万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1636)―福井県敦賀市 田結口交差点―万葉集 巻三 三六六

●歌は、「・・・手結が浦に海人娘子塩焼く煙草枕・・・」である。

福井県敦賀市 田結口交差点 万葉歌碑(笠金村)

●歌碑は、福井県敦賀市 田結口交差点にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首 幷短歌」<角鹿(つのが)の津(つ)にして船(ふね)に乗る時に、笠朝臣金村が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)角鹿(つのが)の津(つ):敦賀の港。ここで船に乗り、越前国府へ。(伊藤脚注)

 

◆越海之 角鹿乃濱従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 獨為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎

        (笠金村 巻三 三六六)

 

≪書き下し≫越(こし)の海(うみ)の 角鹿(つのが)の浜ゆ 大船(おおぶね)に 真楫(まかぢ)貫(ぬ)き下(お)ろし 鯨魚(いさな)取(と)り 海道(うみぢ)に出でて 喘(あへ)きつつ 我(わ)が漕ぎ行けば ますらをの 手結(たゆひ)が浦に 海女娘子(あまおとめ) 塩焼く煙(けぶり) 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験(しるし)なみ 海神(わたつみ)の 手に巻かしたる 玉たすき 懸(か)けて偲ひつ 大和島根(やまとしまね)を

 

(訳)越の海の敦賀の浜から、大船の舷(ふなばた)に楫(かい)をたくさん貫きならべ、海路に乗り出して、あえぎながら漕いで行くと、立派な男子を想わせる手結(たゆい)が浦で、取り合わせるかのように海女娘子たちの藻塩(もしお)を焼く煙が見える、その煙は旅にある身のこととて、ひとりで見てもいっこうに見るかいがないものだから、海の神が手に巻きつけて持っておられる尊い玉、それほどに尊いたすきでもかけるように、心の底深くに懸けて、海上はるかの偲(しの)びに偲んだ、故郷大和の国を。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)越の海:北陸の海。「越」は越前・越中・越後の総称。(伊藤脚注)

(注)まかぢ【真楫】名詞:楫の美称。船の両舷(りようげん)に備わった楫の意とする説もある。「まかい」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ※「ま」は接頭語。

(注)ますらをの【益荒男の】分類枕詞:「ますらを」は「手結(たゆ)ひ(=衣服の袖口(そでぐち)を結ぶこと)」をしていたことから、地名「手結(たゆひ)」にかかる。 ※かかり方については他の説もある。(学研)

(注)手結(たゆひ)が浦:敦賀湾の東岸、田結(たい)あたり。(伊藤脚注)

(注)しほやき【塩焼き】名詞:海水を煮詰めて塩を作ること。また、その人。(学研)

(注の注)もしほ【藻塩】名詞:①海藻から採る塩。海水をかけて塩分を多く含ませた海藻を焼き、その灰を水に溶かしてできた上澄みを釜(かま)で煮つめて採る。②藻塩を製するための海水。(学研)

(注)ひとりして:故郷の妻に対して言う。(伊藤脚注)

(注)「海神(わたつみ)の 手に巻かしたる」は序。「玉」を起こす。「海神の手結」は「ますらをの手結」に関連して用いたか。(伊藤脚注)

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)

 

 

 反歌(三六七歌)もみてみよう。

 

◆越海乃 手結之浦矣 客為而 見者乏見 日本思櫃

       (笠金村 巻三 三六七)

 

≪書き下し≫越(こし)の海の手結(たゆひ)が浦を旅にして見れば羨(とも)しみ大和偲ひつ                 

 

(訳)越の海の手結が浦を、旅にあってただひとり見るにつけ、美しい状景に惹(ひ)かれて、いとしい人のいる大和をはるかに思いやった。(同上)

 

 

 「塩焼く煙(けぶり)」と詠われているが、「塩焼く煙」、「塩焼く」、「塩焼き衣」、「焼く塩」、「藻塩焼く」と詠まれている歌をみてみよう。

 当時の製塩法が歌を通して伝わってくる。また恋の心情を塩に懸けた思いも胸を打つ。

 

 

■塩焼く煙■

◆縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引

  (日置少老 巻三 三五四)

 

≪書き下し≫縄(なは)の浦に塩(しお)焼く煙(けぶり)夕されば行き過ぎかねて山になびく

 

(訳)縄の浦で塩を焼いている煙、その煙は、夕なぎの頃になると、流れもあえず山にまつわりついてたなびいている。(同上)

