万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1313)―島根県益田市 県立万葉植物園(P24)―万葉集 巻三 四〇七

●歌は、「春霞春日の里の植え小水葱苗なりと言ひし枝はさしにけむ」である。

f:id:tom101010:20220102214544j:plain

島根県益田市 県立万葉植物園(P24)万葉歌碑<プレート>(大伴駿河麻呂

●歌碑(プレート)は、島根県益田市 県立万葉植物園(P24)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴宿祢駿河麻呂娉同坂上家之二嬢歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂、同じき坂上家の二嬢(おといらつめ)を娉(つまど)ふ歌一首>である。

(注)坂上家之二嬢:宿奈麻呂と坂上郎女との二女

 

◆春霞 春日里之 殖子水葱 苗有跡云師 柄者指尓家牟

      (大伴駿河麻呂 巻三 四〇七)

 

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)春日(かすが)の里の植ゑ小水葱(こなぎ)苗(なへ)なりと言ひし枝(え)はさしにけむ

 

(訳)春日の里に植えられたかわいい水葱、あの水葱はまだ苗だと言っておられましたが、もう枝がさし伸びたのことでしょうね。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)植ゑ小水葱:童女である二嬢の譬え。「植ゑ」は栽培されたの意。(伊藤脚注)

(注)枝(え)はさしにけむ:成長して大人びてきたことだろうの意。(伊藤脚注)

(注)大伴駿河麻呂 (おおとものするがまろ):奈良時代の公卿(くぎょう)。天平(てんぴょう)18年越前守(えちぜんのかみ)。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の謀反にくみしたとして弾劾されるが、のち出雲守(いずものかみ)に任じられ、宝亀(ほうき)3年陸奥按察使(むつあぜち)となる。陸奥守・鎮守将軍として蝦夷(えみし)を攻略、6年参議にすすむ。「万葉集」に短歌11首がある。宝亀7年7月7日死去。(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 

 駿河麻呂が大伴坂上郎女の娘、二嬢を娉(つまど)うに際しての両者の掛け合い的な歌が収録されている。これらの歌をみてみよう。

 

題詞は、「大伴宿祢駿河麻呂梅歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂が梅の歌一首>である。

 

◆梅花 開而落去登 人者雖云 吾標結之 枝将有八方

      (大伴駿河麻呂 巻三 四〇〇)

 

≪書き下し≫梅の花咲きて散りぬと人は言へど我(わ)が標(しめ)結(ゆ)ひし枝(えだ)ならめやも

 

(訳)梅の花が咲いてもう散ったと人は言っているけれど、まさか、我がものとしてしるしをつけておいたあの枝ではないでしょうな。(同上)

(注)上二句、ある少女が成人して結婚してしまったことの譬え。(伊藤脚注)

(注)しめ【標・注連】名詞:①神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。②「標縄(しめなは)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 次の歌は、駿河麻呂と坂上郎女の掛け合いが面白い。

 

題詞は、「大伴坂上郎女宴親族之日吟歌一首」<大伴坂上郎女、族(うがら)を宴(うたげ)する日に吟(うた)ふ歌一首>である。

 

◆山守之 有家留不知尓 其山尓 標結立而 結之辱為都

       (大伴坂上郎女 巻三 四〇一)

 

≪書き下し≫山守(やまもり)のありける知らにその山に標(しめ)結(ゆ)ひ立てて結(ゆ)ひの恥(はぢ)しつ

 

(訳)すでに山の番人がいたとはつゆ知らず、その山に我がものとしてしるしを張り立てて、私はすっかり赤恥をかきました。(同上)

(注)山守:女の夫の譬え。(伊藤脚注)

 

 

題詞]は、「大伴宿祢駿河麻呂即和歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂、即(すなは)ち和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆山主者 盖雖有 吾妹子之 将結標乎 人将解八方

      (大伴駿河麻呂 巻三 四〇二)

 

≪書き下し≫山守はけだしありとも我妹子(わぎもこ)が結(ゆ)ひけむ標(しめ)を人解(と)かめやも

 

(訳)その女の方にかりに番人がいたとしても、大伴の坂上の刀自(とじ)さまの張られた標(しめ)だもの、その標を解く人など誰もおりますまい。むろん、その方の番人もあなた様を恐れて従いましょう。(同上)

(注)我妹子:ここでは前歌の作者坂上郎女をさす。

 

 四〇一歌では、刀自として一族の面倒をみている坂上郎女が、駿河麻呂の四〇〇歌を踏まえて、男の立場での歌を詠い、駿河麻呂をからかったのであろう。

 それに対して、駿河麻呂が「我妹子が結ひけむ標を人解かめやも」と切り返したのである。大伴一族の宴の場であるので、坂上郎女や駿河麻呂のことをよく知っているので、場は大いに盛り上がったものと思われる。

