万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2067~2069)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(73~75)―万葉集 巻十六 三八三六、三八三二、三八三四

―その2067―

●歌は、「玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(73)万葉歌碑(長忌寸意吉麻呂)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(73)である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「詠玉掃鎌天木香棗歌」<玉掃(たまばはき)、鎌(かま)、天木香(むろ)、棗(なつめ)を詠む歌>である。この互いに無関係の四つのものを、ある関連をつけて即座に歌うのが条件であった。

 

◆玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為

        (長忌寸意吉麻呂  巻一六  三八三〇)

 

≪書き下し≫玉掃(たまはばき) 刈(か)り来(こ)鎌麿(かままろ)むろの木と棗(なつめ)が本(もと)とかき掃(は)かむため

 

(訳)箒にする玉掃(たまばはき)を刈って来い、鎌麻呂よ。むろの木と棗の木の根本を掃除するために。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)玉掃:メドハギ、ホウキグサなどの説があるが、今日ではコウヤボウキ(高野箒)とするのが定説である。現在でも正倉院に「目利箒(めききのはふき)」として残されているが、これがコウヤボウキで作られていたことが分かった。しかしコウヤボウキの名は後世高野山で竹を植えられなかったことから、これで箒を作ったことに由来するといわれているから、あるいは別の名があったかもしれない。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學「万葉の花の会」発行)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その539)」で紹介している。

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 さらに、「玉掃」について調べてみると、「万葉神事語事典(國學院大學デジタルミュージアム)」に次のように書かれている。

「たまばはき;玉箒①ガラス玉を貫いてかざり付けた箒。②植物名、〔玉掃〕。長忌寸意吉麻呂の歌(16-3830)には、『玉掃』を刈って来いとあり、『代匠記(精)』に『草ノ名ナリト見エタリ。サレト如何ナル草ト云事ヲ知ラス』と注するように、さまざまな草木名があげられてきた。『本草和名』は『地膚』を『爾波久佐(ニハクサ)一名末岐久佐(マキクサ)』と読んでいる。ニハクサはホウキグサの異称、マキクサは同じく古称である。玉箒の材料は今日では、きく科こうやぼうき属こうやぼうきのことを指す。関東以西の山地に自生する高さ1メートルほどの落葉小低木で、茎を刈って枝を束ねたもの。①758(天平宝字2)年正月3日、初子(はつね)の日に孝謙天皇から廷臣に「玉箒」を下賜され、詔の旨に応えた大伴家持の歌(20-4493)には『初春の初子の今日の玉箒は、手に執るだけで揺れて音がする玉飾りの緒である』(『新大系』)とみえる。上の句は下賜された『玉箒』称揚し、下の句では、『ゆらくたまのを』に家持が特に意を用いたところがある。『たま』は美しいものを褒める意味のほかに、霊魂や生命力を表わす語とみなされている。土橋寛は『ゆらく玉』と『ゆらく魂の緒』とを掛けた作意があると説き、歌は『頂戴いたしました正月初子の玉箒を手に取りますと、箒の枝頭の玉が揺れ動き、それにつれて私の<魂の緒>(生命力)も、揺れ動く(活動する)心地がいたします』(「『タマ』の両義性」)という答礼の歌であると述べる。『新全集』は『たまのを』の解釈にふれて、『この玉ノ緒は玉箒の玉を緒に通して吊したものをいう』『ただし、現物の箒では、玉が揺れるようにはなっていない』と指摘する。その『玉箒』の現物は、天平宝字2年正月子日に、東大寺から孝謙天皇へ献納された『子日目利箒(ねのひのめどきほうき)』2口であり、正倉院南倉に収蔵されている。『目利』の由来は、まめ科はぎ属めどはぎによるが、実際にはこうやぼうきである。『正倉院御物図録十四』の第10図と第11図には、箒の先に小さなガラス玉が数個残っている。把手を見ると、10図は紫色の染皮で包み金糸を巻いてあるが、11図は把手の染皮に金糸はなく、15段の玉痕だけが残っており、本来、そこには諸種の色のガラス玉が巻かれていたと考えられる(現存は1段だけである)。このような実態を正しく理解して、『玉の緒』を解釈しなければならないだろう。土橋寛『<タマ>の両義性』『日本古代の呪禱と説話』(塙書房)。『正倉院御物図録十四』(帝室博物館)。」

 

大伴家持の歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1869)」で紹介している。

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子日目利箒(正倉院模造) 東京国立博物館 画像検索より引用させていただきました。

 

 

 

―その2068―

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(74)万葉歌碑(忌部黒麻呂

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(74)である。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

    (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1227)」で紹介している。1227では、万葉時代のトイレについても触れている。

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―その2069―

●歌は、「梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(75)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(75)である。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「作者未詳の歌一首」である。

 

◆成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲

       (作者未詳 巻十六 三八三四)

 

≪書き下し≫梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く

 

(訳)梨、棗、黍(きび)、それに粟(あわ)と次々に実っても、早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続ける葛のようにのちにでも逢うことができようと、葵(逢ふ日)の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)黍に粟:「君の逢はず」の意を懸ける。(伊藤脚注)

(注)はふくずの「延(は)ふ葛(くず)の」枕詞:延びていく葛が今は別れていても先で逢うことがあるように、の意で「後も逢はむ」の枕詞になっている。

(注)葵:「逢う日」を懸ける。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1138)」で紹介している。1138では、この歌のみに歌われている「黍」と「葵」以外の、「梨」は三首、棗は二首、粟は五首、葛は二十首についても紹介している。

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■■南都鏡神社■■

 2月26日、近鉄奈良駅の近くに所用があったので、ついでにと、南都鏡神社に足を延ばした。以前、インスタかなんかで、同神社の絵馬掛けの横に藤原広嗣の歌のプレートが掲げられているのを見たことがあり行ってみたいと思っていたのであった。

 南都鏡神社は新薬師寺鎮守として建てられ、藤原広嗣も祭神として祀られている。天平十二年(740年)九月大宰府で叛乱を起し十月末に鎮圧され斬首になっている。この乱は「聖武天皇の彷徨の五年」の契機となったともいわれている。

 佐賀県唐津市の「鏡神社」から勧請を受け怨霊を鎮める狙いがあったという。

 歌をみてみよう。

 

題詞は、「藤原朝臣廣嗣櫻花贈娘子歌一首」<藤原朝臣広嗣(ふぢはらのあそみひろつぐ)、桜花(さくらばな)を娘子(をとめ)に贈る歌一首>である。

 

◆此花乃 一与能内尓 百種乃 言曽隠有 於保呂可尓為莫

      (藤原広嗣 巻八 一四五六)

 

≪書き下し≫この花の一節(ひとよ)のうちに百種(ももくさ)の言(こと)ぞ隠(こも)れるおほろかにすな

 

(訳)この花の一枝の中には、私の言いたいたくさんの言葉がずっしりとこもっています。おろそかに扱って下さるなよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)一節(ひとよ):一枝。「よ」は節(ふし)。(伊藤脚注)

(注)ももくさ【百種】名詞:多くの種類。いろいろな種類。(学研)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。 ※上代語(学研)

藤原広嗣 巻八 一四五六 万葉歌碑(プレート)

「南都鏡神社」神社名碑

本殿(春日大社の本殿の第三殿を移築したもの)

鏡神社本殿説明案内板

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著  (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著  (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉神事語事典(國學院大學デジタルミュージアム)」

★「東京国立博物館 画像検索」