(注)縄の浦:兵庫県加古川市那波の海岸

(注)火氣:「ほのけ」とも読む。

 

題詞は、「日置少老歌一首」<日置少老(へきのをおゆ)が歌一首>である。

(注)日置少老(へきのをおゆ):伝未詳

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その805)で紹介している。

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◆之加乃白水郎之 燒塩煙 風乎疾 立者不上 山尓軽引

       (作者未詳 巻七 一二四六)

 

≪書き下し≫志賀(しか)の海人(あま)の塩焼く煙(けぶり)風をいたみ立ちは上らず山にたなびく

 

(訳)志賀の海人の藻塩を焼く煙、この煙は、浜から吹き上げる風の激しさゆえに、まっすぐには立ち昇らないで山の方へたなびいている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

■塩焼く■

題詞は、「石川少郎歌一首」<石川少郎(いしかはのせうらう)が歌一首>である。

 

◆然之海人者 軍布苅塩焼 無暇 髪梳乃小櫛 取毛不見久尓

     (石川君子 巻三 二七八)

 

≪書き下し≫志賀(しか)の海女(あま)は藻(め)刈り塩焼き暇(いとま)なみ櫛笥(くしげ)の小櫛(をぐし)取りも見なくに

 

(訳)志賀島の海女(あま)は、藻を刈ったり塩を焼いたりして暇がないので、櫛笥の小櫛、その櫛を手に取って見ることもできない。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)藻:食用や製塩の材料である海藻。(伊藤脚注)

 

 

■塩焼き衣■

◆須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢

      (大網公人主 巻三 四一三)

 

≪書き下し≫須磨(すま)の海女(あま)の塩焼(しほや)き衣(きぬ)の藤衣(ふぢごろも)間遠(まどほ)にしあればいまだ着なれず

 

(訳)須磨の海女が塩を焼く時に着る服の藤の衣(ころも)、その衣はごわごわしていて、時々身に着るだけだから、まだいっこうにしっくりこない。(同上)

(注)須磨:神戸市須磨区一帯。

(注)ふぢごろも【藤衣】名詞:ふじやくずなどの外皮の繊維で織った布の衣類。織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた。 ※「藤の衣(ころも)」とも。(学研)

(注の注)藤衣の目が粗いことから逢う感覚が遠く馴染の浅い意を譬える。

(注)まどほ【間遠】名詞:①間隔があいていること。②編み目や織り目があらいこと。(学研)

 

 

◆為間乃海人之 塩焼衣乃 奈礼名者香 一日母君乎 忘而将念

      (山部赤人 巻六 九四七)

 

≪書き下し≫須磨(すま)の海女(あま)の塩焼き衣(きぬ)のなれなかば一日(ひとひ)も君を忘れて思はむ

 

(訳)須磨の海女が塩焼の作業に着る衣が穢(な)れているように、相見ることに馴れるようになったなら、せめて一日だけでもあの方のことを忘れていることができるであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しほやきぎぬ【塩焼き衣】名詞:海水を煮て塩を作る人が着る粗末な衣。「しほやきごろも」とも。(学研)

(注)上二句は序。「穢(な)れる」を起こす。

(注)君:女官の立場でこう言ったと考えられる。「君」は女言葉で男への敬称である。

 

 

◆志賀乃白水郎之 塩焼衣 雖穢 戀云物者 忘金津毛

        (作者未詳 巻十一 二六二二)

 

≪書き下し≫志賀(しか)の海人(あま)の塩焼(しおや)き衣(ころも)なれぬれど恋(こひ)といふものは忘れかねつも

 

(訳)志賀の海人の塩焼きの衣、その仕事着が褻れ汚れているように。馴れ親しんだ仲だというのに、恋の苦しみというものからはなかなか逃げられない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)上二句は序。「なれ」(馴れ親しむ)を起こす。

 

 四一三、九四七、二六二二歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1256)」で紹介している。

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■焼く塩■

◆霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨座 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情

     (軍王 巻一 五)

 

≪書き下し≫霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥(どり) うら泣け居(を)れば 玉たすき 懸(か)けのよろしく 遠(とほ)つ神(かみ) 我(わ)が大君の 行幸(いでまし)の 山越(やまこ)す風の ひとり居(を)る 我(わ)が衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に 返らひぬれば ますらをと 思へる我(わ)れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る たづきを知らに 網(あみ)の浦の 海人娘子(あまをとめ)らが 焼(や)く塩の 思ひぞ焼くる 我(あ)が下心(したごころ)

 

