万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2497)―

●歌は、「奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも佞人が伴」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(消奈行文大夫) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「謗佞人歌一首」<佞人(ねいじん)を謗(そし)る歌一首>である。

(注)ねいじん【佞人】:心がよこしまで人にへつらう人。(weblio辞書 三省堂大辞林 第三版)

 

◆奈良山乃 兒手柏之 兩面尓 左毛右毛 ▼人之友

       (消奈行文大夫 巻十六 三八三六)

 ※ ▼は、「イ+妾」となっているが、「佞」が正しい表記である。➡以下、「佞人」と書く。読みは、「こびひと」あるいは「ねぢけびと」➡以下、「こびひと」と書く。

 

≪書き下し≫奈良山(ならやま)の児手柏(このてかしは)の両面(ふたおも)にかにもかくにも佞人(こびひと)が伴(とも)

 

(訳)まるで奈良山にある児手柏(このてかしわ)のように、表の顔と裏の顔とで、あっちにもこっちにもいい顔をして、いずれにしても始末の悪いおべっか使いの輩よ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「奈良山乃 兒手柏之」は、「兩面尓」を起こす序。(伊藤脚注)

(注)このてかしは【側柏・児の手柏】名詞:木の名。葉は表裏の区別がなく、小枝は手のひらを広げたような形状をしている。「このてがしは」とも。 ※かしわとも栃(とち)の木ともいわれ、正確には特定できない。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

 

 左注は、「右歌一首博士消奈行文大夫作之」<右の歌一首は、博士(はかせ)、消奈行文大夫(せなのかうぶんのまへつきみ)作る>である。

(注)消奈行文:奈良時代の官吏。高倉福信(たかくらのふくしん)の伯父。幼少より学をこのみ明経第二博士となり、養老5年(721)学業優秀として賞された。神亀(じんき)4年従五位下。「万葉集」に1首とられている。また「懐風藻」に従五位下大学助、年62とあり、五言詩2首がのる。武蔵(むさし)高麗郡(埼玉県)出身。(コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2070)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 万葉集の「副詞」にはなにか惹かれるものがある。

 「かにもかくにも」が詠われている歌をみてみよう。

 

■四一二歌■

題詞は、「市原王歌一首」<市原王(いちはらのおおきみ)が歌一首>である。

 

◆伊奈太吉尓 伎須賣流玉者 無二 此方彼方毛 君之随意

       (市原王 巻三 四一二)

 

≪書き下し≫いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに

 

(訳)頭上に束ねた髪の中に秘蔵しているという玉は、二つとない大切な物です。どうぞこれをいかようにもあなたの御心のままになさって下さい。(同上)

(注)いなだき 〘名〙:いただき (コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)きすむ【蔵む】他動詞:大切に納める。秘蔵する。隠す。(学研)

(注)かくにも君がまにまに:いかようにもご随意に。大切にしてほしい意がこもる。(伊藤脚注)

(注の注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ⇒参考:名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)ここでは①の意

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1313)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■六二八歌■

 題詞は、「佐伯宿祢赤麻呂和歌一首」<佐伯宿禰赤麻呂が和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆白髪生流 事者不念 變水者 鹿▼藻闕二毛 求而将行

      (佐伯赤麻呂 巻四 六二八)

     ※ ▼煮るという漢字。「者」の下に「火」

 

≪書き下し≫白髪生ふることは思はずをち水はかにもかくにも求めて行かむ

 

(訳)白髪が生えていることは何とも思いません。だけど、あなたがせっかくすすめてくださることですから、若返り水だけはまあとにかく探しに行くことにします。それでもかまいませんか。(同上)

(注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

 

 

 

■六二九歌■

題詞は、「大伴四綱宴席歌一首」<大伴四綱が宴席歌一首>である。

(注)四綱が娘子の立場で歌ったもの。(伊藤脚注)

 

◆奈何鹿 使之来流 君乎社 左右裳 待難為礼

       (大伴四綱 巻四 六二九)

 

≪書き下し≫何(なに)すとか使(つかひ)の来つる君をこそかにもかくにも待ちかてにすれ

 

(訳)どうしようと使いなんぞよこしたの。何はさておき、あなたご自身をこそ今や遅しと待ちかねておりますのに。(同上)

(注)かにもかくにも:前歌の第四句を「何をさしおいても」の意に転じながら応じている。(伊藤脚注)

 

 先の六二八歌ならびにこの歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2004)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「かにもかくにも」の万葉仮名表記は、「左毛右毛(三八三六歌)」、「此方彼方毛(四一二歌)」、「鹿▼藻闕二毛(六二八歌)、「左右裳(六二九歌)」と様々である。

 六二九歌の「左右裳」を「かにもかくにも」と何故読めるのかと調べてみたが、分からない。

AIに問いかけてみたら、いつもの事であるが、万葉歌でない歌を万葉歌として例示してきたり、「左右裳」を「かにもかくにも」と読むのは間違いとのそっけない返事。「そこに愛(AI)はあるのか!?」

万葉歌でないと指摘したら、言い訳たっぷり、ちょい可愛いところも。

 

ジャパンナレッジの「小林祥次郎稿『日本のことば遊び』第14回万葉集の戯書」に「左右の両手をマテ(あるいはマデ)と言う」趣旨のことが書かれているが、「左右裳」の記述は見当たらなかった。

「左毛右毛(かもかも)九六五歌」、「云ゝ(かにかくに)二六四八歌」が見つかった。

 

 九六五歌と二六四八歌もみてみよう。

■九六五歌■

◆凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞

       (娘子 巻六 九六五)

 

≪書き下し≫おほならばかもかもせむを畏(かしこ)みと振りたき袖(そで)を忍(しの)びてあるかも

 

(訳)あなた様が並のお方であられたなら、別れを惜しんでああもこうも思いのままに致しましょうに、恐れ多くて、振りたい袖も振らにでこらえております。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。(学研)

(注)かもかも>かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)

(注)振りたき袖を忍びてある:振りたい袖なのにこらえている。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その801)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

■二六四八歌■

云ゝ物者不念 斐太人乃 打墨縄之 直一道二

       (作者未詳 巻十一 二六四八)

 

≪書き下し≫かにかくに物は思はじ飛騨人(ひだひと)の打つ墨縄(すみなは)のただ一道(ひとみち)に

 

(訳)あれこれと物思いすることは、もうすまい。飛騨の工匠(たくみ)の打った墨縄が真一文字に延びているように、ただ一筋にあの方を信じよう。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

四一二歌の「此方彼方毛 」の「このかたかのかたも」が「あちこち」の意味で、「左も右も」と書き手が遊んだと思われる。「左も(毛)」「右も(毛)」>左、右も(裳)」と考えられるのではなかろうか。

 

万葉仮名も書き手の遊び心が加わりより楽しいものに思えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「小林祥次郎稿『日本のことば遊び』第14回万葉集の戯書」 (ジャパンナレッジHP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus」