万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1963,1964,1965)―島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(1,2,3)―万葉集 巻一 二十一、巻二 一八五、巻三 三七一、巻四 五三六

―その1963⁻

●歌は、「紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも」である。

島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(1)万葉歌碑<プレート>(大海人皇子

●歌碑(プレート)は、島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方

      (大海人皇子 巻一 二十一)

 

≪書き下し≫紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に我(あ)れ恋(こ)ひめやも

 

(訳)紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが気に入らないのであったら、人妻と知りながら、私としてからがどうしてそなたに恋いこがれたりしようか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)紫草の:「にほふ」の枕詞(伊藤脚注)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは④の意

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち:推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 この歌については、幾度となく紹介してきている。今回は滋賀県蒲生郡竜王町雪野山大橋欄干の歌碑(プレート)とともに紹介してみよう。

 

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 「紫・紫草」を詠んだ歌は万葉集に十六首収録されている。その内十三首は二十一歌のように初句に詠われている。

 

■初句に詠われている歌からみてみよう。(訳)はすべて「『万葉集 一~四』伊藤 博 著 角川ソフィア文庫」によっている。

の糸をぞ我(わ)が搓(よ)るあしひきの山橘(やまたちばな)を貫(ぬ)かむと思ひて(作者未詳 巻七 一三四〇)

 

(訳)紫色の糸を、私は今一生懸命搓り合わせている。山橘の実、あの赤い実をこれに通そうと思って。

(注)「山橘(やまたちばな)を貫(ぬ)く」は、男と結ばれる譬え。(伊藤脚注)

 

の帯(おび)の結びも解きもみずもとなや妹(いも)に恋ひわたりなむ(作者未詳 巻十二 二九七四)

 

(訳)紫染めの帯の結び目さえ解くこともなく、ただいたずらにあの子に焦がれつづけることになるのか。

 

の粉潟(こかた)の海に潜(かづ)く鳥玉潜き出(で)ば我(わ)が玉にせむ(作者未詳 巻十六 三八七〇)

 

(訳)紫の粉(こ)ではないが、その粉潟(こかた)の海にもぐってあさる鳥、あの鳥が真珠を拾い出したら、それは俺の玉にしてしまおう。

(注)「潜(かづ)く鳥」は親の譬え。

(注)「玉」は女の譬え。

(注)「玉潜き出(で)ば」は、親が娘を無事育て上げて、の譬え。

 

(むらさき)の名高(なたか)の浦(うら)のなのりその礒に靡(なび)かむ時待つ我(わ)れを(作者未詳 巻七 一三九六)

 

(訳)名高の浦に生えるなのりその磯に靡く時、その時をひたすら待っている私なのだよ。

 

(むらさき)の名高(なたか)の浦の靡(なび)き藻の心は妹(いも)に寄りにしものを(作者未詳 巻十一 二七八〇)    

                    

(訳)紫の名高の浦の、波のまにまに揺れ靡く藻のように、心はすっかり靡いてあの子に寄りついてしまっているのに。

(注)上三句は序。「寄りにし」を起こす。

 

 

(むらさき)の名高(なたか)の浦(うら)の真砂地(まなごつち)袖のみ触れて寝ずかなりなむ(作者未詳 巻七 一三九二)

 

(訳)名高の浦の細かい砂地には、袖が濡れただけで、寝ころぶこともなくなってしまうのであろうか。

(注)まなご【真砂】名詞:「まさご」に同じ。 ※「まさご」の古い形。上代語。 ⇒まさご【真砂】名詞:細かい砂(すな)。▽砂の美称。 ※古くは「まなご」とも。「ま」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)真砂土は、愛する少女の譬えか。

 

 「紫の名高」の一三九六、二七八〇、一三九二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その765)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

紫草(むらさき)の根延(ねば)ふ横野(よこの)春野(はるの)には君を懸(か)けつつうぐひす鳴くも(作者未詳 巻十 一八二五)

(訳)紫草(むらさきぐさ)の根を張る横野のその春の野には、あなたを心にかけるようにして、鴬が鳴いている。

 

