万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2498)―

●歌は、「をみなへし咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出た廻り来ぬ」である。

茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(大伴池主) 20230927撮影

●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌>である。

(注)家持出発後一月め。(伊藤脚注)

(注)館:二上山東麓勝興寺あたりという。(伊藤脚注)

(注)宴:家持を歓迎する宴であろう。越中歌壇の出発を告げる大切な宴であった。(伊藤脚注)

 

 

◆乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴

      (大伴池主 巻十七 三九四四)

 

≪書き下し≫をみなへし咲きたる野辺(のへ)を行き廻(めぐ)り君を思ひ出(で)た廻(もとほ)り来(き)ぬ

 

(訳)女郎花の咲き乱れている野辺、その野辺を行きめぐっているうちに、あなたを思い出して廻り道をして来てしまいました。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)廻(もとほ)り来(き)ぬ:廻り道をしてわざわざ立ち寄ってしまいました。このように歌うのが挨拶歌の型。(伊藤脚注)

 

 

 この歌については、三九四三から三九五五歌までとともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その335)」で紹介しているが、歌碑巡りの初期でもあり、実際に高岡市の歌碑巡りを行ったのでそれらを踏まえて追記や修正を加えながら改めて全歌を見直したのである。。

 

■三九四三歌■

◆秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物

       (大伴家持 巻十七 三九四三)

 

≪書き下し≫秋の田の穂向き見がてり我(わ)が背子がふさ手折(たを)り来(け)るをみなへしかも

 

(訳)秋の田の垂穂(たりほ)の様子を見廻りかたがた、あなたがどっさり手折って来て下さったのですね、この女郎花(おみなえし)は。(同上)

(注)我が背子:客をさす。大伴池主であろう。(伊藤脚注)

(注)ふさ手折る:ふさふさと手折って来た。(伊藤脚注)

(注の注)ふさ 副詞:みんな。たくさん。多く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(1349表①~③)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■三九四五歌■

◆安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛

        (大伴池主 巻十七 三九四五)

 

≪書き下し≫秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し白栲(しろたへ)の妹(いも)が衣手(ころもで)着むよしもがも

 

(訳)秋の夜は明け方がとくに寒い。いとしいあの子の着物の袖、その袖を重ねて着て寝る手立てがあればよいのに。(同上)

(注)土地の物を持ち上げる前二首に対し、これは都の妻を思う歌。(伊藤脚注)

(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

 

 

■三九四六歌■

◆保登等藝須 奈伎氐須疑尓 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓

        (大伴池主 巻十七 三九四六)

 

≪書き下し≫ほととぎす鳴きて過ぎにし岡(をか)びから秋風吹きぬよしもあらなくに

 

(訳)時鳥(ほととぎす)が鳴き声だけ残して飛び去ってしまった岡のあたりから、秋風が寒々と吹いてくる。あの子の袖を重ねる手立てもありはしないのに。(同上)

(注)をかび 【岡傍】名詞:「をかべ」に同じ。 ※「び」は接尾語。(学研)

(注)よしもあらなくに:妻の着物を重ね着る手だてもないのに。前歌の望郷を深めて結ぶ。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右の三首は、掾大伴宿禰池主作る」である。

 

 池主の三九四四から三九四六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1798)」で紹介している。この稿では、池主の全三十一首と漢詩も紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■三九四七歌■

◆家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物

        (大伴家持 巻十七 三九四七)

 

≪書き下し≫今朝の朝明(あさけ)秋風寒し遠(とほ)つ人雁(かり)が来鳴かむ時近みかも

 

(訳)「秋の夜(よ)は暁(あかとき)寒し」との仰せ、たしかに今朝の夜明けは秋風が冷たい。遠来の客、雁が来て鳴く時が近いせいであろうか。(同上)

(注)秋風:前歌の「秋風」を承ける。(伊藤脚注)

(注)遠つ人:「雁」の枕詞。ここは、都の消息を運ぶ鳥として用いた。(伊藤脚注)

(注の注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(学研)

 

 この歌碑は、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1350)」で紹介している。歌碑の写真のみ紹介します。

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)万葉歌碑(大伴家持) 20211111撮影

 

 

■三九四八歌■

◆安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比氐之紐乎 登伎毛安氣奈久尓

        (大伴家持 巻十七 三九四八)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)に月経(へ)ぬしかれども結(ゆ)ひてし紐(ひも)を解きも開(あ)けなくに

 

(訳)都離れたこの遠い鄙の地に来てから、月も変わった。けれども、都の妻が結んでくれた着物の紐、この紐を解き開けたことなどありはしない・・・。(同上)

(注)結ひてし紐:妻が結んでくれた紐。三九四五の下三句を承けて望郷の念を深めた。以下三首、紐をめぐって展開する。(伊藤脚注)

 

 

 

■三九四九歌■

◆安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比母毛登吉佐氣氐 於毛保須良米也

         (大伴池主 巻十七 三九四九)

 

≪書き下し≫天離る鄙にある我(わ)れをうたがたも紐解(と)き放(さ)けて思ほすらめや

 

