万葉歌碑を訪ねて―その120―
●歌は、「うち渡す竹田の原に鳴く鶴の間なく時なし我が恋ふらくは」である。
●歌をみてみよう。
◆打渡 竹田之原尓 鳴鶴之 間無時無 吾戀良久波
(大伴坂上郎女 巻四 七六〇)
≪書き下し≫うち渡す竹田の原に鳴く鶴(たづ)の間(ま)なく時なし我(あ)が恋ふらくは
(訳)見渡す限り広がった竹田の原で鳴く鶴(つる)のように、絶え間もなしにいつもなのだよ。私がお前さんを恋しく思うのは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)うちわた・す 【打ち渡す】:①打ち並べる。②(鞭(むち)などで打って馬を)
渡らせる。③ずっと見渡す。
題詞は、「大伴坂上郎女従竹田庄贈女子大嬢歌二首」<大伴坂上郎女、竹田(たけだ)の庄(たどころ)より女子(むすめ)大嬢に贈る歌二首>である。
もう一首のほうもみてみよう。
◆早河之 湍尓居鳥之 縁乎奈弥 念而有師 吾兒羽裳■怜
(大伴坂上郎女 巻四 七六一)
※「■怜」わはれ ■は「忄+可」
≪書き下し≫早川の瀬に居(ゐ)る鳥のよしをなみ思ひてありし我(あ)が子はもあはれ
(訳)流れの早い川瀬に降り立つ鳥が足をとられそうになるように、便りどころがなくて心細げに沈んでいた、我が子はまあ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
ここに登場する坂上大嬢こそが家持の正妻になる人である。
大伴家持の女性遍歴は有名であるが、その最初に知った女性が、叔母坂上郎女の娘坂上大嬢(おおいらつめ)である。これが初恋である。家持一五,六歳の頃か。
巻四に、家持が最初に歌を取り交わした女性として坂上大嬢が現れる。伊藤 博氏は「萬葉集相聞の世界」(塙書房)の中で、「巻四は、だいたい時代順に歌を配列した家持の歌日記とみられるから、先頭の女性大嬢は、家持の最初の女性とみていい。」と書いておられる。
巻四 五八一~五八四歌の題詞は、「大伴坂上家之大娘報贈大伴宿祢家持歌四首」<大伴坂上家(さかのうへのいへ)の大娘(おほいらつめ)、大伴宿祢家持に報(こた)へ贈る歌四首>とある。
四首の書き下しを列挙してみる。
⦿五八一歌
生きてあらば見まくも知らず何(なに)しかも死なむよ妹(いも)と夢(いめ)に見えつる
⦿五八二歌
ますらをもかく恋ひたるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも
⦿五八三歌
月草のうつろひやすく思へかも我(あ)が思ふ人の言(こと)も告げ来(こ)ぬ
⦿五八四歌
春日山朝立つ雲の居(ゐ)ぬ日なく見まく欲しき君にもあるかも
この題詞から、伊藤 博氏は前出の著のなかで、「大嬢が、四首の歌を家持に『報へ贈』ったと、書いている。家持の歌はないが、彼が先に歌を送ったわけである。」と書いておられる。さらに、五八二歌に関して、「タワヤメとはマスラヲ(大夫)に対する語で、かならずしも幼女の意ではないが、ここに、『幼婦』なる用字をもって記すには、時の大嬢の年令と関係があるのかもしれない。」として、家持との年の差を考えれば八,九才で歌がつくれる年ではない、ことから母郎女の代作ではとし、ひるがえってこの恋は祝福されていたと、書かれている。
家持は、そのあと様々な女性遍歴を経て、二一,二才のころ、大嬢との恋愛を再開するのである。そして二二才で大嬢と結婚するのである。
伊藤氏は「家持の女性遍歴は、結局、坂上大嬢が中心であった。他の女性は、ことごとく、このヒロインを浮きたたせる伴奏を演じている感がある。いいかえれば、その恋愛生活は、家持と大嬢を主人公とする恋物語の性格を、顕著に帯びているということができる。」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 著 (桜楓社)
★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
※20230206朝食関連記事削除、一部改訂