●歌は、「あしひきの山の際照らす桜花この春雨に散りゆかむかも」である。
●歌をみていこう。
◆足日木之 山間照 櫻花 是春雨尓 散去鴨
(作者未詳 巻十 一八六四)
≪書き下し≫あしひきの山の際(ま)照らす桜花(さくらばな)この春雨(はるさめ)に散りゆかむかも
(訳)山あいを明るく照らして咲いている桜の花、あの花は、この春雨に散ってゆくことだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その933)」で紹介している。
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「さくら(ヤマザクラ)」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に「・・・その開化は土地ごとの農事暦に深くかかわっている。そうした桜の花を稲の豊かな稔を予祝する行事が本来の『花見』であった。日本人が『花見』といえば桜の花を見ることである。たとえば梅や菊の花を見るときには『梅見』『菊見』という。しかし『桜見』という言葉はなくてよかったのである。こうした日本人が花といえば春のものであり、その代表は『桜』であったということが分かる。・・・稲作を中心にした長い生活の歴史がある日本の文化は、『稲の文化』であり『稲の花』の象徴である『桜の文化』といってもよかろう。花のいのちをみつめて、繁栄と無常を感じる心を持っているのである。」と書かれている。
今年の桜の開花は3月に入っての寒さのぶりかえしから開花予想が大幅に遅れている。
昨年の3月26日の写真を取り出して比較してみるとその差は歴然としている。(手前左の西洋シャクナゲもまだ咲いていない)
待ち遠しい開花である。
万葉集で最も詠まれているのは、「萩」で約140首、次は「梅」で約120首である。そして桜は約40首となっている。
「詠まれた万葉植物は中国から渡来した『梅』『牡丹』『菊』などは別にして、その他の大部分は日本の風土と自然に培われたものである。」
「牡丹」と「菊」については、万葉集では一首も詠まれていない。
ただ、集中一首(四三二六歌)詠まれている「ももよぐさ」を菊とする説がある。
前出の「植物で見る万葉の世界」には、「・・・『百代草』は、今のキク、ツユクサ、ムカシヨモギなどとする説がある。・・・藤原広嗣(ふじはらのひろつぐ)が娘子に桜花を贈った歌に『此の花の一(ひと)よの内に 百種(ももくさ)の言(こと)そ隠(こも)れる』(巻8・1456)とあり、『よ』を『花びら』と解し、『百よ草』は多くの花びらをもつ草で『菊』のことであるとする意見も根強い。」と書かれている。
「ももよぐさ」を詠った四三二六歌をみてみよう。
◆父母我 等能々ゝ志利弊乃 母ゝ余具佐 母ゝ与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖
(壬生部足国 巻二十 四三二六)
≪書き下し≫父母が殿(との)の後方(しりへ)のももよ草(ぐさ)百代(ももよ)いでませ我(わ)が来(きた)るまで
(訳)父さん母さんが住む母屋(おもや)の裏手のももよ草、そのよももよというではないが、どうか百歳(ももよ)までお達者で。私が帰って来るまで。(同上)
(注)ももよ草:未詳 上三句は序。「百代」を起こす。
(注)いでませ:ここは「居ませ」の意。(伊藤脚注)
左注は、「右一首同郡生玉部足國」<右の一首は、同(おな)じき郡(こほり)の壬生部(みぶべ)足国(たりくに)>である。
(注)みぶべ【壬生部】〔名〕 令制前、王子の養育に奉仕するために設定された部(べ)。壬生。(weblio辞書 精選版日本国語大辞典)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1509)」で、遠江(とほつあふみ)の国の防人歌七首とともに紹介している。
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藤原広嗣の歌もみてみよう。
題詞は、「藤原朝臣廣嗣櫻花贈娘子歌一首」<藤原朝臣広嗣(ふぢはらのあそみひろつぐ)、桜花(さくらばな)を娘子(をとめ)に贈る歌一首>である。
◆此花乃 一与能内尓 百種乃 言曽隠有 於保呂可尓為莫
(藤原広嗣 巻八 一四五六)
≪書き下し≫この花の一節(ひとよ)のうちに百種(ももくさ)の言(こと)ぞ隠(こも)れるおほろかにすな
(訳)この花の一枝の中には、私の言いたいたくさんの言葉がずっしりとこもっています。おろそかに扱って下さるなよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)一節(ひとよ):一枝。「よ」は節(ふし)。(伊藤脚注)
(注)ももくさ【百種】名詞:多くの種類。いろいろな種類。(学研)
(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。 ※上代語(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2108)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」