 

 坂上郎女の人となりについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(1059)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 母親としての坂上郎女の鋭い切り口の歌に対し駿河麻呂が二嬢への真摯な気持ちを秘めつつ切り返しているやりとりがなかなかの人間模様を浮かび上がらせている。

 四〇九から四一二歌の歌群は、宴席での歌のようである。みてみよう。

 

題詞は、「大伴宿祢駿河麻呂歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂が歌一首>である。

 

◆一日尓波 千重浪敷尓 雖念 奈何其玉之 手二巻難寸

       (大伴駿河麻呂 巻三 四〇九)

 

≪書き下し≫一日(ひとひ)には千重波(ちへなみ)しきに思へどもなぞその玉の手に巻きかたき

 

(訳)一日のあいだにつけても、千重に打ち寄せる波さながらに、しきりに手にしたいと思っているのに、そこにある玉、その玉がどうしてこうも手に巻きつけにくいのでありましょうか。(同上)

(注)ちへなみ【千重波・千重浪】名詞:幾重にも重なって寄せる波。(学研)

(注)しき-【頻】接頭語:〔名詞・動詞などに付いて〕繰り返し。しきりに。重ねて。「しき鳴く」「しき波」「しき降る」(学研)

(注)その玉:あなたの持つ玉。坂上郎女の子、二嬢の譬え。(伊藤脚注)

 

 

題詞は、「大伴坂上郎女橘歌一首」<大伴坂上郎女が橘(たちばな)の歌一首>である。

 

◆橘乎 屋前尓殖生 立而居而 後雖悔 驗将有八方

      (大伴坂上郎女 巻三 四一〇)

 

≪書き下し≫橘を宿に植ゑ生(お)ほし立ちて居(ゐ)て後(のち)に悔(く)ゆとも験(しるし)あらめやも

 

(訳)橘をわが家(や)の庭に植え育てて、そのあいだ中、立ったり座ったりして気にもんだあげく、人に取られてのちに悔やんでも、何のかいがありましょう。(同上)

(注)橘:ここでは娘の二嬢の譬え。

(注)立ちて居て:立ったり座ったりしていつも気にして。(伊藤脚注)

(注の注)ゐたつ【居立つ・居起つ】自動詞:座ったり立ったりする。▽熱心に世話するようすや、落ち着かないようすにいう。(学研)

(注)しるし【徴・験】名詞:①前兆。兆し。②霊験。ご利益。③効果。かい。(学研)ここでは③の意

 

 

題詞は、「和歌一首」<和(こた)ふる歌一首>である。

 

◆吾妹兒之 屋前之橘 甚近 殖而師故二 不成者不止

      (大伴駿河麻呂 巻三 四一一)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)がやどの橘(たちばな)いと近く植ゑてし故(ゆゑ)にならずはやまじ

 

(訳)あなたのお庭の橘、その橘は、これ見よがしに植えてあるのですから、我がものとしないわけにはゆきません。(同上)

(注)我妹子:ここでは、娘の母親である前歌の坂上郎女をさす。

 

 

題詞は、「市原王歌一首」<市原王(いちはらのおおきみ)が歌一首>である。

 

◆伊奈太吉尓 伎須賣流玉者 無二 此方彼方毛 君之随意

                 (市原王 巻三 四一二)

 

≪書き下し≫いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに

 

(訳)頭上に束ねた髪の中に秘蔵しているという玉は、二つとない大切な物です。どうぞこれをいかようにもあなたの御心のままになさって下さい。(同上)

(注)いなだき 〘名〙:いただき (コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)きすむ【蔵む】他動詞:大切に納める。秘蔵する。隠す。(学研)

(注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

(注の注)かくにも君がまにまに:いかようにもご随意に。大切にしてほしい意がこもる。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1195)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 四〇九歌で、二嬢を娶りたいと思うが、母親たる坂上郎女がすんなりと許してくれない

ことを皮肉っぽく詠ったのに対し、郎女は四一〇歌で「立ちて居て後に悔ゆとも験あらめやも」と、これほど大切に育てて来た娘をおいそれと下手な男にはやれないという気持ちをにじませて、少しからかい的に詠ったものである。これに対し、駿河麻呂は四一一歌で、「いと近く植ゑてし故にならずはやまじ」と郎女の育て方をほめつつ切り返しているのである。

 そして市原王が四一二歌で、玉(二嬢の譬え)を大切にしてほしいと坂上郎女に成り代わって和(こた)、思いやりの気持ちがこもる心優しい歌で場を収めているのである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」