万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2184)―福井県(3)坂井市・敦賀市・三方郡他―

福井県坂井市 三国神社裏桜谷公園万葉歌碑(巻七 一三六七)■

福井県坂井市 三国神社裏桜谷公園万葉歌碑(作者未詳) 20211112撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「寄獣」<獣に寄す>である。

 

◆三國山 木末尓住歴 武佐左妣乃 此待鳥如 吾俟将痩

        (作者未詳 巻七 一三六七)

 

≪書き下し≫三国山(みくにやま)木末(こぬれ)に棲まふむささびの鳥待つごとく我(あ)れ待ち痩(や)せむ

 

(訳)三国山の梢(こずえ)に棲(す)んでいるむささびが鳥を待つように、私はあの人を待ってやつれてしまうことであろう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)三国山:所在未詳。(伊藤脚注)

(注)こぬれ【木末】名詞:木の枝の先端。こずえ。 ※「こ(木)のうれ(末)」の変化した語。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)     

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1378)」で紹介している。

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 犬養 孝 著 「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 (平凡社ライブラリー)によると、「三国山(みくにやま)」について、「所在明らかではないが、坂井市三国港東北の山地かといわれている。」と書かれている。

 

 桜谷公園の「桜谷」は、三國神社HPによると、明治十八年に「桜谷神社」から「三國神社」に改称したとあることに因んでいるのであろう。

 

 同歌の歌碑は、大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町 方違神社にも立てられている。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1039)」で紹介している。

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福井県若狭町 三方石観音参道 万葉歌碑(巻七 一一七七)■

福井県若狭町 三方石観音参道 万葉歌碑(作者未詳) 20220609撮影

●歌をみていこう。

 

◆若狭在 三方之海之 濱清美 伊徃變良比 見跡不飽可聞

      (作者未詳 巻七 一一七七)

 

≪書き下し≫若狭(わかさ)にある三方(みかた)の海(うみ)の浜清みい行き帰(かへ)らひ見れど飽(あ)かぬかも

 

(訳)若狭の国にある三方の海の浜が清らかなので、行きつ戻りつしながら、見ても見ても見飽きることがない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)三方の海:福井県三方湖。(伊藤脚注)

(注)-み 接尾語:①〔形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて〕(…が)…なので。(…が)…だから。▽原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある。②〔形容詞の語幹に付いて〕…と(思う)。▽下に動詞「思ふ」「す」を続けて、その内容を表す。③〔形容詞の語幹に付いて〕その状態を表す名詞を作る。④〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。(学研)ここでは①の意

(注)いゆく【い行く】自動詞:行く。進む。 ※「い」は接頭語。上代語。(学研)

(注)かへらふ【帰らふ・還らふ・反らふ】分類連語:①次々と(度々(たびたび))かえる。②繰り返す。③しきりに…する。 ⇒なりたち:動詞「かへる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)ここでは①の意

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1634)」で紹介している。

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福井県美浜町 若狭 三方レインボーライン第1駐車場手前 万葉歌碑(巻七 一一七七)■

福井県美浜町 若狭 三方レインボーライン第1駐車場手前 万葉歌碑(作者未詳)

●この歌は、上述の「三方石観音参道 万葉歌碑」と同じなので省略させていただきます。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1635)」で紹介している。

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福井県敦賀市 田結口交差点 万葉歌碑(巻三 三六六)■

福井県敦賀市 田結口交差点 万葉歌碑(笠金村) 2022609撮影

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首 幷短歌」<角鹿(つのが)の津(つ)にして船(ふね)に乗る時に、笠朝臣金村が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)角鹿(つのが)の津(つ):敦賀の港。ここで船に乗り、越前国府へ。(伊藤脚注)

 

◆越海之 角鹿乃濱従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 獨為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎

        (笠金村 巻三 三六六)

 

≪書き下し≫越(こし)の海(うみ)の 角鹿(つのが)の浜ゆ 大船(おおぶね)に 真楫(まかぢ)貫(ぬ)き下(お)ろし 鯨魚(いさな)取(と)り 海道(うみぢ)に出でて 喘(あへ)きつつ 我(わ)が漕ぎ行けば ますらをの 手結(たゆひ)が浦に 海女娘子(あまおとめ) 塩焼く煙(けぶり) 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験(しるし)なみ 海神(わたつみ)の 手に巻かしたる 玉たすき 懸(か)けて偲ひつ 大和島根(やまとしまね)を

