万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2459)―

●歌は、「筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山悪しかるとがもさね見えなくに」である。

茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂万葉歌碑(作者未詳) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆筑波祢尓 曽我比尓美由流 安之保夜麻 安志可流登我毛 左祢見延奈久尓

       (作者未詳 巻十四 三三九一)

 

≪書き下し≫筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山(あしほやま)悪(あ)しかるとがもさね見えなくに

 

(訳)筑波嶺に対してうしろ側に見える葦穂山、そのあしというではないが、悪しと思われるところなど、あの子にはちっともありはしないのにな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「悪し」を起す。「葦穂山」は筑波山北方の足尾山。(伊藤脚注)

(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。そがい(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)とが【咎・科】名詞:①欠点。過失。②犯罪。罪。(学研)ここでは①の意

(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)ここでは①の意

 

 「そがひ」と詠っている歌をみてみよう。

 

■三五七歌■

◆縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下

       (山部赤人 巻三 三五七)

 

≪書き下し≫縄(なは)の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕(こ)ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも

 

(訳)縄の浦からうしろに見える沖合の島、その島のあたりを漕ぎめぐっている舟は、まだ釣りをしているまっ最中らしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)

(注)らし(読み)助動 活用語の終止形、ラ変型活用語の連体形に付く。:① 客観的な根拠・理由に基づいて、ある事態を推量する意を表す。…らしい。…に違いない。②根拠や理由は示されていないが、確信をもってある事態の原因・理由を推量する意を表す。…に違いない。 [補説]語源については「あ(有)るらし」「あ(有)らし」の音変化説などがある。奈良時代には盛んに用いられ、平安時代には1の用法が和歌にみられるが、それ以後はしだいに衰えて、鎌倉時代には用いられなくなった。連体形・已然形は係り結びの用法のみで、また奈良時代には「こそ」の結びとして「らしき」が用いられた(コトバンク デジタル大辞泉

 

 

◆武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟

        (山部赤人 巻三 三五八)

 

≪書き下し≫武庫(むこ)の浦を漕ぎ廻(み)る小舟(をぶね)粟島(あはしま)をそがひに見つつ羨(とも)しき小舟(をぶね)

 

(訳)武庫の浦を漕ぎめぐって行く小船よ。妻に逢えるという粟島をうしろに見ながら都の方へ漕いで行く、ほんとうに羨ましい小舟よ。(同上)

(注)武庫の浦:武庫川の河口付近。(伊藤脚注)

(注)粟島:所在未詳。「粟」に「逢は」を懸ける。(伊藤脚注)

(注)そがひに見つつ:後ろに見ながら都の方へと漕いでいく。望郷の念。(伊藤脚注)

 

 三五七・三五八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その614)」で紹介している。

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■九一七歌■

◆安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背匕尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻

        (山辺赤人 巻六 九一七)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)ご大王(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕(つか)へ奉(まつ)れる 雑賀野(さひかの)  そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白浪騒(さわ)き 潮干(ふ)れば 玉藻(たまも)刈りつつ 神代(かみよ)より しかぞ貴(たふと)き 玉津島山(たまつしまやま)

 

(訳)安らかに天下を支配されるわれらの大君、その大君のとこしえに輝く立派な宮として下々の者がお仕え申しあげている雑賀野(さいかの)に向き合って見える沖の島、その島の清らかなる渚に、風が吹けば白波が立ち騒ぎ、潮が引けば美しい藻を刈りつづけてきたのだ・・・、ああ、神代以来、そんなにも貴いところなのだ、沖の玉津島は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(学研)

(注)とこみや【常宮】名詞:永遠に変わることなく栄える宮殿。貴人の墓所の意でも用いる。「常(とこ)つ御門(みかど)」とも。(学研)

(注)雑賀野:和歌山市南部、和歌の浦の北西に位置する一帯。(伊藤脚注)

(注)そがひ:背後。「沖つ島」(玉津島)は宮に面する時、背後に当たる。(伊藤脚注)

(注の注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)

(注の注)沖つ島:ここでは「玉津島」をさす。

(注の注の注)玉津島 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の和歌山県にある山。和歌の浦にある玉津島神社(玉津島明神)の背後にある、風景の美しい所とされた。古くは島であった。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その733)」で紹介している。

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■一四一二歌■

◆吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向尓宿之久 今思悔裳

       (作者未詳 巻七 一四一二)

 

≪書き下し≫我が背子をいづち行かめとさき竹のそがひに寝しく今し悔しも

 

(訳)私のいとしい人、あの人に限ってどこへも行くはずがないと、割(さ)み竹のように背中を向けて寝たことが、今となっては何とも悔やまれてならない。(同上)

