万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2101)―山口県岩国市柱野 柱野小学校―万葉集 巻四 五六七

●歌は、「周防にある岩国山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道」である。

山口県岩国市柱野 柱野小学校万葉歌碑(山口忌寸若麻呂)

●歌碑は、山口県岩国市柱野 柱野小学校にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大宰大監大伴宿祢百代等贈驛使歌二首」<大宰大監大伴宿禰百代ら、駅使(はまゆづかひ)に贈る歌二首>である。

 

◆周防在 磐國山乎 将超日者 手向好為与 荒其道

       (山口忌寸若麻呂 巻四 五六七)

 

≪書き下し≫周防(すは)にある岩国(いはくに)山を越えむ日は手向(たむ)けよくせよ荒しその道

 

(訳)周防(すおう)の国に聞こえた岩国(いわくに)山を越える日には、峠の神に心こめて手向(たむ)けをしなさい。けわしくて危険ですよ、その道は。(伊藤 博著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)周防:山口県東南部。(伊藤脚注)

(注)いはくにやま【磐国山・岩国山】:山口県岩国市多田西方、欽明路峠付近の山。中国街道の要所で坂道の険しいことで知られた。古くは紅葉の名所。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

欽明路峠 グーグルマップより引用させていただきました。

 

 左注は、「右一首少典山口忌寸若麻呂」< 右の一首は少典(せうてん)山口忌寸若麻呂(やまぐちのいみきわかまろ)>である。

 

 五六六歌もみてみよう。

 

草枕 羈行君乎 愛見 副而曽来四 鹿乃濱邊乎

       (大伴百代 巻四 五六六)

 

≪書き下し≫草枕旅行く君を愛(うるは)しみたぐひてぞ来(こ)し志賀(しか)の浜辺(はまへ)を

 

(訳)都に向けて旅立って行くあなた方、このあなた方が慕わしく離れがたいので、つい寄り添って来てしまいました。志賀の浜辺の道を。(同上)

(注)たぐふ【類ふ・比ふ】自動詞:①一緒になる。寄り添う。連れ添う。②似合う。釣り合う。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)志賀の浜辺を:博多湾北の志賀島へ通じる浜道。ヲはを通っての意。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首大監大伴宿祢百代」< 右の一首は大監大伴宿禰百代>である。

 

 そして、この二首の左注は、「以前天平二年庚午夏六月 帥大伴卿忽生瘡脚疾苦枕席 因此馳驛上奏 望請庶弟稲公姪胡麻呂欲語遺言者 勅右兵庫助大伴宿祢稲公治部少丞大伴宿祢胡麻呂兩人 給驛發遣令省卿病 而逕數旬幸得平復 于時稲公等以病既療 發府上京 於是大監大伴宿祢百代少典山口忌寸若麻呂及卿男家持等相送驛使 共到夷守驛家 聊飲悲別乃作此歌」<以前(さき)は、天平の二年庚午(かのえうま)の夏の六月に、帥(そち)大伴卿たちまちに瘡(かさ)を脚に生(な)し、枕席(ちんせき)に疾(や)み苦(くる)しぶ。これによりて馳驛(ちやく)して上奏し、望請庶弟(しよてい)稲公(いなきみ)、姪(てつ)胡麻呂(こまろ)に遺言を語らまく欲りすと望(のぞ)み請(こ)ふ。右兵庫助(うふやうごのすけ)大伴宿禰稲公、治部少丞(ぢぶのせうじよう)大伴宿禰胡麻呂の両人(ふたり)に勅(みことのり)して、駅(はまゆ)を賜ひて発遣(つかは)し、卿の病を省(とりみ)しめたまふ。しかるに、数旬を経(へ)て、幸(さき)く平復することを得(う)。時に、稲公ら、病のすでに療(い)えたるをもちて、府を発(た)ちて京に上る。ここに、大監大伴宿禰百代、少典山口忌寸若麻呂、また卿の男(こ)家持ら、駅使を相送りて、ともに夷守(ひなもり)の駅家(うまや)に到り、いささかに飲みて別れを悲しび、すなはちこの歌を作る>である。

(注)帥大伴卿:大伴旅人

(注)かさ【瘡】名詞:できもの。はれもの。(学研)

(注)ちんせき【枕席】〘名〙 (まくらと敷き物の意から):① ねどこ。寝具。② 寝室。ねや。また、夜の伽(とぎ)。枕藉。[補注]「ちん」は「枕」の慣用音で、正音は「しん」。「色葉字類抄」に「枕席 シムセキ」、「易林本節用集」に「枕席 シンセキ」の例が見られるので古くは「しんせき」と訓じられたか。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ちえき【馳駅】〘名〙:① 令制で、国家緊急の場合、駅使を派遣して諸道に三〇里(現在の約一六キロメートル)ごとに設けられた駅とその駅馬を使って通信すること。急ぐ場合の行程は一日一〇駅以上とされた。→飛駅(ひえき)。② 鎌倉時代、幕府の通信方法で、騎馬の使者が急行して通信すること。特に、京都の六波羅探題との間に使われ、六波羅飛脚、六波羅馳駅といわれた。飛脚。[補注]令制で駅制を使った通信を表わす語としては、「飛駅」と「馳駅」があり、同じことを意味する。ただ、「飛駅」が名詞として使われるのに対して、「馳駅」は「馳駅して」と、もっぱら動詞形で現われる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)当時、急使は奈良と大宰府の間を四、五日で走った。(伊藤脚注)

