万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2293)―

●歌は、「大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が背を あらたまの 年行き返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら・・・」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「國掾久米朝臣廣縄以天平廿年附朝集使入京 其事畢而天平感寶元年閏五月廿七日還到本任 仍長官之舘設詩酒宴樂飲 於時主人守大伴宿祢家持作歌一首幷短歌」<国の掾久米朝臣廣縄(じようくめのあそみひろつな)、天平(てんびやう)二十年をもちて朝集使(てふしふし)に付きて京に入る。その事畢(をは)りて、天平感宝(てんびやうかんぽう)元年の閏の五月の二十七日に、本任(ほんにん)に還(かへ)り至る。よりて長官(かみ)が館(たち)にして、詩酒の宴(うたげ)を設(ま)けて楽飲す。時に、主人(あろじ)の守(かみ)大伴宿禰家持が作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)天平二十年:748年

(注)朝集使:日本古代の律令制のもとで,諸国から毎年上京して政務を報告した使者。当時,諸国に派遣されていた国司が使者として毎年定期に上京するものに,四度使(よどのつかい)として朝集使,計帳使(大帳使とも),貢調使,正税帳使の4種があったが,朝集使はそのうち最も重要なもので,他の3使は史生(ししよう)などの雑任(ぞうにん)でもよかったが,朝集使には守(かみ),介(すけ),掾(じよう),目(さかん)の四等官が任じた。(コトバンク 平凡社世界大百科事典 第2版)

(注)天平感宝元年:749年

 

◆於保支見能 末支能末尓ゝゝ 等里毛知氐 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止ゝ支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都ゝ 安我末川君 我許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由利能波奈能 花咲尓 ゝ布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米氐 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須

      (大伴家持 巻十八 四一一六)

 

≪書き下し≫大君の 任(ま)きのまにまに 取り持ちて 仕(つか)ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙(たまほこ)の 道に出で立ち 岩根(いはね)踏み 山越え野(の)行き 都辺(みやこへ)に 参(ま)ゐし我が背を あらたまの 年行き返(がへ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 蓬(よもぎ)かづらき 酒(さか)みづき 遊びなぐれど 射水川(いみづがは) 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 行く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江(なごえ)の菅(すげ)の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我(あ)が待つ君が 事終(をは)り 帰り罷(まか)りて 夏の野(の)の さ百合(ゆり)の花の 花笑(ゑ)みに にふぶに笑みて 逢(あ)はしたる 今日(けふ)を始めて 鏡なす かくし常(つね)見む 面変(おもがは)りせず

 

(訳)大君の御任命のままに、政務を背負ってお仕えしている国、この国の一年(ひととせ)の出来事をとりまとめて、長い旅路に出立し、岩を踏み山を越え野を通って、都目指して上って行ったあなた、そのあなたに、年が改まり、月を重ねるまで逢わぬ日が続いて、恋しさに心が落ち着かないので、時鳥の来て鳴く五月の菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を蘰(かづら)にし、酒盛りなどして遊んでは心を慰めたけれど、射水川に雪解け水が溢(あふ)れるばかりに流れて行くその水かさのように、恋しさはいよいよつのるばかりで、鶴の頼りなく鳴く奈呉江の菅の根ではないが、心のねっこから塞(ふさ)ぎこんで、溜息(ためいき)つきながら私の待っていたそのあなたが、勤めを無事終えて都から帰って来られ、夏の野の百合の花の花笑みそのままに、にっこりほほ笑んで逢って下さったこの今日の日からというものは、鏡を見るようにこうしていつもいつもお逢いしましょう。今日のままもそのお顔で。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)まく【任く】他動詞:任命する。任命して派遣する。遣わす。(学研)

(注)まにまに【随に】分類連語:…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。(学研)

(注)とりもつ【取り持つ・執り持つ】他動詞①手に持つ。持つ。②執り行う。取りしきる③世話する。④仲立ちをする。とりもつ。(学研) ここでは②の意

(注)かたぬ【結ぬ】( 動ナ下二 ):①まとめる。たばねる。②結政(かたなし)で、文書を広げて読み上げる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版) ここでは①の意

(注)さまねし 形容詞:数が多い。たび重なる。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。 ※参考 地上の広々とした空間を表すのが原義。(学研) ここでは④の意

(注)かづらく【鬘く】他動詞:草や花や木の枝を髪飾りにする。(学研)

(注)さかみづく【酒水漬く】自動詞:酒にひたる。酒宴をする。(学研)

(注)なぐ【和ぐ】自動詞:心が穏やかになる。なごむ。(学研)

(注)射水川雪消溢りて行く水の:序。「いや増しに」を起す。(伊藤脚注)

(注)射水川:現在の小矢部川(おやべがわ)(伊藤脚注)

(注)ゆきげ【雪消・雪解】名詞:①雪が消えること。雪どけ。また、その時。②雪どけ水。 ※「ゆき(雪)ぎ(消)え」の変化した語。(学研)

