万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2361)―

■つゆくさ■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「朝咲き夕は消ぬる月草の消ぬべき恋も我れはするかも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆朝開 夕者消流 鴨頭草乃 可消戀毛 吾者為鴨

      (作者未詳 巻十 二二九一)

 

≪書き下し≫朝(あした)咲き夕(ゆうへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも

 

(訳)朝咲いても夕方にはしぼんでしまう露草のように、身も消え果ててしまいそうな恋、そんなせつない恋を私はしている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「消ぬ」を起こす。「月草」は露草。(伊藤脚注)

(注の注)つきくさの【月草の】分類枕詞:月草(=つゆくさ)の花汁で染めた色がさめやすいところから「移ろふ」「移し心」「消(け)」などにかかる。(学研)

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1207)」で、万葉集に詠まれた九首とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「つきくさ」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「花の色が染料に使われ、衣に染み付きやすかったことから『つきくさ』と呼ばれていた。しかし、ツユクサから染料にする色は、変わりやすく褪(あ)せやすいところから、人の心の移ろいに喩える歌が見受けられ、ひいては男女の心の表現にも使われている。・・・万葉人が、情をよせている人の心の変化に一喜一憂している姿を想像すると、とても滑稽で愛おしさを覚える。むしろ、今も昔も変わらない、人を思うという普遍のテーマを小さなツユクサに重ねている姿は健気でせつない気持ちにさえさせる。決して目立ちはしないがその姿を見つけたとき、古(いにしえ)にできごとを思い出させる。」と書かれている。



 「つきくさ」を詠んだ歌九首については、さきに紹介した拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1207)」で紹介されているが、ざっとみてみよう。

 

「朝露(あさつゆ)に咲きすさびたる月草(つきくさ)の日くたつなへに消(け)ぬべく思ほゆ(作者未詳 巻十 二二八一)」や「朝(あした)咲き夕(ゆうへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも(作者未詳 巻十 二二九一)」のように朝に咲き、夕には萎む一日花であることに譬え、日が傾くにつれ消え入るばかりの恋心を、そして切ない恋を詠んでいる。いずれも上三句は序で、「日くたつなへに消(け)ぬ」「消(け)ぬ」を起す。

(注)(二二八一の訳)朝露をあびて咲きほこる露草が、日が傾くとともにしぼむように、日が暮れてゆくにつれて、私の心もしおれて消え入るばかりだ。

(注)(二二九一の訳)朝咲いても夕方にはしぼんでしまう露草のように、身も消え果ててしまいそうな恋、そんなせつない恋を私はしている。(同上)

 

        

月草(つきくさ)のうつろひやすく思へかも我(あ)が思ふ人の言(こと)も告げ来(こ)ぬ(坂上大嬢 巻四 五八三)」、「月草の借(か)れる命(いのち)にある人をいかに知りてか後(のち)も逢はむと言ふ(作者未詳 巻十一 二七五六)」、「うちひさす宮にはあれど月草(つきくさ)のうつろふ心我(わ)が思はなくに(作者未詳 巻十二 三〇五八)」、「百(もも)に千(ち)に人は言ふとも月草のうつろふ心我(わ)れ持ためやも(作者未詳 巻十二 三〇五九)」のように、花の性格を踏まえ「かれる、うつろふなどに懸る枕詞として、詠まれている。

(注)(五八三の訳)こんなにもお慕いしている私を、月草のように移り気な女とお思いなのか。私の思う方がお便りすらも下さらない。(同上)

(注)(二七五六の訳)露草の花のようにはかない仮の命しか持ち合わせていない人の身であるのに、それをどういう身と知って、のちにでも逢おうなどと言うのですか。

(注)(三〇五八の訳)はなやかな宮廷に仕えている身ではあるけれど、色のさめやすい露草のように移り気な心、そんな心で私は思っているわけではないのに。(同上)

(注)(三〇五九の訳)あれやこれやと人は噂を言いふらしても、露草のような移り気な心、そんな心をこの私としたことが持つものですか(同上)

 

月草(つきくさ)に衣(ころも)ぞ染(そ)むる君がため斑(まだら)の衣(ころも)摺(す)らむと思ひて(作者未詳 巻七 一二五五)」のように、あの方のために染めようと、さらには、「月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露(あさつゆ)に濡(ぬ)れての後(のち)はうつろひぬとも(作者未詳 巻七 一三五一)、「月草(つきくさ)に衣(ころも)色どり摺(す)らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ(作者未詳 巻七 一三三九)」のように「染め」を詠い「つきくさ」の染めが色あせることを譬えとして恋心を詠いあげている。

(注)(一二五五の訳)露草で着物を摺染(すりぞ)めにしている。あの方のために、斑(まだら)に染めた美しい着物に仕立てようと思って。

(注)(一三五一の訳)露草でこの衣は摺染(すりぞ)めにしよう。朝露に濡れたそののちは、たたえ色が褪(あ)せてしまうことがあるとしても。

(注)(一三三九の訳)露草の花で着物を色取って染めたいと思うけれど、褪(あ)せやすい色だと人が言うのを聞くのがつらい。

 

 (注)の訳は、伊藤 博 著 「万葉集 一~四」(角川ソフィア文庫)によっている。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一~四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」