万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1966、1967、1968)―島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(4,5,6)―万葉集 巻四 六六九、巻五 八〇二、巻七 一二五七

―その1966―

●歌は、「あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ」である。

島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(4)万葉歌碑<プレート>(春日王

●歌碑(プレート)は、島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(4)である。                 

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「春日王歌一首 志貴皇子之子母日多紀皇女也」<春日王(かすがのおほきみ)が歌一首 志貴皇子の子、母は多紀皇女といふ>である。

(注)多紀皇女は、天武天皇の娘

 

◆足引之 山橘乃 色丹出与 語言継而 相事毛将有

         (春日王    巻四 六六九)

 

≪書き下し≫あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出でよ語らひ継(つ)ぎて逢ふこともあらむ

 

(訳)山陰にくっきりと赤いやぶこうじの実のように、いっそお気持ちを面(おもて)に出してください。そうしたら誰か思いやりのある人が互いの消息を聞き語り伝えて、晴れてお逢いすることもありましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「足引之 山橘乃」は序、「色丹出与」を起こす。(伊藤脚注)

 

 思う相手との距離感(実距離あるいは心理的距離)が何とか埋まらないだろうか、そのためにまず誰かに心根を少しでも吐露してください、そうすれば、という切なる気持ちを感じさせる。恋愛という当事者間の事案に第三者を登場させ、一見間接的に見えるが自分の気持ちを強く強く伝えようとしている。

 この心境と言うのは、通信手段が発達した現代においても「山橘の色に出で」ないと伝わらない。その瞬間を待ち望む恋愛心理的駆け引きのこの段階と言うのは万葉の時代も変わらないし、歌に詠み込む深さを山橘の実に比喩した言葉のアートに驚嘆させられる。

 

 「山橘」を詠んだ歌は、万葉集には五首収録されている。拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その664)」で紹介している。

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―その1967―

●歌は、「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより・・・」である。

島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(5)万葉歌碑<プレート>(山上憶良

●歌碑(プレート)は、島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(5)である。                 

 

●歌をみていこう。

 

◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利

 

枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農

        (山上憶良 巻五 八〇二)

 

≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ

 

(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(同上)

(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)

 

 この歌については、奈良市神功4丁目 万葉の小径の歌碑とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。

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 この歌の歌碑では、日比野五鳳の書になる岐阜県安八郡神戸町役場玄関ロビーと鳥取県倉吉市国府 伯耆国分寺跡北側に立てられているのが特筆すべきものである。

岐阜県安八郡神戸町役場玄関ロビー(日比野五鳳書)と鳥取県倉吉市国府 伯耆国分寺跡北側

 

 

―その1968―

●歌は、「道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや」である。

島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(6)万葉歌碑<作者未詳)

●歌碑(プレート)は、島根県松江市東出雲町 面足山万葉公園(6)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也

       (作者未詳 巻七 一二五七)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の草深百合(くさふかゆり)の花(はな)笑(ゑ)みに笑みしがからに妻と言ふべしや

 

(訳)道端の草むらに咲く百合、その蕾(つぼみ)がほころびるように、私がちらっとほほ笑んだからといって、それだけでもうあなたの妻と決まったようにおっしゃってよいものでしょうか。(同上)

(注)くさぶかゆり【草深百合】:草深い所に生えている百合。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)ゑむ【笑む】自動詞:①ほほえむ。にっこりとする。微笑する。②(花が)咲く。(学研)

(注)上三句は「笑みし」の譬喩。(伊藤脚注)

(注)からに 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。:①〔原因・理由〕…ために。ばかりに。②〔即時〕…と同時に。…とすぐに。③〔逆接の仮定条件〕…だからといって。たとえ…だとしても。…たところで。▽多く「…むからに」の形で。参考➡格助詞「から」に格助詞「に」が付いて一語化したもの。上代には「のからに」「がからに」の形が見られるが、これらは名詞「故(から)」+格助詞「に」と考える。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その715)」で紹介している。

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六六九歌の山橘のように、思い焦がれる方は、ちらっとでもと期待し、一二五七歌のようにちらっとが百合のように捉えて早合点してして良いものでしょうかと軽くたしなめられる。まさに掛け合いの歌のように味わい深い歌になっている。

 植物を観察し、それに自分の心情を重ね合わせて表現する感性にはただただ驚かされる。

  ブラボー、万葉歌である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」