万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1202)―大阪府泉南郡岬町 深日漁港北―万葉集 巻十二 三二〇一

●歌は、「時つ風吹飯の浜に出で居つ贖ふ命は妹がためこそ」である。

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大阪府泉南郡岬町 深日漁港北万葉歌碑(作者未詳)



●歌碑は、大阪府泉南郡岬町 深日漁港北にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆時風 吹飯乃濱尓 出居乍 贖命者 妹之為社

  (作者未詳 巻十二 三二〇一)

 

≪書き下し≫時つ風吹飯(ふけひ)の浜に出(い)で居(ゐ)つつ贖(あか)ふ命は妹がためこそ

 

(訳)時つ風が吹くという名の吹飯の浜に出ては、海の神に幣帛(ぬさ)を捧げて無事を一心に祈るこの命は、誰のためでもない、いとしいあの子のためなのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ときつかぜ【時つ風】名詞:①潮が満ちて来るときなど、定まったときに吹く風。

②その季節や時季にふさわしい風。順風。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。

(注)ときつかぜ【時つ風】分類枕詞:定まったときに吹く風の意から「吹く」と同音を含む地名「吹飯(ふけひ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)吹飯の浜:大阪府の南端、泉南郡岬町深日の海岸。淡路に渡るのに近い所。(学研)

(注)あかふ>あがふ【贖ふ】他動詞:①金品を代償にして罪をつぐなう。贖罪(しよくざい)する。②買い求める。 ※上代・中古には「あかふ」。後に「あがなふ」とも。(学研)

(注の注)ここは、神に幣帛(ぬさ)を捧げて、加護を祈る意。

 

「時つ風」を詠んだ歌をみてみよう。

 

■巻二 二二〇

題詞は、「讃岐狭岑嶋視石中死人柿本朝臣人麿作歌一首幷短歌」<讃岐(さぬき)の狭岑(さみねの)島にして、石中(せきちゅう)の死人(しにん)を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首幷(あは)せて短歌>の長歌(二二〇歌)と反歌二首(二二一、二二二歌)のうちの一首である。

(注)狭岑(さみねの)島:香川県塩飽諸島中の沙美弥島。今は陸続きになっている。

(注)石中の死人:海岸の岩の間に横たわる死人。

 

 

◆玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 船浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行船乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒磯面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 往而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 鬱悒久 待加戀良武 愛伎妻等者

          (柿本人麻呂 巻二 二二〇)

 

≪書き下し≫玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)とともに 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来(きた)る 那珂(なか)の港ゆ 船浮(う)けて 我(わ)が漕(こ)ぎ来(く)れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶引き折(を)りて をちこちの 島は多(おほ)けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)面(も)に 廬(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺を 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に ころ臥(ふ)す君が 家(いへ)知らば 行きても告(つ)げむ 妻知らば 来(き)も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

 

(訳)玉藻のうち靡(なび)く讃岐の国は、国柄が立派なせいかいくら見ても見飽きることがない。国つ神が畏(かしこ)いせいかまことに尊い。天地・日月とともに充ち足りてゆくであろうその神の御顔(みかお)であるとして、遠い時代から承(う)け継いで来たこの那珂(なか)の港から船を浮かべて我らが漕ぎ渡って来ると、突風が雲居はるかに吹きはじめたので、沖の方を見るとうねり波が立ち、岸の方を見ると白波がざわまいている。この海の恐ろしさに行く船の楫(かじ)が折れるなかりに漕いで、島はあちこちとたくさんあるけれども、中でもとくに名の霊妙な狭岑(さみね)の島に漕ぎつけて、その荒磯の上に仮小屋を作って見やると、波の音のとどろく浜辺なのにそんなところを枕にして、人気のない岩床にただ一人臥(ふ)している人がいる。この人の家がわかれば行って報(しら)せもしよう。妻が知ったら来て言問(ことど)いもしように。しかし、ここに来る道もわからず心晴れやらぬままぼんやりと待ち焦がれていることだろう、いとしい妻は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまもよし【玉藻よし】分類枕詞:美しい海藻の産地であることから地名「讚岐(さぬき)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ときつかぜ【時つ風】名詞:①潮が満ちて来るときなど、定まったときに吹く風。

②その季節や時季にふさわしい風。順風。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞(同上)

(注)とゐなみ【とゐ波】名詞:うねり立つ波。

 

(注)ころふす【自伏す】:ひとりで横たわる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも。

(注)おほほし 形容詞:①ぼんやりしている。おぼろげだ。②心が晴れない。うっとうしい。③聡明(そうめい)でない。※「おぼほし」「おぼぼし」とも。上代語。

 

 この歌並びに短歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その320)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

■巻六 九五八

 標題は、「冬十一月大宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時馬駐于香椎浦各述作懐歌」<冬の十一月に、大宰(だざい)の官人等(たち)、香椎(かしい)の廟(みや)を拝(をろが)みまつること訖(をは)りて、退(まか)り帰る時に、馬を香椎の浦に駐(とど)めて、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌>である。九五七から九五九歌の歌群である。

 

時風 應吹成奴 香椎滷 潮干汭尓 玉藻苅而名

        (小野老 巻六 九五八)

 

≪書き下し≫時つ風吹くべくなりぬ香椎潟(かしひがた)潮干(しほひ)の浦に玉藻(たまも)刈りてな

 

(訳)海からの風が吹き出しそうな気配になってきた。香椎潟の潮の引いているこの入江で、今のうちに玉藻を刈ってしまいたい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

 

 この歌ならびに他の二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その873)」で紹介している。

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■巻七 一一五七

時風 吹麻久不知 阿胡乃海之 朝明之塩尓 玉藻苅奈

        (作者未詳 巻七 一一五七)

 

≪書き下し≫時つ風吹かまく知らず吾児(あご)の海の朝明(あさけ)の潮(しほ)に玉藻(たまも)刈りてな

 

(訳)潮時の風が吹いてくるかもしれない。さあ、今のうちに吾児の海の夜明けの干潟で玉藻を刈ろうではないか。(同上)

(注)まく :…だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。 ⇒語法 活用語の未然形に付く。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)

 

 話は少し脱線するが、以前、奈良市杏町辰市神社境内にある門部王の万葉歌碑を撮りに行った時に、辰市神社の前に時風神社があり、このような神社があるんだと思った記憶があった。調べて見ると、「時風神社」は「ときつかぜ」でなく「ときふう」と読むとのことである。この神社は、境内地の北向いに位置する「辰市神社」を創建した人物とされる中臣時風(なかとみのときふう)・中臣秀行(ひでつら)を祀っているそうである。(奈良まちあるき風景紀行HP)

 辰市神社の万葉歌碑については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その23改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

和歌山市加太城ケ崎➡大阪府岬町深日漁港

 

 時間に多少ゆとりができたので、もう一箇所と、帰り道がてら寄れるところを探し深日漁港北の万葉歌碑を目指す。

 途中、道の駅とっとパーク小島で休憩。ここは岬町海釣り公園が目の前にある。終日にも関わらず多くの人が釣り糸を垂れていた。

 歌碑は深日漁港の北、岬中学校の下、海岸沿いにあった。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「奈良まちあるき風景紀行HP」