のまだらのかづら花やかに今日(けふ)見し人に後(のち)恋いむかも(作者未詳 巻十二 二九九三)

 

(訳)紫染めのだんだら縵(かずら)のように、はなやかに美しいと今日見たあの人に、あとになって恋い焦がれることだろうな。

 

の我が下紐の色に出でず恋ひかも痩(や)せむ逢よしもなみ(作者未詳 巻十二 二九七六)

 

(訳)紫染めの私の下紐の色が外からは見えないように、顔色にも思いを出せないまま、この身は恋ゆえに痩せ細ってゆくのでしょうか。お逢いする手立てもないので。

 (注)上二句は序。「色に出でず」を起こす

 

紫草(むらさき)は根をかも終(を)ふる人の子のうら愛(がな)しけを寝(ね)を終へなくに(作者未詳 巻十四 三五〇〇)

 

(訳)紫草は根を終えることがあるのかなあ。この俺は、あの女子(おなご)のいとしくってならない奴、あいつとの寝を終えてもいないのにさ。(同上)

(注)寝を終へなくに:あいつとの共寝を存分に尽くしていないのに。「根」と「寝」との語呂合わせに興じた歌。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1146)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

(むらさき)は灰(はい)さすものぞ海石榴市(つばきち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢(あ)へる子や誰(た)れ紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十衢尓 相兒哉誰               (作者未詳 巻十二 三一〇一)

 

(訳)紫染めには椿の灰を加えるもの。その海石榴市の八十の衢(ちまた)で出逢った子、あなたはいったいどこの誰ですか。

(注)上二句は懸詞の序。「海石榴市」を起す。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その59改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

紫草(むらさき)を草と別(わ)く別(わ)く伏(ふ)す鹿の野は異(こと)にして心は同(おな)じ(作者未詳 巻十二 三〇九九)

 

(訳)紫草を他の草と区別しながら、紫草の上ばかりで伏す鹿ではないが、私とあなたとは寝る在所は異なっていても、心は一体なのです。

(注)上三句は序。「「野は異にして」を起す。

(注)「野」は住い。

 

 

■初句以外に「紫」が詠われている歌をみてみよう。

◆あかねさす野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る             (額田王 巻一 二〇)

 

(訳)茜(あかね)色のさし出る紫、その紫草の生い茂る野、かかわりなき人の立ち入りを禁じて標(しめ)を張った野を行き来して、あれそんなことをなさって、野の番人が見るではございませんか。あなたはそんなに袖(そで)をお振りになったりして。

(注)あかねさす【茜さす】分類枕詞:赤い色がさして、美しく照り輝くことから「日」「昼」「紫」「君」などにかかる。

(注)むらさき 【紫】①草の名。むらさき草。根から赤紫色の染料をとる。②染め色の一つ。①の根で染めた色。赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた。

(注)むらさきの 【紫野】:「むらさき」を栽培している園。

(注)しめ【標】:神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その258)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆託馬野(つくまの)に生(お)ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)めいまだ着ずして色に出(い)でにけり(笠女郎 巻三 三九五)

 

(訳)託馬野(つくまの)に生い茂る紫草、その草で着物を染めて、その着物をまだ着てもいないのにはや紫の色が人目に立ってしまった。

(注)託馬野:滋賀県米原市朝妻筑摩か。

(注)「着る」は契りを結ぶことの譬え

(注)むらさき【紫】名詞:①草の名。むらさき草。根から赤紫色の染料をとる。古くから「武蔵野(むさしの)」の名草として有名。②染め色の一つ。①の根で染めた色。赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1710)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆韓人(からひと)の衣(ころも)染(そ)むといふ(むらさき)の心に染(し)みて思ほゆるかも(麻田連陽春 巻四 五六九)

 

(訳)韓国の人が衣を染めるという紫の色が染みつくように、紫の衣を召されたお姿が私の心に染みついて、君のことばかりが思われてなりません。(同上)

(注)上三句は序。「心に染みて」を起こす。

(注)紫:三位以上の礼服の色

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その899)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1964―