 

(訳)越の海の敦賀の浜から、大船の舷(ふなばた)に楫(かい)をたくさん貫きならべ、海路に乗り出して、あえぎながら漕いで行くと、立派な男子を想わせる手結(たゆい)が浦で、取り合わせるかのように海女娘子たちの藻塩(もしお)を焼く煙が見える、その煙は旅にある身のこととて、ひとりで見てもいっこうに見るかいがないものだから、海の神が手に巻きつけて持っておられる尊い玉、それほどに尊いたすきでもかけるように、心の底深くに懸けて、海上はるかの偲(しの)びに偲んだ、故郷大和の国を。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)越の海:北陸の海。「越」は越前・越中・越後の総称。(伊藤脚注)

(注)まかぢ【真楫】名詞:楫の美称。船の両舷(りようげん)に備わった楫の意とする説もある。「まかい」とも。(学研) ※「ま」は接頭語。

(注)ますらをの【益荒男の】分類枕詞:「ますらを」は「手結(たゆ)ひ(=衣服の袖口(そでぐち)を結ぶこと)」をしていたことから、地名「手結(たゆひ)」にかかる。 ※かかり方については他の説もある。(学研)

(注)手結(たゆひ)が浦:敦賀湾の東岸、田結(たい)あたり。(伊藤脚注)

(注)しほやき【塩焼き】名詞:海水を煮詰めて塩を作ること。また、その人。(学研)

(注の注)もしほ【藻塩】名詞:①海藻から採る塩。海水をかけて塩分を多く含ませた海藻を焼き、その灰を水に溶かしてできた上澄みを釜(かま)で煮つめて採る。②藻塩を製するための海水。(学研)

(注)ひとりして:故郷の妻に対して言う。(伊藤脚注)

(注)「海神(わたつみ)の 手に巻かしたる」は序。「玉」を起こす。「海神の手結」は「ますらをの手結」に関連して用いたか。(伊藤脚注)

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)

 

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福井県敦賀市 五幡神社 万葉歌碑(巻十八 四〇五五)■

福井県敦賀市 五幡神社 万葉歌碑(大伴家持) 20220609撮影

●歌をみていこう。

 

◆可敝流未能 美知由可牟日波 伊都波多野 佐可尓蘇泥布礼 和礼乎事於毛波婆

      (大伴家持 巻十八 四〇五五)

 

≪書き下し≫可敝流(かへる)廻(み)の道行かむ日は五幡(いつはた)の坂に袖振(そでふ)れ我れをし思はば

 

(訳)都に帰るという可敝流あたりの道を辿(たど)っていかれる日には、いつの日かまたという五幡(いつはた)の坂で別れの袖を振って下さい。私どもの別れがたさを思って下さるならば。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)可敝流:福井県南条郡南越前町南今庄にあった帰(かえる)。都に帰る意を匂わす。(伊藤脚注)

(注)-み 【回・廻・曲】接尾語:〔地形を表す名詞に付いて〕…の湾曲した所。…のまわり。「磯み」「浦み」「島み」「裾(すそ)み(=山の裾のまわり)」(学研

(注)五幡:福井県敦賀市五幡。帰から西へ越えた敦賀湾の岸。(伊藤脚注)

(注)五幡の坂に袖振れ:いつの日かまた逢おうと袖を振れ、の意をこめる。(伊藤脚注)

 

 四〇五二から四〇五五歌の歌群の題詞は、「掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首」<掾久米朝臣広縄が館(たち)にして、田辺史福麻呂に饗(あへ)する宴(うたげ)の歌四首>である。

(注)福麻呂の帰京を明日に控えての送別の宴。(伊藤脚注)

 

左注は、「右二首大伴宿祢家持  前件歌者廿六日作之」<右の二首は大伴宿禰家持  前(さき)の件(くだり)の歌は、二十六日に作る>である。

 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「三國神社HP」