●歌は、「君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも」である。
●歌をみていこう。
◆君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉
(作者未詳 巻七 一二四九)
≪書き下し≫君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘むと我(わ)が染(そ)めし袖濡れにけるか
(訳)あの方に差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘もうとして、私が染めて作った着物の袖がすっかり濡れてしまいました。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
左注に「右の四首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ」とある。
ヒシは、葉の形が特徴的で、菱型という言葉はその葉の形からきているとされている。ヒシは一年生の水草で、七月頃、白い花を咲かせる。それから棘のある特徴的な実をつける。この実は食用になり、栗に似た味がするそうである。
万葉集には、ヒシを詠んだ歌がもう1首収録されている。こちらもみてみよう。
◆豊國 企玖乃池奈流 菱之宇礼乎 採跡也妹之 御袖所沾計武
(作者未詳 巻十六 三八七六)
≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の池なる菱(ひし)の末(うれ)を摘むとや妹がみ袖濡れけむ
(訳)豊国の企救(きく)の池にある菱の実、その実を摘もうとでもして、あの女(ひと)のお袖があんなに濡れたのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)企救(きく):北九州市周防灘沿岸の旧都名。
題詞は、「豊前國白水郎歌一首」<豊前(とよのみちのくち)の国の白水郎(あま)の歌一首>である。
(注)はくすいろう【白水郎】:《「白水」は中国の地名。水にもぐることのじょうずな者がいたというところから》漁師。海人(あま)。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
三八七六歌は、巻十六に収録されている。巻十六は、巻頭に「有由縁幷雑歌」とある。「有由縁幷せて雑歌」ないし「有由縁、雑歌を幷せたり」と訓読され、「『由縁』(ことの由来)ある歌と雑歌」を収録している標示であると理解される。ただ、「目録」には、「幷」の文字はなく、「有由縁雑歌」であることから、「由縁有る雑歌」とする説もある。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて―その116―」にも触れているが、神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、単なる「由縁ある雑歌」を収録したものではないとして「『由縁』(ことの由来)ある歌と雑歌」を収録しているとしている。その理由として、巻十六は、大きく分けて、次の五つのグループに分けられると分析されている。
①題詞が、物語的な内容をもち、歌物語といえるような歌のグループ(三七八六~三八〇五歌)
②題詞でなく、左注が歌物語的に述べる歌のグループ(三八〇六~三八一五歌)
③いろいろな物を詠いこまれるように題を与えられたのに応じた形の歌のグループ(三八二四~三八三四歌)(三八五五~三八五六歌)
④「嗤う歌」と題詞にいう歌のグループ(三八四〇~三八四七歌)
⑤国名を題詞に掲げる歌のグループ(三八七六~三八八四歌)
巻十六は、①②のように物語的な内容を踏まえた歌、まさに「有由縁」歌であり、そのほかは他の巻とは異なる視点からの「雑歌」を集めた形をなしており、「歌物語をはじめとして、雑多な、歌においてありうるこころみを(万葉集として)つくして見せ」ていると述べておられる。
三八七六歌は、上記の⑤国名を題詞に掲げる歌のグループ の先頭歌である。
巻十六には、上記五グループに続いて、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠う歌二首>(三八八五、三八八六歌)ならびに「怕物歌三首」<怕(おそ)ろしき物の歌三首(三八八七~三八八九歌)がある。
しいて上記グループと並べるならば、「その他雑歌」グループとなろうか。これらは確かに異質である。
(注)ほかひびと 【乞児・乞食者】名詞:物もらい。こじき。家の戸口で、祝いの言葉などを唱えて物ごいをする人。「ほかひひと」とも。
(注)怕物歌:畏怖の対象となる物を題材とした歌。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)