万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2321)―

●歌は、「越の海の信濃の浜を行き暮らし長き春日も忘れて思へや」である。

富山県魚津市北中(北鬼江海岸) 大伴家持歌碑 20230705撮影

●歌碑は、富山県魚津市北中 大伴家持歌碑である。

 

●歌をみていこう。

 

◆故之能宇美能 信濃(濱名也)乃波麻乎 由伎久良之 奈我伎波流比毛 和須礼弖於毛倍也

       (大伴家持 巻十七 四〇二〇)

 

≪書き下し≫越(こし)の海の信濃(しなの)<浜の名なり>の浜を行き暮(く)らし長き春日(はるひ)も忘れて思へや

 

(訳)越の海の信濃<浜の名である>の浜を、一日中歩き続けたが、こんなに長い春の一日でさえ、片時も妻のことを忘れてしまったりするものか。

(注)信濃の浜:高岡市伏木あたりの海岸か。(伊藤脚注)

(注)ゆきくらす【行き暮らす】他動詞:日が暮れるまで歩き続ける。一日じゅう歩く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 四〇一七~四〇二〇歌の左注は、「右の四首は、天平二十年の春の日の正月の二十九日、大伴宿禰家持」である。


 

 四〇一七~四〇二〇歌の流れから「信濃の浜」は、高岡市伏木あたりの海岸とする説が多いが、ここ富山県魚津市北中に四〇二〇の歌碑が立てられていたので、調べてみると、高岡市万葉歴史館 学芸課長 新谷 秀夫 氏の講演資料「うたわれた富山湾 -『万葉集』から『おくのほそ道』まで-」のなかに次のように書かれていた。

 「『越の海の信濃の浜』というのは、越中にある信濃の浜ということです。その信濃の下には『浜の名なり』と注まで入れています。信濃というと普通考えるのは国の名前です。その信濃という国の名前が越中の浜の名であるということを面白がって注を入れているのです。越中なのに信濃があるということを、少し面白おかしく伝えようということで、『越の海の信濃の浜』というのを詠んでいます。これは越中万葉の中では珍しく所在不明の場所で、一つは魚津の方にあるという説、もう 1 つは、歌の並びからいうと射水の旧新湊あたりのどこかの浜であるという説があります。実際には今『信濃の浜』という地名は残っていません。ですから具体的にどこかはわからないのですが、『越の海』という越中の海つまり富山湾そのものを2回詠んでいます。

 

 四〇一七~四〇一九歌をみてみよう。

◆東風<越俗語東風謂之安由乃可是也> 伊多久布久良之 奈呉乃安麻能 都利須流乎夫祢 許藝可久流見由

       (大伴家持 巻十七 四〇一七)

 

≪書き下し≫あゆの風(かぜ)<越の俗の語には東風をあゆのかぜといふ> いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の釣(つり)する小舟(おぶね)漕(こ)ぎ隠(かく)る見(み)ゆ

 

(訳)東風(あゆのかぜ)<越(こし)の土地言葉で、東風を「あゆの風」という>が激しく吹くらしい。奈呉の海人(あま)たちの釣する舟が、今まさに浦風(うらかぜ)に漕ぎ隠れて行く。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)あゆ【東風】名詞:東風(ひがしかぜ)。「あゆのかぜ」とも。 ※上代の北陸方言。(学研)

(注)奈呉の海 分類地名 歌枕:今の富山県新湊(しんみなと)市の西部海岸一帯。この地に赴任した大伴家持(おおとものやかもち)の歌で有名になった。奈呉の浦。②今の大阪市住吉大社の西方にあった海岸。 ※②とも「那古の海」「名児の海」とも書くが、①は多く「奈呉の海」と書き、②は多く「名児の海」と書く。(学研)ここでは①の意

 

 

◆美奈刀可是 佐牟久布久良之 奈呉乃江尓 都麻欲妣可波之 多豆左波尓奈久 <一云 多豆佐和久奈里>

        (大伴家持 巻十七 四〇一八)

≪書き下し≫港風(みなとかぜ)寒く吹くらし奈呉の江に妻呼び交(かは)し鶴(たづ)多(さは)に鳴く <一には「鶴騒くなり」といふ>

 

(訳)川口の風が寒々と吹くらしい。奈呉の入江では、連れ合いを呼び合って、鶴がたくさん鳴いている。<鶴の鳴き立てる声がする>(同上)

(注)港風:川口の風。前歌の上二句を承け、沖の景に対し岸辺の景を述べる歌。(伊藤脚注)

(注の注)みなとかぜ【港風】:河口または港のあたりに吹く風。(goo辞書)

 

 

 

◆安麻射可流 比奈等毛之流久 許己太久母 之氣伎孤悲可毛 奈具流日毛奈久

        (大伴家持 巻十七 四〇一九)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)ともしるくここだくも繁(しげ)き恋かもなぐる日もなく

 

(訳)遠く都離れた鄙の地というのもなるほどそのとおりで、こんなにもつのる都恋しさよ。奈呉(なご)というのに心なごむ日とてなく。(同上)

(注)もしるく【も著く】分類連語:予想どおりで。まさにそのとおりで。(学研)

(注)ここだく【幾許】副詞:「ここだ」に同じ。 ※上代語。 <ここだ【幾許】副詞

:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。(学研) ここでは②の意

(注)なぐる日もなく:心静まる日とてなく。前歌の妻呼ぶ鶴を承けて望郷の歌。前二首は現地讃美、後二首は望郷。(伊藤脚注)

 

 

 四〇一七歌は、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その861)」、四〇一八歌は、同「同(その860)」で、四〇一九、四〇二〇歌は、同「同(その862)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 この歌碑については、グーグルマップストリートビューで確認していたので、スムーズに辿り着けたのである。歌碑近くの海岸線側にも駐車場も完備している

「しんきろうロードと家持の歌碑」 グーグルマップストリートビューより
引用作成させていただきました。

 

 海岸線駐車場の近くに「富山湾の蜃気楼」のパネルが掲げられている。機会があれば見てみたいものである。

富山湾の蜃気楼」のパネル 20230705撮影



 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「うたわれた富山湾 -『万葉集』から『おくのほそ道』まで-」 (高岡市万葉歴史館 学芸課長 新谷 秀夫 氏の講演資料)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」