●歌は、「水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも」である。

島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(2)万葉歌碑<プレート>(日並皇子尊宮舎人)

●歌碑(プレート)は、島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆水傳 磯乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨

     (日並皇子尊宮舎人 巻二 一八五)

 

≪書き下し≫水(みづ)伝(つた)ふ礒(いそ)の浦(うら)みの岩つつじ茂(も)く咲く道をまたも見むかも

 

(訳)水に沿っている石組みの辺の岩つつじ、そのいっぱい咲いている道を再び見ることがあろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)いそ【磯】名詞:①岩。石。②(海・湖・池・川の)水辺の岩石。岩石の多い水辺。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うらみ【浦廻・浦回】名詞:入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。「うらわ」とも。(学研)

(注)茂く>もし【茂し】( 形ク ):草木の多く茂るさま。しげし。(weblio辞書 三省堂大辞林 第三版)

 

題詞「皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等(とねりら)、慟傷(かな)しびて作る歌二十三首」(一七一~一九三歌)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その502)」にて紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

                                         

 

―その1965―

●歌は、「意宇の海の川原の千鳥汝が鳴けば我が佐保川の思ほゆらくに(三七一歌)」ならびに「意宇の海の潮干の潟の片思に思ひや行かむ道の長手を(五三六歌)」である。

島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(3)万葉歌碑<プレート>(門部王)

●歌碑(プレート)は、島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「出雲守門部王思京歌一首 後賜大原真人氏也」<出雲守(いづものかみ)門部王(かどへのおほきみ)、京を思(しの)ふ歌一首 後に大原真人の氏を賜はる>である。

 

◆飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國

        (門部王 巻三 三七一)

 

≪書き下し≫意宇(おう)の海の川原(かはら)の千鳥汝(な)が鳴けば我(わ)が佐保川の思ほゆらくに)

 

(訳)意宇(おう)の海まで続く川原の千鳥よ、お前が鳴くと、わが故郷の佐保川がしきりに思いだされる。(同上) 

(注)おう【意宇・淤宇・飫宇】:島根県北東部にあった郡。ここに国府が置かれた。

(注)意宇(おう)の海:現在の島根県の中海か。

 

 門部王(かどへのおほきみ)は、奈良時代歌人で、風流侍従とよばれ、「万葉集」には歌が五首収録されている。天平十一年(739年)兄の高安王とともに大原真人の氏姓をあたえられる。長皇子の孫にあたるか。

(注)風流侍従:特別な職階で、学者等ではないが文化的貢献を任としていたと思われる。

 

 

題詞は、「門部王戀歌一首」<門部王が恋の歌一首>である。

 

◆飫宇能海之 塩干乃鹵之 片念尓 思哉将去 道之永手呼

      (門部王 巻四 五三六)

 

≪書き下し≫意宇(おう)の海の潮干の潟(かた)の片思(かたもひ)に思ひや行かむ道の長手(ながて)を

 

(訳)意宇の海の潮干の干潟ではないが、片思いにあの子のことを思いつめながら辿(たど)ることになるのか。長い長いこの道のりを。(同上)

(注)上二句は序。「片思」を起こす。

(注)ながて【長手】名詞:「ながぢ」に同じ。(学研)

(注の注)ながぢ【長道】名詞:長い道のり。遠路。長手(ながて)。「ながち」とも。(学研)

 

左注は、「右門部王任出雲守時娶部内娘子也 未有幾時 既絶徃来 累月之後更起愛心 仍作此歌贈致娘子」<右は、門部王(かどへのおほきみ)、任出雲守(いづものかみ)に任(ま)けらゆ時に、部内の娘子(をとめ)娶(めと)る。いまだ幾時(いくだ)もあらねば、すでに徃来を絶つ。月を累(かさ)ねて後に、さらに愛(うつく)しぶ心を起こす。よりて、この歌を作りて娘子に贈り致す。>である。

(注)幾時(いくだ)もあらねば:どれほどの時間もたたないのに。

 

両歌とも、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1261)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林 第三版」