(注)いづち【何方・何処】代名詞:どこ。どの方向。▽方向・場所についていう不定称の指示代名詞。 ※「ち」は方向・場所を表す接尾語。⇒いづかた・いづこ・いづら・いづれ(学研)

(注)さきたけの【割き竹の】[枕]:①割った竹は、互いに後ろ向きになるところから、「背向 (そがひ) 」にかかる。②割った竹はしないたわむところから、「とをを」にかかる。(goo辞書)

 

 

 

■三五七七歌■

◆可奈思伊毛乎 伊都知由可米等 夜麻須氣乃 曽我比尓宿思久 伊麻之久夜思母

        (作者未詳 巻十四 三五七七)

 

≪書き下し≫愛(かな)し妹(いも)をいづち行かめと山菅(やますげ)のそがひに寝(ね)しく今し悔(くや)しも      

 

(訳)かわいい妻よ、お前さんが私を離れてどこへ行くものかとたかをくくって、山菅の葉のように背を向け合って寝たこと、そのことが今となっては悔やまれてならないのだよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いづち【何方・何処】代名詞:どこ。どの方向。▽方向・場所についていう不定称の指示代名詞。※「ち」は方向・場所を表す接尾語。⇒いづかた・いづこ・いづら・いづれ(学研)

(注)やますげ【山菅】名詞:①山野に自生している菅(すげ)(=植物の名)。根が長く、葉が乱れていることを歌に詠むことが多い。※「やますが」とも。②やぶらん(=野草の名)の古名。(学研)

(注)やますげの【山菅の】分類枕詞:山菅の葉の状態から「乱る」「背向(そがひ)」に、山菅の実の意から「実」に、同音から「止(や)まず」にかかる。(学研)

(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その347)」で紹介している。

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■四〇〇三歌■

◆阿佐比左之 曽我比尓見由流 可無奈我良 弥奈尓於婆勢流 之良久母能 知邊乎於之和氣 安麻曽ゝ理 多可吉多知夜麻 布由奈都登 和久許等母奈久 之路多倍尓 遊吉波布里於吉弖 伊尓之邊遊 阿理吉仁家礼婆 許其志可毛 伊波能可牟佐備 多末伎波流 伊久代経尓家牟 多知氐為弖 見礼登毛安夜之 弥祢太可美 多尓乎布可美等 於知多藝都 吉欲伎可敷知尓 安佐左良受 綺利多知和多利 由布佐礼婆 久毛為多奈眦吉 久毛為奈須 己許呂毛之努尓 多都奇理能 於毛比須具佐受 由久美豆乃 於等母佐夜氣久 与呂豆余尓 伊比都藝由可牟 加波之多要受波

        (大伴池主 巻十七 四〇〇三)

 

≪書き下し≫朝日さし そがひに見ゆる 神(かむ)ながら み名に帯(お)ばせる 白雲(しらくも)の 千重(ちへ)を押し別(わ)け 天(あま)そそり 高き立山(たちやま) 冬夏と 別(わ)くこともなく 白栲に 雪は降り置きて いにしへゆ あり来(き)にければ こごしかも 岩(いは)の神さび たまきはる 幾代(いくよ)経(へ)にけむ 立ちて居(ゐ)て 見れども異(あや)し 峰(みね)高(だか)み 谷を深みと 落ちたぎつ 清き河内(かふち)に 朝さらず 霧立ちわたり 夕されば 雲居(くもゐ)たなびき 雲居(くもゐ)なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過(す)ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代(よろづよ)に 言ひ継(つ)ぎ行かむ 川し絶えずは

 

(訳)朝日がさして背をくっきり見せて聳(そび)える、神のままに御名を持っておられる、白雲の千重の重なりを押し分けて天空高くそそり立つ立山よ、この立山には冬夏といわず年中いつも、まっ白に雪は降り置いて、そのままの姿で古く遠い御代からあり続けてきたものだから、何とまあ嶮(けわ)しいしいことか、岩が神さびている、この神さび岩はいったい幾代を経たことであろう。立って見るにつけ坐(すわ)って見るにつけその神々しさは計り知れない。峰は高く谷は深々としているので、ほとばしり落ちる清らかな谷あいの流れに、朝ごとに霧が立ちわたり、夕方になると雲が一面にたなびく、その覆いわたる雲のように心畏(おそ)れつつ、その立ちわたる霧のように思いこめつつ、行く水の瀬音のさやけさそのままに、万代ののちまでも語り継いでゆこう。この川の絶えない限りは。(同上)

(注)そがひに見ゆる:朝日の逆光で背を向けているように見える山の姿をいうか。(伊藤脚注)

(注の注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)

(注)かむながら【神ながら・随神・惟神】副詞:①神そのものとして。②神のお心のままに。(学研)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。(学研)

(注)朝さらず:朝毎に。(さるは来るの意であるから、夜明け前には?)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その842)」で紹介している。

