万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2370)―

■ひるがお■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「高円の野辺のかほ花面影に見えつつ妹は忘れかねつも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

 

一六二九、一六三〇の歌群の題詞は、「大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌一首并短歌」<大伴宿禰家持、坂上大嬢に贈る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

一六二九歌からみていこう。

 

◆叩ゝ 物乎念者 将言為便 将為ゝ便毛奈之 妹与吾 手携而 旦者 庭尓出立 夕者床打拂 白細乃 袖指代而 佐寐之夜也 常尓有家類 足日木能 山鳥許曽婆 峯向尓 嬬問為云 打蝉乃 人有我哉 如何為跡可 一日一夜毛 離居而 嘆戀良武 許己念者 胸許曽痛 其故尓 情奈具夜登 高圓乃 山尓毛野尓母 打行而 遊徃杼 花耳 丹穂日手有者 毎見 益而所思 奈何為而 忘物曽 戀云物呼

     (大伴家持 巻八 一六二九)

 

≪書き下し≫ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為(せ)むすべもなし 妹(いも)と我(あ)れと 手たづさはりて 朝(あした)には 庭に出(い)で立ち 夕(ゆうへ)には 床(とこ)うち掃(はら)ひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)さし交(か)へて さ寝(ね)し夜や 常にありける あしひきの 山鳥(やまどり)こそば 峰(を)向(むか)ひに 妻どひすといへ うつせみの 人なる我れや 何(なに)すとか 一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も 離(さか)り居(ゐ)て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ故(ゆゑ)に 心なぐやと 高円(たかまど)の 山にも野にも うち行きて 遊びあるけど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れむものぞ 恋といふものを

 

(訳)つくづくと物を思うと、何と言ってよいか、どうしてよいか、処置がない。あなたと私と手と手を交わして、朝方には庭に下り立ち、夕方には寝床を払い清めては、袖を交わし合って共寝した夜が、いったいいつもあったであろうか。あの山鳥なら、谷を隔てて向かいの峰に妻どいをするというのに、この世の人である私は、何だってまあ一日一夜を離れているだけで、こんなにも嘆き慕うのであろうか。このことを思うと胸が痛んでならない。それで心のなごむこともあるかと、高円の山にも野にも、馬に鞭打って出かけて行き遊び歩いてみるけれど、花ばかりがいたずらに咲いているので、それを見るたびにいっそう思いがつのる。いったいどのようにしたら忘れることができるであろうか。この苦しい恋というものを。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ねもころに>ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形 (weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たづさはる【携はる】自動詞:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)

(注)床うち掃ひ:床を払い清めて。(伊藤脚注)

(注の注)はらふ【払ふ・掃ふ】他動詞:①取り除く。除き去る。②片づける。掃き清める③討伐する。平定する。(学研)ここでは②の意

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。※「さ」は接頭語。(学研)

(注)何すとか一日一夜も離り居て:何だってまた一夜一日を隔てているだけで。(伊藤脚注)

(注)なぐ【和ぐ】自動詞:心が穏やかになる。なごむ。(学研)

(注)花のみ:思う人の姿は見えず花のみが。(伊藤脚注)

(注)まして:さらにまさって。(伊藤脚注)

 

 

◆高圓之 野邊乃容花 面影尓 所見乍妹者 忘不勝裳

       (大伴家持 巻八 一六三〇)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の野辺(のへ)のかほ花(ばな)面影(おもかげ)に見えつつ妹(いも)は忘れかねつも

 

(訳)高円の野辺に咲きにおうかお花、この花のように面影がちらついて、あなたは、忘れようにも忘れられない。(同上)

(注)かほ花:かきつばた他諸説がある。上二句は序。「面影」を起しつつ、「妹」を匂わす。(伊藤脚注)

 

 一六二九・一六三〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1849)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

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 「かほ花」は集中、四首が収録されている。他の三首をみてみよう。

 

◆石走 間々生有 皃花乃 花西有来 在筒見者

       (作者未詳 巻十 二二八八)

 

≪書き下し≫石橋(いしばし)の間々(まま)に生(お)ひたるかほ花(ばな)の花にしありけりありつつ見れば

 

(訳)飛石のあいだあいだに生えているかお花ではないが、あの子は実のならぬあだ花でしかなかった。ずっとつき合って来たのだが。(同上)

(注)石橋の間々に:川の飛石の間々に。上三句は序。「花にしあり」を起す。「かほ花」は未詳。(伊藤脚注)

(注)ありつつ見れば:ずっとあなたの様子を見ていると。(伊藤脚注)

 

 

◆宇知比佐都 美夜能瀬河泊能 可保婆奈能 孤悲天香眠良武 伎曽母許余比毛

       (作者未詳 巻十四 三五〇五)

 

≪書き下し≫うちひさつ美夜能瀬川(みやのせがは)のかほ花(ばな)の恋(こ)ひてか寝(ね)らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も

 

(訳)美夜能瀬(みやのせ)川の川辺に咲くかお花のように、あの子は私に恋い焦がれてひとりさびしく寝ていることであろう。夕べも今夜も。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「恋ひ寝」を起こす。「かほ花」は未詳。(伊藤脚注)

(注)きそ>きぞ【昨・昨夜】名詞:昨日。昨夜。 ※東国方言は「きそ」とも。 ※上代語。(学研)

 

 「美夜能瀬川」は東国の川の名であると思われ(未勘国歌)、「きそ」と東国方言を使っているので、「東歌」ではあるが、歌のトーンは都人の作のように思えてしまう。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1146)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

◆美夜自呂乃 須可敝尓多弖流 可保我波奈 莫佐吉伊▼曽祢 許米弖思努波武

       (作者未詳 巻十四 三五七五)

   ▼は、人偏に「弖」 「莫佐吉伊▼曽祢」=「な咲き出でそね」

 

≪書き下し≫美夜自呂(みやじろ)のすかへに立てるかほが花な咲き出(い)でそねこめて偲(しの)はむ

 

(訳)美夜自呂(みやじろ)の砂丘(すかへ)に生い立っているかおが花よ、お前さんは、人目につくようにぱっと咲き出さないでおくれ。包み隠したままでこっそりと愛でたいから。(同上)

(注)すかへ:「すか」は海沿いの砂丘、「へ」はあたり。(伊藤脚注)

(注)かほが花:未詳。女の譬え。(伊藤脚注)

(注)咲き出でそ:人目に立たないでくれ、の意。(伊藤脚注)

(注)ねこめて偲はむ:人目から隠してこっそり賞でたいから。忍び妻を持つ男の気持。(伊藤脚注)

 

 「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「かほばな」と一六三〇歌について、「カキツバタオモダカムクゲアサガオヒルガオと諸説がある。・・・家持は、野辺に咲いている美しいヒルガオを見て、顔花のように、面影にちらついて、あなたのことは忘れられないと詠っている。・・・万葉人も現代の人も慕う心に変わりはない。」と書かれている。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」