(注)しょてい【庶弟】〘名〙: 腹違いの弟。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)てつ【姪】〘名〙: 兄弟姉妹の子。めい、または、おい。[補注]古くは「おい」の意味をも表わしていたが、現在では「めい」だけをさしている。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)右兵庫助:右兵庫寮の次官。正六位下相当。(伊藤脚注)

(注)治部少丞:治部省の三等官。従六位上相当。(伊藤脚注)

(注)府を発ちて:大宰府を発って。

(注)家持:この時十三歳。旅人の名代として見送ったもの。(伊藤脚注)

(注)夷守(ひなもり)の駅家(うまや):所在不明。福岡県糟屋郡粕谷町内か。(伊藤脚注)

 

 天平二年(730年)六月、大伴旅人が「瘡を脚に生し」病に伏せる。死を覚悟したのであろう。「京から大伴宿禰稲公、治部少丞大伴宿禰胡麻呂の両人」を呼び寄せる。「数旬を経て、幸く平復することを得」となり、「稲公ら、病のすでに療えたるをもちて、府を発ちて京に」帰ることになり、「大伴宿禰百代、山口忌寸若麻呂、また卿の男(こ)家持ら」が見送りに立ち合ったのである。同年十月、旅人は大納言になり、十二月に故郷の家に戻ったのである。

 そして翌年七月に死去したのである。

 旅人は、大宰府に着任早々神亀五年(728年)四月に最愛の妻を失っている。政治的には、翌年二月に長屋王の変が起こり、頼みとした後ろ盾を失っているのである。

 ある意味、大宰府の任期中は、「死」と向き合わざるを得ず、この間に集中的に歌を作っているのである。

 万葉集には、旅人の歌は七十二首収録されているが、大宰府赴任前の歌はわずか二首、帰京後は七首を考えるといかに大宰府でのウエートが高いかがわかる。

 

 大宰府赴任以前の二首(三一五、三一六歌)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その974)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

五六六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1806)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 五六六歌の大伴百代ならびに五六七歌の山口忌寸若麻呂は、「梅花の宴」の一員であった。それぞれの歌をみてみよう。

 

■大伴百代の梅花の宴の歌(八二三歌)■

◆烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都ゝ  [大監伴氏百代]

      (伴氏百代 巻八 八二三)

 

≪書き下し≫梅の花散らくはいづくしかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ [大監(だいげん)伴氏百代(ばんじのももよ)]

 

(訳)梅の花が雪のように散るというのはどこなのでしょう。そうは申しますものの、この城の山にはまだ雪が降っています。その散る花はあの雪なのですね。(同上)

(注)城の山:大野山

(注)大監(だいげん):〘名〙 大宰府の判官のうちの上位の二人。正六位下相当。下に少監がある。

(注)伴氏百代:大伴宿祢百代(おほとものすくねももよ)。万葉集には、七首収録されている。

 

 

■山口忌寸若麻呂の梅花の宴の歌(八二七歌)■

◆波流佐礼婆 許奴礼我久利弖 宇具比須曽 奈岐弖伊奴奈流 烏梅我志豆延尓  [小典山氏若麻呂]

        (山氏若麻呂 巻八 八二七)

 

≪書き下し≫春されば木末隠(こぬれがく)りてうぐひすぞ鳴きて去(い)ぬなる梅が下枝(しづえ)に  [少典(せうてん)山氏若麻呂(さんじのわかまろ)]

 

(訳)春がやってくると、梢がくれに鴬が鳴いては飛び移って行く。枝の下枝あたりに。(同上)

(注)少典:律令制で、大宰府の主典(さかん)で大典(たいてん)の下に位するもの。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)山氏若麻呂:山口忌寸若麻呂(やまぐちのいみきわかまろ) 万葉集には二首(巻四 五六七・巻八 八二七)が収録されている。

 

 八二三、八二七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(太宰府番外その3)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■■大多麻根神社→岩国市柱野 柱野小学校■■

 周防大橋を渡り周防大島に別れを告げ、柱野小学校に向かう。約30分のドライブである。

 正門から入り車を止め、インターフォンで歌碑の撮影の許可をいただく。

柱野小学校

歌碑と校舎の一部



 

 

 

新版 万葉集 一 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1,056円
(2023/3/15 14:13時点)
感想(1件)

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「グーグルマップ」