妹をいかにせむ」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(湯原王) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。            

 

◆目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責

       (湯原王 巻四 六三二)

 

≪書き下し≫目には見て手には取らえぬ月の内の桂(かつら)のごとき妹(いも)をいかにせむ    

 

(訳)目には見えても手には取らえられない月の内の桂の木のように、手を取って引き寄せることのできないあなた、ああどうしたらよかろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いかにせむ【如何にせむ】分類連語:①どうしよう。どうしたらよいだろう。▽疑問・困惑の意を表す。②どうすることができようか(どうしようもない)。▽反語的に嘆きあきらめる意を表す。 ⇒なりたち 副詞「いかに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

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感想(1件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その465)」で紹介している。

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 「かつら」については、万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアム)に、「山地に自生するかつら科の落葉大高木。早春に淡紅色の小花をつける。但し、中国では『桂』を木犀や肉桂などモクセイ属の植物名としており、日本のそれとは異なる。万葉集では『楓』字を用いて4例みられるが、実際の植物を歌ったのは『木に寄せる』に分類された1例のみ。『向つ峰の若桂の木』(7-1359)とあり、恋しい少女の未だ成熟せざる様子を若い桂木に譬えて詠む。他の3例は、古代中国の伝説・俗信を踏まえ、月の世界にあって枝葉が繁茂し芳香を発する巨樹と想像された桂木を詠む。湯原王の作歌には手に取って傍に寄せることのできない恋人を『月の内の桂のごとき』(4-632)と譬える。作者未詳歌では月人壮子が天の海を漕ぐために浮かべた月の船の楫を『桂楫』と詠む(10-2223)。同様に桂木を月の船の楫とみなす例としては、『懐風藻文武天皇作の五言詩『月を詠む』に『月舟霧渚に移り、楓楫霞濱に泛かぶ』(15)等がある。また、10-2202番歌は秋の月が冴えわたって見える理由を、その中にある桂木が黄葉したために生じたこととみなすが、中国における桂は常緑樹であり、これは日本の桂木を土台として歌ったものとみられる。」と書かれている。

 

 巻十 二二〇二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1024)」で紹介している。

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 湯原王については、「コトバンク 朝日日本歴史人物事典」に次のように書かれている。

「生年:生没年不詳 奈良時代の皇族、歌人天智天皇の孫で、施基(志貴)皇子の子。宝亀1(770)年、兄弟の白壁王が即位して光仁天皇となり、兄弟姉妹諸王子を親王内親王としたことをもって湯原親王と称されるが、閲歴は明らかでない。延暦24(805)年73歳で薨じた大納言壱志濃王は、その第2子である。『万葉集』に、配列上から天平初期(729年以後)ごろの作品と推定される短歌19首が残る。佳作が多く、『吉野にある菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山陰にして』『夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも』といった叙景・詠物の歌には、繊細優美な風を示し、『蜻蛉羽の袖振る妹を 玉匣奥に思ふを見給へあが君』などの宴席歌、また『娘子』との相聞贈答歌群では、即興的、機知的な才をのぞかせている。大伴家持に代表される天平の歌風への移行期において、大伴坂上郎女らと共にその新風を開いた観があり、家持に与えた影響も少なくない。<参考文献>中西進『万葉の歌びとたち/万葉読本2』」

 

 

 湯原王についていろいろと調べてみたが、改めてその歌の透明感と切れの良さに感銘を受けたのである。

 全十九首すべてを追ってみたくなったのである。

 これまでに紹介した歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて」を参照する形で、未紹介歌は今回あらたに掲載させていただきました。

 

 

 湯原王系図


 湯原王の歌十九首を追ってみよう。

■三七五歌■

 後述の拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その777)」で紹介している。

 

■三七六歌■

三七六、三七七歌の題詞は、「湯原王宴席歌二首」<湯原王宴席歌二首>である。

 

◆秋津羽之 袖振妹乎 珠匣 奥尓念乎 見賜吾君

       (湯原王 巻三 三七六)

 

≪書き下し≫あきづ羽の袖振る妹(いも)を玉櫛笥(たまくしげ)奥(おく)に思ふを見たまへ我(あ)が君

 

(訳)あきずの羽(はね)のように薄ものの袖をひるがえして舞うこの子。この子のことを、私は秘蔵の思いでいとしく思っているのですよ、よくよくご覧になってください、わが君よ。(同上)

(注)あきづ羽の袖振る妹:とんぼの羽のような袖をひるがえして舞う子。あなた(主賓)のために舞わせている大切な子、の意。(伊藤脚注)

(注の注)あきづ 秋津・蜻蛉】名詞:とんぼ。[季語] 秋。 ※中古以後は「あきつ」。(学研)

(注)玉櫛笥:「奥」(心の奥底)の枕詞。(伊藤脚注)

(注の注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。 ※「たま」は接頭語。歌語。(学研)

(注の注)たまくしげ 【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

 

 

 

■三七七歌■

◆青山之 嶺乃白雲 朝尓食尓 恒見杼毛 目頬四吾君

       (湯原王 巻三 三七七)

 

≪書き下し≫青山の嶺(みね)の白雲朝(あさ)に日に常に見れどもめづらし我(あ)が君

 

