万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2393)―

■かや■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「ほととぎす来鳴く五月に咲きにほふ・・・松柏の栄えいまさね貴き我が君」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「為家婦贈在京尊母所誂作歌一首 幷短歌」<家婦(かふ)の、京に在(いま)す尊母(そんぼ)に贈るために、誂(あとら)へられて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)かふ【家婦】〘名〙: 家の妻。また、自分の妻。家の中の仕事をする女の意でいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)ここでは、前年の秋に下向した家持の妻、坂上大嬢のこと。

(注)そんぼ【尊母】:他人の母を敬っていう語。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)ここでは、大伴坂上郎女をいう。

(注)あつらふ【誂ふ】他動詞:①頼む。②(物を作るように)注文する。あつらえる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

◆霍公鳥 来喧五月尓 咲尓保布 花橘乃 香吉 於夜能御言 朝暮尓 不聞日麻祢久 安麻射可流 夷尓之居者 安之比奇乃 山乃多乎里尓 立雲乎 余曽能未見都追 嘆蘇良 夜須家奈久尓 念蘇良 苦伎毛能乎 奈呉乃海部之 潜取云 真珠乃 見我保之御面 多太向 将見時麻泥波 松栢乃 佐賀延伊麻佐祢 尊安我吉美 <御面謂之美於毛和>

      (大伴家持 巻二十 四一六九)

 

≪書き下し≫ほととぎす 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘(はなたちばな)の かぐはしき 親の御言(みこと) 朝夕(あさよひ)に 聞かぬ日まねく 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にし居(を)れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉(なご)の海人(あま)の 潜(かづ)き取るといふ 白玉(しらたま)の 見が欲(ほ)し御面(みおもわ) 直向(ただむか)ひ 見む時までは 松柏(まつかへ)の 栄(さか)えいまさね 貴(たひとき)き我(あ)が君 <御面、みおもわといふ>

 

(訳)時鳥が来て鳴く五月に咲き薫(かお)る花橘のように、かぐわしい母上様のお言葉、そのお声を朝に夕に聞かぬ日が積もるばかりで、都遠く離れたこんな鄙の地に住んでいるので、累々と重なる山の尾根に立つ雲、その雲を遠くから見やるばかりで、嘆く心は休まる暇もなく、思う心は苦しくてなりません。奈呉の海人(あま)がもぐって採るという真珠のように、見たい見たいと思う御面(みおも)、そのお顔を目(ま)の当たりに見るその時までは、どうか常盤(ときわ)の松や柏(かしわ)のように、お変わりなく元気でいらして下さい。尊い我が母君様。<御面は「みおもわ」と訓みます>(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)「ほととぎす 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の」は序。「かぐはしき」を起こす。

(注)かぐはし【香ぐはし・馨し】形容詞:①香り高い。かんばしい。②美しい。心がひかれる。(学研)

(注)みこと【御言・命】名詞:お言葉。仰せ。詔(みことのり)。▽神や天皇の言葉の尊敬語。 ※「み」は接頭語。上代語。(学研)

(注)やまのたをり【山のたをり】分類連語:山の尾根のくぼんだ所。(学研)

(注)よそ【余所】名詞:離れた所。別の所。(学研)

(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研) ここでは④の意

(注)やすげなし【安げ無し】形容詞:安心できない。落ち着かない。不安だ。(学研)

(注)「奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の」は序。「見が欲し」を起こす。

(注)まつかへの【松柏の】[枕]:松・カシワが常緑で樹齢久しいところから、「栄ゆ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あがきみ【吾が君】名詞:あなた。あなたさま。▽相手を親しんで、また敬愛の気持ちをこめて呼びかける語。(学研)

 

 「かへ(カヤ)」については、春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「松栢乃」の「栢」は読みは「かへ」であるが、「柏(カシワ)」でなく「榧(カヤ)」であるとし、「『かへ』とは『本草和名』に『榧実(カヤノミ)』和名で『加倍乃美(カヤノミ)』と載っている。『榧(カヤ)』は山地に生える雌雄異株の常緑針葉高木で、葉はとがって固く、小さく細い。(中略)カヤの材は碁盤・将棋盤などの最高級品として珍重されている。」と書かれている。

 

 

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感想(1件)

 この歌については、反歌(四一七〇歌)とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1123)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 この歌について、藤井一二氏は、その著「大伴家持―波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書)のなかで、「・・・家持は越中に滞在する家婦(妻の坂上大嬢)に代わって、京の母(大嬢の母、坂上郎女)へ贈る長歌と短歌を作っている。その長歌の中には『奈呉(なご)の海人(あま)の 潜(かづ)き取るといふ 真珠(しらたま)の・・・』(巻十九・四一六九)のことを引用しているが、『奈呉の海』は越中国府からも近い湖(浦)で、高台の国守館から東の方向に遠望できる距離にあったことがわかる。」と書いておられる。

 奈胡の海と国守館の位置関係は、三九五六歌にも詠われている。

 

 三九五六歌をみてみよう。

題詞は、「大目秦忌寸八千嶋之館宴歌一首」<大目秦忌寸八千島(だいさくわんはだのいみきやちしま)が館(たち)にして宴(うたげ)する歌一首>である。

 

◆奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知氐 安倍弖許藝泥米

       (大目秦忌寸八千島 巻十七 三九五六)

 

≪書き下し>奈呉(なご)の海人(あま)の釣(つり)する舟は今こそば舟棚(ふなだな)打ちてあへて漕(こ)ぎ出(で)め

 

(訳)奈呉の浦の海人たちが釣りをする舟は、今こんな時こそ、舟の棚板を威勢よく叩(たた)いて、押しきって漕ぎ出すがよい。(同上)

(注)奈胡:高岡市から射水市にかけての海岸。国府の東。(伊藤脚注)

(注)今こそば:宴たけなわの今こそは。(伊藤脚注)

(注)ふなだな【船枻・船棚】名詞:船の両舷(りようげん)に取り付けてある板。舟子が櫓(ろ)や櫂(かい)をあやつる所。(学研)

 

左注は、「右館之客屋居望蒼海 仍主人八千嶋作此歌也」<右は、館(たち)の客屋(きゃくをく)は、居ながらにして蒼海(そうかい)を望む。よりて、主人(あろじ)八千島、この歌を作る>である。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持―波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典