万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その23改)―奈良市杏町辰市神社―万葉集 巻三 三一〇

●歌は、「東の市の植木の木足るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり」である。

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奈良市杏町辰市神社万葉歌碑(門部王)

●歌碑は、奈良市杏町辰市神社にある。

 

 ●歌をみていこう。

 

 題詞は、「門部王(かどべのおほきみ)詠東市之樹作歌一首 後賜姓大原真人(おほはらのまひと)氏也」<門部王(かどべのおほきみ)、東(ひむがし)の市(いち)の樹(き)をめて作る歌一首 後に姓大原真人(おほはらのまひと)の氏を賜はる>である。

 

◆東 市之殖木乃 木足左右 不相久美 宇倍戀尓家利

      (門部王 巻三 三一〇)

 

≪書き下し≫東(ひみかし)の市(いち)の植木(うゑき)の木垂(こだ)るまで逢(あ)はず久しみうべ恋ひにけり

 

(訳)東の市の並木の枝がこんなに垂れ下がるようになるまで、あなたに久しく逢っていないものだから、こんなに恋しくなるのも当然だ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)こだる【木垂る】自動詞:木が茂って枝が垂れ下がる。 ⇒参考 一説に、「木足る」で、枝葉が十分に茂る意とする。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うべ【宜・諾】副詞:なるほど。もっともなことに。▽肯定の意を表す。 ※中古以降「むべ」とも表記する。(学研)

 

 大和には、海石榴市(つばいち)や軽市(かるのいち)があったが、都ができることにより官市も設けられることになった。

 平城京には東市と西市があった。歌垣(うたがき)が行われたことでも知られる。

 東(ひみかし)の市は、 左京八条三坊、現在の杏町、西九条町のあたりといわれている。

 

(注)海石榴市:奈良県桜井市に所在した古代の市。「つばきのいち」とも称し、

海柘榴市、椿市とも記した。

(注)軽市:畝傍山南東,現在の橿原市大軽町にあった市場。

 

 門部王が出雲守であった時に佐保川を思い出しながら詠んだ歌がある。

 

  題詞は、「出雲守門部王思京歌一首 後賜大原真人氏也」<出雲守(いづものかみ)門部王(かどへのおほきみ)、京を思(しの)ふ歌一首 後に大原真人の氏を賜はる>である。

 

◆飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國

      (門部王 巻三 三七一)

 

≪書き下し≫意宇(おう)の海の川原(かはら)の千鳥汝(な)が鳴けば我(わ)が佐保川の思ほゆらくに)

 

(訳)意宇(おう)の海まで続く川原の千鳥よ、お前が鳴くと、わが故郷の佐保川がしきりに思いだされる。(同上) 

(注)おう【意宇・淤宇・飫宇】:島根県北東部にあった郡。ここに国府が置かれた。

(注)意宇(おう)の海:現在の島根県の中海か。

 

 

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辰市神社の鳥居と参道

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辰市神社の社

 


(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

 ★「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり」(奈良市HP)

★「weblio古語辞書」

 

※20210603朝食関連記事削除、一部改訂