(注)奈呉の江(読み)なごのえ:富山湾岸のほぼ中央部,射水(いみず)平野の北部に広がる。古くは越湖(こしのうみ)、奈呉ノ江、奈呉ノ浦とよばれた。(コトバンク 平凡社世界大百科事典)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(学研)

(注)おもひむすぼる【思ひ結ぼる】自動詞:気がめいる。ふさぎ込む。「おもひむすぼほる」とも。(学研)

(注)にふぶに 副詞:にこにこ。(学研)

(注)かがみなす【鏡なす】分類枕詞:①貴重な鏡のように大切に思うことから、「思ふ妻」にかかる。②鏡は見るものであることから、「見る」および、同音の「み」にかかる。(学研)

(注)面変りせず:ここは、都人らしい表情が変わらない今日のままのお姿で、の意。(伊藤脚注)

 

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 上記の(注)にあるように「奈呉の江」は「奈呉の浦」とも呼ばれていた。「奈呉の浦」について、高岡市万葉歴史館HPに次のように書かれている。

「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の  釣する小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ隠る見ゆ  (巻17-4017・大伴家持

現代語訳

東風が激しく吹いているらしい。奈呉の海人の釣りする小舟が、波の間に漕いでいるのが見え隠れしている。

 

奈良時代国府があった高岡市伏木と、射水川(現小矢部川)を挟んで対峙する 新湊市海浜部に『奈呉』と称する地区があります。

『奈呉の浦』は、この一帯の海岸のことを指しています。

その奈呉の浦近くにある放生津八幡宮には、家持を祀る『祖霊社』があります。

下の白黒写真は、八幡宮裏にひろがる『奈呉の浦』の景色ですが、ここも現在はすっかり埋め立てられて、近代的な 漁港となっています。

(写真は、高岡市万葉歴史館HPより引用させていただきました。)」

 

放生津八幡宮にある家持の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その861)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

反歌二首もみてみよう。

 

◆許序能秋 安比見之末尓末 今日見波 於毛夜目都良之 美夜古可多比等

       (大伴家持 巻十八 四一一七)

 

≪書き下し≫去年(こぞ)の秋相見(あひみ)しまにま今日(けふ)見れば面(おも)やめづらし都方人(みやこかたひと)

 

(訳)去年の秋にお目にかかったままで、今日お逢いしてみると、お顔のさまも見違えるばかりです。まったく都のお方です。(同上)

(注)めづらし【珍し】形容詞:①愛すべきだ。賞美すべきだ。すばらしい。②見慣れない。今までに例がない。③新鮮だ。清新だ。目新しい。(学研) 

(注)みやこかたひと【都方人】名詞:都の人。都会人。また、都の近辺に住んでいる人。(学研)

 

 

◆可久之天母 安比見流毛乃乎 須久奈久母 年月経礼波 古非之家礼夜母

      (大伴家持 巻十八 四一一八)

 

≪書き下し≫かくしても相見るものを少なくも年月経(ふ)れば恋(こひ)しけれやも

 

(訳)こうしてまたお逢いできるのでしたのに、しかし、お逢いできずに年月ばかりが経ってゆくものだから、ちっとやそっとの恋しさなんかではありませんでしたよ。(同上)

(注)かくしても相見るものを:こうしてお逢いできるのでしたのに。(伊藤脚注)

(注)すくなくも【少なくも】副詞:〔下に打消・反語の表現を伴って〕少しだけ(…ではない)。非常に…だ。 ※形容詞「すくなし」の連用形に係助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

 四一一六~四一一八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その658)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 四一一六歌の「にふぶに笑みて」というフレーズは、気になる。巻十六 三八一七歌にも使われている。こちらもみてみよう。

 

◆可流羽須波 田廬乃毛等尓 吾兄子者 二布夫尓咲而 立麻為所見 <田廬者多夫世反>

 

≪書き下し≫かるうすは田廬(たぶせ)の本(もと)に我(わ)が背子(せこ)はにふぶに笑(ゑ)みて立ちませり見(み)ゆ <田廬は「たぶせ」の反>

 

(訳)立派な韓臼(からうす)は、野小屋(のごや)なんぞの傍(そば)に立っている。あの田廬(たぶせ)の兄(あに)さんは、にやにやと嬉(うれ)しそうにしてお立ちになっている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)かるうす:韓臼か。ここは美女の譬え。(伊藤脚注)

(注)田廬(たぶせ)の本(もと)に:田んぼの粗末な小屋の傍に立っているが。「田廬」は貧相な男の譬え。(伊藤脚注)

(注)我が背子は:その田廬のようなお兄さんは。以下、男への揶揄。(伊藤脚注)

(注)にふぶに笑みて立ませり:にんまりと頬笑んで立っていらっしゃる。持てる男へのやっかみであろう。(伊藤脚注)

(注)「反」は読み方、の意。(伊藤脚注) ※同筆または別筆による書き直しでは「也」とある。

 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク 平凡社世界大百科事典」

★「高岡市万葉歴史館HP」