(訳)青い山の嶺にかかる白雲、その雲のように朝夕いつもお逢いしていくけれど、いつもま新しく思われます、わが君は。(同上)

(注)上二句はじょ。「朝に日に」を起す。(伊藤脚注)

(注)めづらし我(あ)が君:見飽きない我が君です。この歌では主賓その人をほめる。(伊藤脚注

 

 

■六三一、六三二、六三五、六三六、六三八、六四〇、六四二歌■

 湯原王の歌では、旅先で通った娘子とのかなり長期にわたる恋物語的歌群が六三一歌から六四二歌まであるが、これらは、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その777)」で紹介している。

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■六七〇歌■

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1077)」で紹介している。

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■九八五歌■

 九八五、九八六歌の題詞は、「湯原王月歌二首」<湯原王が月の歌二首>である。

 

◆天尓座 月讀壮子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増

       (湯原王 巻六 九八五)

 

≪書き下し≫天(あめ)にいます月読壮士(つくよみをとこ)賄(まひ)はせむ今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ

 

(訳)天にまします月読壮士(おとこ)さま、贈物ならいくらでも致しましょう。どうか今夜の長さを、五百夜分も繋(つな)ぎ合わせてください。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)月読壮士:月を男神と見た呼び名。(伊藤脚注)

 

 

 

■九八六歌■

◆愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有

       (湯原王 巻六 九八六)

 

≪書き下し>はしきやし間近き里の君来むとおほのびにかも月の照りたる

 

(訳)ああ、近くの里にいながらなかなか来て下さらないあの方が今夜はいらっしゃるというので、こんなにもあまねく月が照っているのでしょうか。(同上)

(注)「おほのびに」はあまねく、くまなくの意か。(伊藤脚注)

 

 

 

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■九八九歌■

題詞は、「湯原王打酒歌一首」<湯原王が打酒(ちやうしゆ)の歌一首>である。

(注)打酒:刀を打ち払って浄めた酒の意か。(伊藤脚注)

 

◆焼刀之 加度打放 大夫之 祷豊御酒尓 吾酔尓家里

       (湯原王 巻六 九八九)

 

≪書き下し>焼太刀(やきたち)のかど打ち放ちますらをの寿(ほ)く豊御酒(とよみき)に我(わ)れ酔(ゑ)ひにけり

 

(訳)焼き鍛えた立派な大刀(たち)のかどを打ち放って、ますらおが祝う奇(くす)しき酒に、私どもみなすっかり酔ってしまいました。(同上)

(注)かど:大刀(たち)のしのぎか。(伊藤脚注)

(注)とよみき【豊御酒】名詞:美酒。よい酒。▽酒をほめていう語。 ※「とよ」は接頭語。(学研)

(注)我(わ)れ酔(ゑ)ひにけり:謝酒の決まり文句。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■一五四四歌■

一五四四、一五四五歌の題詞は、「湯原王七夕歌二首」<湯原王が七夕(たなばた)の歌二首>である。

(注)共に第三者の立場。逢瀬の夜が尽きようとする二星の心を思う。(伊藤脚注)

 

◆牽牛之 念座良武 従情 見吾辛苦 夜之更降去者

       (湯原王 巻八 一五四四)

 

≪書き下し>彦星(ひこほし)の思(おも)ひますらむ心より見る我れ苦し夜(よ)の更(ふ)けゆけば

 

(訳)彦星が別れを惜しんでおられる気持ちよりも、空を見ている私たちの方がせつない。夜がだんだん更けてゆくと。(同上)

(注)おもひます【思ひ座す】分類連語:お思いになる。 ※上代語。「ます」はこの場合、尊敬の補助動詞。(学研)

 

 

 

■一五四五歌■

◆織女之 袖續三更之 五更者 河瀬之鶴者 不鳴友吉

       (湯原王 巻八 一五四五)

 

≪書き下し>織女(たなばた)の袖(そで)継(つ)ぐ宵(よひ)の暁(あかとき)は川瀬の鶴(たづ)は鳴かずともよし

 

(訳)織女が彦星と袖を連ねて寝る夜の明け方、この明け方には、川瀬の鶴は鳴かなくてもよい。(同上)

(注)袖(そで)継(つ)ぐ宵(よひ):彦星と袖を寄せて寝る宵。(伊藤脚注)

(注)鳴かずともよし:鳥が鳴けば夜明けの別れとなる。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■一五五〇歌■

題詞は、「湯原王鳴鹿歌一首」<湯原王が鳴鹿の歌一首>である。

(注)「鳴鹿」の絵を見ての作か。(伊藤脚注)

 

◆秋芽之 落乃乱尓 呼立而 鳴奈流鹿之 音遥者

       (湯原王 巻八 一五五〇)

 

≪書き下し>秋萩の散りの乱(まが)ひに呼びたてて鳴くなる鹿の声の遥(はる)けさ

 

(訳)秋萩がしきりに散り乱れている折しも、妻を呼び立てて鳴く鹿の声が、はるばると聞こえてくる。(同上)

(注)呼び立てて:妻を呼び立てて。鹿の妻である萩の散るのを惜しむ気持ちもひそむ。(伊藤脚注)

 

 

 

■一五五二、一六一八歌■

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1327)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 朝日日本歴史人物事典」