万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1379)―福井県越前市 小丸城址―万葉集 巻十五 三七四四、三七四〇、三七四五、三七五〇

●歌は、

「我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし」(巻十五 三七四四)

「天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ」(巻十五 三七四〇)

「命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはだな思ひそ命だに経ば」(巻十五 三七四五)

「天地の底ひのうちに我がごとく君に恋ふらぬ人はさねあらじ」(巻十五 三七五〇)である。

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福井県越前市 小丸城址万葉歌碑(中臣宅守・狭野弟上娘子)

●歌碑は、福井県越前市 小丸城址にある。

 

●歌をみていこう。

 

まず三七四四歌からである。

 

◆和伎毛故尓 古布流尓安礼波 多麻吉波流 美自可伎伊能知毛 乎之家久母奈思

       (中臣宅守 巻十五 三七四四)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に恋ふるに我(あ)れはたまきはる短き命(いのち)も惜(を)しけくもなし

 

(訳)いとしいあなたに焦がれてばかりいるにつけて、苦しさのあまり、私はたいせつなこの短い命さえ、もう惜しくなどない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 「たまきはる」について、「語義・かかる理由未詳」とあるが、朴 炳植氏は、その著「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた」(学習研究社)の中で、「この枕詞の語源は『タ=貴い・尊い』『マ=真のもの・よいもの』『キ=物・者』、つまり『タマキ』は『非常に貴い物』であり、『ハル』は『・・・する/・・・である』なのである。この場合の『タマ』は『玉』または『魂』とも表記されるものと同じなのであり、『玉』も『魂』も『貴重な物』であることに変わりはないのである。であるから『命(いのち)=貴重なもの・尊いもの』にかかるのは、ごく自然であると言わざるを得ない。」と書いておられる。これは説得力ある説明だと思える。

 

◆安米都知能 可未奈伎毛能尓 安良婆許曽 安我毛布伊毛尓 安波受思仁世米

       (中臣宅守 巻十五 三七四〇)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の神(かみ)なきものにあらばこそ我(あ)が思(も)ふ妹に逢(あ)はず死にせめ

 

(訳)もし天地の神々がいまさぬものであったなら、私の思い焦がれるあなたに逢えぬまま、焦がれて死ぬことにもなろうが・・・。(同上)

(注)あめつち【天地】名詞:①天と地。②天の神と地の神。(学研)

(注)しにす【死にす】自動詞:死ぬ。(学研)

(注)め:推量の助動詞「む」の已然形。(学研)

 

 

◆伊能知安良婆 安布許登母安良牟 和我由恵尓 波太奈於毛比曽 伊能知多尓敝波

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七四五)

 

≪書き下し≫命(いのち)あらば逢(あ)ふこともあらむ我(わ)がゆゑにはだな思ひそ命だに経(へ)ば

 

(訳)命さえあったら、お逢いする日もありましょう。私のせいでそんなひどく思い悩んで下さいますな。命さえ長らえていたなら・・・。(同上)

(注)「はだ」:甚だ。(伊藤脚注)

(注)へ【経】:動詞「ふ」の未然形・連用形。

(注の注)ふ【経】自動詞:①時がたつ。年月が過ぎる。過ぎ去る。②通る。通って行く。通り過ぎる。(学研)

(注)三七四五歌は、宅守の三七四四歌を承けている。(伊藤脚注)

 

 

◆安米都知乃 曽許比能宇良尓 安我其等久 伎美尓故布良牟 比等波左祢安良自

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七五〇)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の底(そこ)ひのうらに我(あ)がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ

 

(訳)果てしもない天地のどん底にあって、私ほどあなたに身を焼く人、そんな人は、けっしておりますまい。(同上)

(注)そこひ【底ひ】名詞:極まる所。奥底。極み。果て。限り。(学研)

(注)うら【裏】名詞:①内側。内部。②表に現れない内容・意味。③裏面。裏。④(衣服の)裏地。⑤連歌(れんが)・俳諧(はいかい)で、二つ折りの懐紙の裏面。また、そこに書かれた句。[反対語]①~⑤表(おもて)。(学研)ここでは①の意

(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)ここでは①の意

(注)三七五〇歌は、宅守の三七四〇歌を意識している。(伊藤脚注)

 

 宅守の歌を承けた娘子の歌に並び替えてみるとお互いの思いが分かりやすくなる。

 

「我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし」(宅守 三七四四歌)

「命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはだな思ひそ命だに経ば」(娘子 三七四五歌)

 

「天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ」(宅守 三七四〇)

「天地の底ひのうちに我がごとく君に恋ふらぬ人はさねあらじ」(娘子 三七五〇)

 

 中臣宅守が配所(味真野)に到着してからの歌であるので、配所までの空間軸の移動がない分時間軸に押しつぶされそうになる悲痛な歌が展開し、この局面では、娘子の方が宅守を慰めるような感覚での歌となっている。

 

この歌碑のある小丸城とは、「福井県越前市(旧武生(たけふ)市)にあった平城(ひらじろ)。同県指定史跡。鞍谷川がつくった扇状地の丘陵部につくられた城である。(中略)佐々成政が1575年(天正3)に築城を開始した城が小丸城である。その後、成政は1581年(天正9)に越中国(現富山県)に転封となり、小丸城は築城から6年あまりで廃城となった。城は未完のまま棄却されたのではないかという推測もある。」(コトバンク 講談社 日本の城がわかる事典より)

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小丸城址の碑

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小丸城址の説明案内板



 坂井市の三国神社へは大阪府堺市の方違神社と同じ歌の歌碑であるので、どうしても行っておきたかった。福井駅前から坂井市まで往復する形の効率の悪い移動であるがやむを得ない。そして越前市の小丸城址まで来たのである。北陸スコールで計画がずたずたに。三国神社の裏手の桜谷公園での歌碑探しも手間取ってしまった。

 二日連続の味真野地区であるが、万葉ロマンあふれる街にそれまでの苦労も吹っ飛んでしまった。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた」 朴 炳植氏 著 (学習研究社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 講談社 日本の城がわかる事典」