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■四〇一一歌■

◆・・・等我理須等 名乃未乎能里弖 三嶋野乎 曽我比尓見都追 二上 山登妣古要氏 久母我久理 可氣理伊尓伎等 可敝理伎弖 之波夫礼都具礼 呼久餘思乃 曽許尓奈家礼婆 伊敷須敝能 多騰伎乎之良尓・・・

       (大伴家持 巻十七 四〇一一)

 

≪書き下し≫・・・鷹狩(とがり)すと 名のみを告(の)りて 三島野(みしまの)を そがひに見つつ 二上(ふたがみ)の 山飛び越えて 雲隠(くもがく)り 翔(かけ)り去(い)にきと 帰り来(き)て しはぶれ告(つ)ぐれ 招(を)くよしの そこになければ 言ふすべの たどきを知らに・・・

 

(訳)・・・他の者に鷹狩をしますとほんの形だけ告げて出かけ、その挙句に、「大黒は三島野をうしろにしながら、二上の山を飛び越えて、雲に隠れて飛んで行ってしまいました」と、帰って来て息せき切って告げる始末、だが、呼び寄せる手だてもさしあたってないので、どう言ったらよいのか物の言いようもなく、

(注)三島野:越中国府の南東、高岡市付近から射水市にかけての野。(伊藤脚注)

(注)しはぶる【咳る】自動詞:せきをする。(学研)

(注)をく【招く】他動詞:招き寄せる。呼び寄せる。(学研)

(注)たどき 名詞:「たづき」に同じ。 ※上代語。(学研)

(注の注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考:古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)ここでは①の意

 

 

■四二〇七歌■

◆此間尓之氐 曽我比尓所見 和我勢故我 垣都能谿尓 安氣左礼婆 榛之狭枝尓 暮左礼婆 藤之繁美尓 遥ゝ尓 鳴霍公鳥 吾屋戸能 殖木橘 花尓知流 時乎麻太之美 伎奈加奈久 曽許波不怨 之可礼杼毛 谷可多頭伎氐 家居有 君之聞都ゝ 追氣奈久毛宇之

        (大伴家持 巻十九 四二〇七)

 

≪書き下し≫ここにして そがひに見ゆる 我が背子(せこ)が 垣内(かきつ)の谷に 明けされば 榛(はり)のさ枝(えだ)に 夕されば 藤(ふぢ)の茂(しげ)みに はろはろに 鳴くほととぎす 我がやとの 植木橘(うゑきたちばな) 花に散る 時をまだしみ 来鳴かなく そこは恨(うら)みず しかれども 谷片付(かたづ)きて 家(いへ)居(を)れる 君が聞きつつ 告(つ)げなくも憂(う)し

 

(訳)ここからはうしろの方に見える、あなたの屋敷内の谷間に、夜が明けてくると榛の木のさ枝で、夕暮れになると藤の花の茂みで、はるばると鳴く時鳥(ほととぎす)、その時鳥が、我が家の庭の植木の橘はまだ花が咲いて散る時にならないので、来て鳴いてはくれない、が、そのことは恨めしいとは思わない。しかしながら、その谷の傍らに家を構えてお住まいの君が、時鳥の声を聞いていながら、報せてもくれないのはひどいではないか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ここ:家持の館をさす

(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)

(注)かきつ【垣内】《「かきうち」の音変化か》:垣根に囲まれたうち。屋敷地の中。かいと。(weblio辞書 デジタル大辞泉) >>>「垣内の谷」広縄の館が、時鳥の鳴く谷に近かったので、このように言ったのである。

(注)はろばろ【遥遥】[副]《古くは「はろはろ」》:「はるばる」に同じ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(訳)かたつく【片付く】自動詞:一方に片寄って付く。一方に接する。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その830)」で紹介している。

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■四四七二歌■

◆於保吉美乃 美許登加之古美 於保乃宇良乎 曽我比尓美都々 美也古敝能保流

       (安宿奈杼麻呂 巻二十 四四七二)

 

≪書き下し≫大君の命畏み於保の浦をそがひに見つつ都へ上る

 

(訳)大君の仰せを恐れ畏んで、於保の浦を尻目(しりめ)に見ながら、私は都に上って行く。(同上)

(注)於保の浦:出雲(島根県東半分)の国庁に近い意宇の海の、浦の名か。(伊藤脚注)

左注は、「右掾安宿奈杼麻呂」<右は、掾安宿奈杼麻呂(じようあすかべのなどまろ)>である。

 

 

 「さき竹の」(一四一二歌)、「山菅の」(三五七二歌)の枕詞を冠して「そがひに寝しく」と詠っている他は、「そがいに」見ゆる、見つつとなっている。

 なななかに興味深い言葉である。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫より)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫より)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫より)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫より)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