●歌は、「筑波嶺のをてもこのもに守部据ゑ母い守れども魂ぞ合ひにける」である。
●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。
●歌をみていこう。
◆筑波祢乃 乎弖毛許能母尓 毛利敝須恵 波播已毛礼杼母 多麻曽阿比尓家留
(作者未詳 巻十四 三三九三)
≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)のをてもこのもに守部(もりへ)据(す)ゑ母(はは)い守(も)れども魂(たま)ぞ会ひにける
(訳)筑波嶺の向こう側にもこちら側にも番人を据えて山を守る、そのように、母さんが見守っているけれども、何のその、魂は通じ合ってしまったよ。(同上)
(注)をてもこのも【彼面此面】名詞:あちら側とこちら側。かなたこなた。あちこち。 ※「をちおも(遠面)このおも(此面)」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)もりべ【守部】名詞:番人。特に、山野・河川・陵墓などの番人。(学研)
(注)上三句は序。「守る」を起こす。(伊藤脚注)
「・・・万葉歌を眺めてみると、たしかに、父の存在は影が薄い。万葉びとの世界は、圧倒的に母の世界だ。これには理由があって、夫婦が同居せず、男が女のもとに通う『妻訪い婚』という形式が一般的だったからである。子供は母のもとで養育されるので、子供の結婚に関しては、母親が決定権を持つことになる。つまり、母親が『うん』と言わないかぎり、結婚ができないのである。年頃の娘を持つ母は、娘たちを見張って、いわゆる『悪い虫』がつかないようにしていたのだ。」(nippon.com HP「万葉歌と母権社会-『令和の時代』の万葉集(11)上野 誠氏 より引用させていただきました。」
三三九三歌では、まさに「年頃の娘を持つ母は、娘たちを見張って、いわゆる『悪い虫』がつかないようにしていた」その障害を乗り越えたことが詠われている。
同じような歌をみてみよう。
◆霊合者 相宿物乎 小山田之 鹿猪田禁如 母之守為裳 <一云 母之守之師>
(作者未詳 巻十二 三〇〇〇)
≪書き下し≫魂合(たまあ)へば相(あひ)寝(ぬ)るものを小山田(をやまだ)の鹿猪田(ししだ)守(も)るごと母し守(も)らすも <一云 母が守らしし>
(訳)二人の魂が通じ合えば共寝できるというのに、まるで山の田んぼの鹿猪(しし)の荒らす田を見張りするように、あの子のおっかさんが見張りをしておいでだ。<あの子のおっかさんが見張りをしておいでだったよ。>(同上)
(注)たまあふ【魂合ふ】自動詞:心が通じ合う。魂が結ばれる。(学研)
(注)ししだ【猪田・鹿田】〘名〙: 猪(いのしし)や鹿(しか)などが出て荒らす田。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
母のガードの固さを「小山田(をやまだ)の鹿猪田(ししだ)守(も)るごと」と評している。当事者の二人は大変であろうが、面白おかしく感じさせる歌である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1122)」で紹介している。
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◆御佩乎 劔池之 蓮葉尓 渟有水之 徃方無 我為時尓 應相登 相有君乎 莫寐等 母寸巨勢友 吾情 清隅之池之 池底 吾者不忘 正相左右二
(作者未詳 巻十三 三二八九)
≪書き下し≫み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の ゆくへなみ 我(わ)がする時に 逢(あ)ふべしと 逢ひたる君を な寐寝(いね)そと 母聞(き)こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(わ)れは忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに
(訳)お佩(は)きになる剣の名の剣の池、その池の蓮葉に溜まっている水玉がどちらへもいけないように、私がどうしてよいのか途方に暮れている時に、逢うべき定めなのだとのお告げによってお逢いしたあなた、そんなあなたなのに一緒に寝てはいけないと母さんはおっしゃるけど、私の心は、清隅の池のように清く澄んでおり、その池の底のように心の底からあなたを思っている私は、忘れるなんてことを致しますまい。もう一度じかにお逢いできるその日まで。(同上)
(注)みはかし【御佩刀】名詞:お刀。▽「佩刀」の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(学研)
(注)冒頭から四句は序。「ゆくへなみ」を起こす。(伊藤脚注)
(注)みはかしを【御佩刀を】[枕]《「を」は間投助詞》:「剣 (つるぎ) 」と同音を含む地名「剣の池」にかかる。(goo辞書)
(注)剣の池:橿原市石川町の池。(伊藤脚注)
(注)なみ【無み】 ※派生語。 ⇒なりたち 形容詞「なし」の語幹+接尾語「み」(学研)
(注)左右(まで):両手のことを「まて」、「まで」といったことからの戯書。
この歌の反歌もあるのでみておこう。
◆古之 神乃時従 會計良思 今心文 常不所忘
(作者未詳 巻十三 三二九〇)
≪書き下し≫いにしへの神の時より逢ひけらし今の心も常(つね)忘らえず
(訳)はるか古(いにしえ)の神の御代から二人は逢っていたのであるらしい。今も今もあなたが心にかかって片時も忘れることができません。(同上)
さすがの母の力も、神に関わると、といった感じである。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その973)」で紹介している。
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◆玉垂 小簾之寸鶏吉仁 入通来根 足乳根之 母我問者 風跡将申
(作者未詳 巻十一 二三六四)
≪書き下し≫玉垂(たますだれ)の小簾(をす)のすけきに入(い)り通ひ来(こ)ねたらちねの母が問(と)はさば風(かぜ)と申さむ
(訳)玉垂の簾(すだれ)のこの隙間にそっと入って通って来て下さいな。母さんが何の音と尋ねたら、「風」と申しましょう。(同上)
(注)たますだれ【玉簾】名詞:すだれの美称。美しいすだれ。「たまだれ」とも。 ※「たま」は接頭語。(学研)
(注の注)たまだれの【玉垂れの】分類枕詞:緒(お)で貫いた玉を垂らして飾りとしたことから「緒」と同じ音の「を」にかかる。(学研)
(注)すけき 名詞;ほんの少しのすきま。 ※「透(す)き明(あ)き」の変化した語か。(学研)
「女は弱し、されど母は強し」というが、この歌にあっては、「母は強し、さらに女は強し」といったところであろう。
この歌についても上記の、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1122)」で紹介している。
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◆等夜乃野尓 乎佐藝祢良波里 乎佐乎左毛 祢奈敝古由恵尓 波伴尓許呂波要
(作者未詳 巻十四 三五二九)
≪書き下し≫等夜(とや)の野(の)に兎(をさぎ)狙(ねら)はりをさをさも寝(ね)なへ子ゆゑに母に嘖(ころ)はえ
(訳)等夜(とや)の野で兎を狙い定めるというではないが、おさおさ、そう、ろくすっぽ寝もしていないあの子なのに、あいつのおっ母(か)さんにこっぴどく絞め上げられちまってさ・・・(同上)
(注)狙はり:「ねらへり」の東国形。上二句は序。相手を狙う意もこもる。(伊藤脚注)
(注)をさをさ 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕ほとんど。あまり。めったに。なかなかどうして。②しっかりと。きちんと。はっきりと。(学研)ここでは①の意
(注)ころふ【嘖ふ】他動詞:(大声で)しかる。 ※上代語。(学研)
この歌を読んだ都の人たちは、腹を抱えて笑ったであろう。
愛し合おうとする二人の前に立ちはだかる「母」、その力が並外れたものであるだけに、これまで見て来たような歌が生まれたのであろう。
このような「母」の姿を詠った歌を特集してみたいものである。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」
★「万葉歌と母権社会-『令和の時代』の万葉集(11)」(nippon.com HP)