万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その899)―太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(10)―万葉集 巻八 一五三一

●歌は、「玉櫛笥蘆城の川を今日見ては万代までに忘れらえめやも」である。

 

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太宰府歴史スポーツ公園(10)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(10)にある。

 

●歌をみていこう。

 

一五三〇、一五三一歌の題詞は「大宰諸卿大夫幷官人等宴筑前國蘆城驛家歌二首」<大宰(だざい)の諸卿大夫(めへつきみたち)幷(あは)せて官人等(たち)、筑前(つくしのみちのくち)の国の蘆城(あしき)の駅家(うまや)にして宴(うやげ)する歌二首>である。

 なお左注は、「右二首作者未詳」<右の二首は、作者いまだ詳(つばひ)らかにあらず>である。

 

 

◆珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 将忘八方

                (作者未詳 巻八 一五三一)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)蘆城の川を今日(けふ)見ては万代(よろずよ)までに忘らえめやも

 

(訳)蘆城の川、この川を今日見たからには、いついつまでも忘れられようか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

「蘆城」の枕詞であるが、かかり方は未詳。

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

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歌の解説碑

 

 もう一首の方もみてみよう。

 

◆娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代尓将見

 

≪書き下し≫をみなへし秋萩(あきはぎ)交(まじ)る蘆城(あしき)の野(の)今日(けふ)を始めて万代(よろづよ)に見む

 

(訳)おみなえしと秋萩とが入り交じって咲いている蘆城の野よ、この野を今日を始めとしていついつまでも見よう。(同上)

(注)蘆城:福岡県筑紫野市太宰府の東南約4kmほどのところ。太宰府官人たちは、ここでよく送別の宴をしていたようである。

 

蘆城での送別の宴の歌をひろってみてみよう。「五年戊辰太宰少貳石川足人朝臣遷任餞于筑前國蘆城驛家歌三首」と「大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首」がある。

 

 

題詞は、「五年戊辰太宰少貳石川足人朝臣遷任餞于筑前國蘆城驛家歌三首」<五年戊辰(つちのえのたつ)に、太宰少貳(ださいのせうに)石川足人朝臣(いしかはのたるひとあそみ)が遷任するに、筑前(つくしのみちのくち)の国の蘆城(あしき)の駅家(うまや)にして餞(せん)する歌三首>である。

 

◆天地之 神毛助与 草枕 羈行君之 至家左右

               (作者未詳 巻四 五四九)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の神も助けよ草枕旅行く君が家に至るまで

 

(訳)天地の神も道中の安全を助けて下さい。はるばる都まで旅するこの方が家に帰り着くまで。(同上)

(注)行路の安全を祈る歌である。

(注)左右:「まで」と読む。一種の戯書である。<まて【真手】:両手。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆大船之 念憑師 君之去者 吾者将戀名 直相左右二

               (作者未詳 巻四 五五〇)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)の思ひ頼みし君が去(い)なば我(あ)れは恋ひなむ直(ただ)に逢(あ)ふまでに

 

(訳)大船に乗るように頼りにしきっていたあなたが行ってしまわれたら、私は心細くって仕方がないでしょう。じかに顔を合わせるまではずっと。(同上)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

 

 

◆山跡道之 嶋乃浦廻尓 縁浪 間無牟 吾戀巻者

              (作者未詳 巻四 五五一)

 

≪書き下し≫大和道(やまとぢ)の島の浦みに寄する波(なみ)間(あひだ)もなけむ我(あ)が恋ひまくは

 

(訳)これから向かわれる大和への船路にある島の浦べに寄せる波のように、ひきもきらないことだろう。私のあなたを恋しく思う気持ちは。(同上)

(注)上三句は序。「間もなけむ」を起こす。

 

 左注は、「右三首作者未詳」<右の三首は、作者未詳>である。

 

 

もう一群の歌をみてみよう。

 

 題詞は、「大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首」< 大宰帥(だざいのそち)大伴卿、大納言(だいなごん)に任(ま)けらえて京(みやこ)に入る時に臨み、府の官人ら、卿を筑前(つくしのみちのくち)の国蘆城(あしき)の駅家(うまや)にして餞(せん)する歌四首>である。

 

 

◆三埼廻之 荒礒尓縁 五百重浪 立毛居毛 我念流吉美

               (門部連石足 巻四 五六八)

 

≪書き下し≫み崎みの荒磯(ありそ)に寄する五百重(いほへ)波立ちても居ても我(あ)が思(おも)へる君

 

(訳)これから旅される船路の、岬々の荒磯に立つ五百重波のように、立っても座っても、いつも念頭から去らぬ我が君です。(同上)

(注)上三句は序。「立ちて」を起こす。

 

 左注は、「右一首筑前掾門部連石足」<右の一首は筑前掾(ちくぜんのじよう)門部連石足(かどべのむらじいそたり)>である。

 

 

◆辛人之 衣染云 紫之 情尓染而 所念鴨

              (麻田連陽春 巻四 五六九)

 

≪書き下し≫韓人(からひと)の衣(ころも)染(そ)むといふ紫(むらさき)の心に染(し)みて思ほゆるかも

 

(訳)韓国の人が衣を染めるという紫の色が染みつくように、紫の衣を召されたお姿が私の心に染みついて、君のことばかりが思われてなりません。(同上)

(注)上三句は序。「心に染みて」を起こす。

(注)紫:三位以上の礼服の色

 

 

◆山跡邊 君之立日乃 近付者 野立鹿毛 動而曽鳴

               (麻田連陽春 巻四 五七〇)

 

≪書き下し≫大和(やまと)へ君が発(た)つ日の近づけば野に立つ鹿も響(とよ)めてぞ鳴く

 

(訳)大和へと君が出発される日が近づいたので、心細いのか、野に立つ鹿までがあたりを響かせて鳴いています。(同上)

(注)旅人の帰京は天平二年(730年)十二月である。鹿は十一月、十二月には鳴かない。かつての遊んだ時を連想したものか。

 

 

左注は、「右二首大典麻田連陽春」<右の二首は、大典(だいてん)麻田連陽春(あさだのむらぢやす)>である。

 

 

◆月夜吉 河音清之 率此間 行毛不去毛 遊而将歸

               (大伴四綱 巻四 五七一)

 

≪書き下し≫月夜(つくよ)よし川の音(おと)清しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ

 

(訳)月夜(ゆきよ)もよいし、川の音も清らかだ。さあここで、都へ行く人も筑紫に残る人も、歓を尽くして別れることにしよう。(同上)

 

左注は、「右一首防人佑大伴四綱」<右の一首は防人佑(さきもりのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)>である。

 

 

 太宰府歴史スポーツ公園の十基目の歌碑である。公園を一周し、橋を渡り「万葉の散歩道」の碑のあるあたりから、小高い小山の裾の木立の陰の道を歩き、その先の階段を駆け上がり「展望広場」近くにあったこの歌碑を見つけたのである。

 小山の頂ではあるが、太宰府を征服したような感覚にとらわれたのである。

 

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「展望広場」の碑

 慎重に下山し、次の目的地、太宰府メモリアルパークに向かったのである。

 駐車場を出てしばらく行くと、左手に「太宰府歴史スポーツ公園」の碑があった。どうやらここが正面入口だったようである。慌てて車を停め、写真を記念に撮っておいた。

 

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太宰府歴史スポーツ公園」の入口銘碑

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「大宰府万葉歌碑めぐり」 (太宰府市