(訳)都離れたこの遠い田舎で物恋しく過ごしてわれら、このわれらを、紐解き放ってくつろいでいるなどと思っておられるはずがあるものですか。(同上)

(注)うたがたも紐解き放(さ)けて:我らがゆめゆめ紐を解き放ってくつろいでいるなどと。(伊藤脚注)

(注の注)うたがたも 副詞:①きっと。必ず。真実に。②〔下に打消や反語表現を伴って〕決して。少しも。よもや。※上代語。(学研)

(注)思ほすらめや:都の方も思っておられることなどあるものですか。(伊藤脚注)

(注の注)めや 分類連語:…だろうか、いや…ではない。※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」(学研)

 

 

 

◆伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母

       (大伴家持 巻十七 三九五〇)

 

≪書き下し≫家にして結(ゆ)ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも

 

(訳)奈良の家で妻が結んでくれた紐、この紐を解き開けることなく思いつめている心、さびしいこの心のうちを誰がわかってくれるのであろうか。(同上)

(注)誰れか知らむも:誰がわかってくれるだろうか。カは反語。わかってくれるのはあなた方だけの意がこもる。(伊藤脚注)

 

 

 

■三九五一歌■

◆日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之

        (秦忌寸八千嶋 巻十七 三九五一)

 

≪書き下し≫ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺(のへ)を行(ゆ)きつつ見(み)べし

 

(訳)ひぐらしの鳴いているこんな時には、女郎花の咲き乱れる野辺をそぞろ歩きしながら、その美しい花をじっくり賞(め)でるのがよろしい。(同上)

(注)をみなえし:三九四三,三九四四歌の女郎花を承ける。越中のヲミナの意を込め、望郷の念の深まりを現地への関心に引き戻す。(伊藤脚注)

 

 

 

■三九五二歌■

題詞は、「古歌一首 大原高安真人作 年月不審 但随聞時記載茲焉」<古歌一首 大原高安真人作る 年月審らかにあらず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す>である。

 

◆伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春母 都祢加久之見牟

        (大原高安真人 巻十七 三九五二)

 

≪書き下し≫妹が家に伊久里(いくり)の社(もり)の藤(ふぢ)の花今(いま)来(こ)む春も常(つね)かくし見む

 

(訳)いとしい子の家にいくという、ここ伊久里(いくり)の森の藤の花、この美しい花を、まためぐり来る春にもいつもこのように賞(め)でよう。(同上)

(注)いもがいえに いもがいへ【妹が家に】( 枕詞 )妹の家に行くの意から同音の地名「伊久里」にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)伊久里:富山県礪波市井栗谷か。(伊藤脚注)

(注)藤の花:ここも越中の女性の姿を匂わす。秋の花を歌う前歌に対し、春の花を歌う古歌を持ち出した。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首傳誦僧玄勝是也」<右の一首、伝誦(でんしよう)するは僧玄勝(げんしよう)ぞ>である。

 ※ この歌は、題詞と左注にあるように、僧玄勝が伝承・披露した大原高安真人作の古歌である。

 

 

 

 

■三九五三歌■

◆鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓

       (大伴家持 巻十七 三九五三)

 

≪書き下し≫雁(かり)がねは使ひに来(こ)むと騒(さわ)くらむ秋風寒みその川の上(へ)に

 

(訳)雁たちは消息を運ぶ使いとしてやって来ようと、今頃鳴き騒いでいることであろう。秋風が寒くなってきたので、なつかしいあの川べりで。(同上)

(注)その川:佐保川であろう。三九四七歌を承ける。宴の望郷歌のまとめ。(伊藤脚注)

 

 

 

■三九五四歌

◆馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇末尓 与須流奈弥見尓

        (大伴家持 巻十七 三九五四)

 

≪書き下し≫馬並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の清き礒廻(いそみ)に寄する波見(み)に

 

(訳)さあ、馬を勢揃いして鞭打ちながらでかけよう。渋谿の清らかな磯べに打ち寄せる波を見に。(同上)

(注)渋谿の清き礒廻(いそみ):富山県高岡市太田(雨晴)の海岸。宴の現地讃美をまとめる歌。場所の変更は宴の打ち上げを暗示する。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その847)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■三九五五歌■

◆奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴

        (土師道良 巻十七 三九五五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)は更(ふ)けぬらし玉櫛笥(たまくしげ)二上山(ふたがみやま)に月かたぶきぬ

 

(訳)集うこの夜はすっかり更けたようです。玉櫛笥(たましげ)のあの二上山に、月が傾いてきました。(同上)

(注)たまくしげ:「二上山」の枕詞。以下、宴を閉ざす時間になったことを現す。(伊藤脚注)

(注の注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

(注)二上山高岡市北方の山。国府の西。(伊藤脚注)

 

 

 越中国府があったとされる勝興寺唐門と同寺境内の越中国庁碑(この裏に家持の四一三六歌が刻されている)

 これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その822)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 



 

 三九五四歌の歌碑は、高岡市太田 道の駅「雨晴」にもある。

 これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その868)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」