●歌は、「ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む」である。
●歌碑(プレート)は、一宮市萩原町 高松分園(45)にある。
●歌をみてみよう。
◆久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似有将見
(作者未詳 巻十六 三八三七)
≪書き下し≫ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすは)に溜(た)まれる水の玉に似たる見む
(訳)空から雨でも降って来ないものかな。蓮の葉に留まった水の、玉のようにきらきら光るのが見たい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(282)」で紹介している。
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「蓮」が詠まれている歌は、万葉集では四首収録されている。歌をみてみよう。
◆御佩乎 劔池之 蓮葉尓 渟有水之 徃方無 我為時尓 應相登 相有君乎 莫寐等 母寸巨勢友 吾情 清隅之池之 池底 吾者不忘 正相左右二
(作者未詳 巻十三 三二八九)
≪書き下し≫み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の ゆくへなみ 我(わ)がする時に 逢(あ)ふべしと 逢ひたる君を な寐寝(いね)そと 母聞(き)こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(わ)れは忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに
(訳)お佩(は)きになる剣の名の剣の池、その池の蓮葉に溜まっている水玉がどちらへもいけないように、私がどうしてよいのか途方に暮れている時に、逢うべき定めなのだとのお告げによってお逢いしたあなた、そんなあなたなのに一緒に寝てはいけないと母さんはおっしゃるけど、私の心は、清隅の池のように清く澄んでおり、その池の底のように心の底からあなたを思っている私は、忘れるなんてことを致しますまい。もう一度じかにお逢いできるその日まで。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)みはかし【御佩刀】名詞:お刀。▽「佩刀」の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)冒頭から四句は序。「ゆくへなみ」を起こす。
(注)みはかしを【御佩刀を】[枕]《「を」は間投助詞》:「剣 (つるぎ) 」と同音を含む地名「剣の池」にかかる。(goo辞書)
(注)剣の池:橿原市石川町の池
(注)なみ【無み】 ※派生語。 ⇒なりたち 形容詞「なし」の語幹+接尾語「み」(学研)
(注)左右(まで):両手のことを「まて」、「まで」といったことからの戯書。
この歌の反歌もあるのでみておこう。
◆古之 神乃時従 會計良思 今心文 常不所忘
(作者未詳 巻十三 三二九〇)
≪書き下し≫いにしへの神の時より逢ひけらし今の心も常(つね)忘らえず
(訳)はるか古(いにしえ)の神の御代から二人は逢っていたのであるらしい。今も今もあなたが心にかかって片時も忘れることができません。(同上)
三二八九歌の「剣の池」にある紀皇女の歌碑は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(137)」で紹介している。
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題詞は、「詠荷葉歌」<荷葉(はちすば)を詠む歌>である。
◆蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之
(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二六)
≪書き下し≫蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家にあるものは芋(うも)の葉にあらし
(訳)蓮(はす)の葉というものは、まあ何とこういう姿のものであったのか。してみると、意吉麻呂の家にあるものなんかは、どうやら里芋(いも)の葉っぱだな。(同上)
(注)蓮葉:宴席の美女の譬え。
(注)宇毛乃葉:妻をおとしめて言った。芋(うも)に妹(いも)をかけた。
ここにいう「芋(うも)」は、現在の「里芋」である。日本にはイネよりも早く伝わっている。昔から食用にしていた「山芋(やまいも)」(自然生<じねんじょう>)に対し、里(人の住むところ)で栽培したので「里芋」という。
蓮は、きれいな花を咲かせるので、美人の形容とされていた。
この歌の題詞は「長忌寸意吉麻呂が歌八首」である。すべてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(380)で紹介している。
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題詞は、「獻新田部親王歌一首 未詳」<新田部親王(にひたべのみこ)に献(たてまつ)る歌一首 未詳>である。
(注)未詳:この歌の作者の氏名が未詳の意
◆勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之
(作者未詳 巻十六 三八三五)
≪書き下し≫勝間田(かつまた)の池は我(わ)れ知る蓮(はちす)なししか言ふ君が鬚(ひげ)なきごとし
(訳)勝間田の池のことは、私、よくよく存じています。蓮などございません。それはちょうど、蓮(れん)―怜(れん)とおっしゃる我が君にお鬚(ひげ)がないのと同じです。(同上)
(注)勝間田の池:奈良唐招提寺付近にあった池。
(注)蓮:美女を匂わす
左注は、「右或有人聞之曰 新田部親王出遊于堵裏御見勝間田之池感緒御心之中 還自彼池不任怜愛 於時語婦人曰 今日遊行見勝間田池 水影涛ゝ蓮花灼ゝ ▼怜断腸不可得言 尓乃婦人作此戯歌專輙吟詠也」<右は、ある人聞きて曰く、「新田部親王、堵(みやこ)の裏(うら)に出遊(いでま)す。勝間田の池を見る。御見(みそこなは)して、御心の中に感緒(め)づ。その池より還(かへ)りて、怜愛(れんあい)に忍びず。時に、婦人(ふじん)に語りて曰(い)はく、『今日(けふ)遊行(あそ)びて、勝間田の池を見る。水影濤々(たうたう)にして、蓮花灼々(しやくしやく)にあり。▼怜(おもしろ)きこと腸(はらわた)を断ち、得て言ふべくあらず』といふ。すなはち、婦人、この戯歌(きか)を作り、もはら吟詠す」といふ>である。
▼は、「忄+可」⇒「『忄+可』+怜」で「おもしろ」き
(注)怜愛(れんあい)に忍びず:いじらしく愛らしく思う気持ちに堪えられなかった
(注)婦人:ここでは親王の愛人か
(注)婦人はこの「蓮」に可憐な女への恋情をみて、歌をなした。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」