(訳)霞(かすみ)立ちこめる、長い春の日がいつ暮れたのかわけもわからぬほど、この胸のうちが痛むので、ぬえこ鳥のように忍び泣きをしていると、玉襷(たまたすき)を懸(か)けるというではないが、心に懸けて想うのに具合よろしく、遠い昔の天つ神そのままにわれらが大君のお出(で)ましの地の山向こうの故郷の方から神の運んでくる風が、家を離れてたったひとりでいる私の衣の袖(そで)に、朝な夕な、帰れ帰れと吹き返るものだから、立派な男子だと思っている私としてからが、草を枕の遠い旅空にあることとて、思いを晴らすすべも知らず、網(あみ)の浦(うら)の海人娘子(あまおとめ)たちが焼く塩のように、故郷への思いにただ焼(や)け焦(こ)がれている。ああ、切ないこの我が胸のうちよ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かすみたつ【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。「かすみたつ春日の里」(学研)

(注)わづき:区別。孤語で、他に例がない。(伊藤脚注)

(注)むらきもの【群肝の】分類枕詞:「心」にかかる。心は内臓に宿るとされたことからか。「むらぎもの」とも。(学研)

(注)ぬえこどり【鵼小鳥】分類枕詞:悲しげな鳴き声から「うらなく(=忍び泣く)」にかかる。(学研)

(注の注)ぬえ【鵼・鵺】名詞:鳥の名。とらつぐみ。夜、ヒョーヒョーと鳴く。鳴き声は、哀調があるとも、気味が悪いともされる。「ぬえことり」「ぬえどり」とも。(学研)

(注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。(学研)

(注の注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)

(注)かけ【掛け・懸け】名詞:心や口の端にかけること。口に出して言うこと。(学研)

(注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)ここでは①の意

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1367)で紹介している。

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◆之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安礼波須流香母

       (遣新羅使 巻十五 三六五二)

 

≪書き下し≫志賀(しか)の海人(あま)の一日(ひとひ)もおちず焼く塩(しほ)のからき恋をも我(あ)れはするかも

 

(訳)志賀島(しかのしま)の海人が一日も欠かさず焼く塩、その塩の辛さのように、何とまあ辛くせつない恋を、この私としたことがすることか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

須麻比等乃 海邊都祢佐良受 夜久之保能 可良吉戀乎母 安礼波須流香物

      (平群氏女郎 巻十七 三九三二)

 

≪書き下し≫須磨人(すまひと)の海辺(うみへ)常(つね)去らず焼く塩の辛(から)き恋をも我(あ)れはするかも

 

(訳)須磨の海人(あま)が海辺にいつも居ついて焼く塩、その塩のように辛(から)くもせつない恋なんぞを、私はしています。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「辛き」を起こす。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その841)」で紹介している。

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■藻塩焼く■

◆名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三

       (笠金村 巻六 九三五)

 

≪書き下し≫名寸隅(なきすみ)の 舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦に 朝なぎに 玉藻(たまも)刈りつつ 夕なぎに 藻塩(もしお)焼きつつ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行(ゆ)かむよしのなければ ますらをの 心はなしに たわや女(め)の 思ひたわみて た徊(もとほ)り 我(あ)れはぞ恋ふる 舟楫(ふなかぢ)をなみ

 

(訳)名寸隅(なきすみ)の舟着き場から見える淡路島の松帆(まつほ)の浦で、朝凪(あさなぎ)の時には玉藻を刈ったり、夕凪(ゆうなぎ)の時には藻塩を焼いたりしている。美しい海人の娘子たちがいるとは聞いているが、その娘子たちを見に行く手だてもないので、ますらおの雄々しい心はなく、たわや女(め)のように思いしおれて、おろおろしながら私はただ恋い焦がれてばかりいる。舟も櫓もないので。(同上)

(注)名寸隅:明石市西端の魚住町付近という。(伊藤脚注)

(注)ふなせ【船瀬】船が風波を避けるために停泊する所。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)船瀬:船着き場、(伊藤脚注)

(注)松帆(まつほ)の浦:淡路島北端付近

(注)もしほ【藻塩】名詞:海藻から採る塩。海水をかけて塩分を多く含ませた海藻を焼き、その灰を水に溶かしてできた上澄みを釜(かま)で煮つめて採る。(学研)

(注)よし【由】名詞:手段。方法。手だて。(学研)

(注)たわやめ【手弱女】名詞:しなやかで優しい女性。「たをやめ」とも。 ※「たわや」は、たわみしなうさまの意の「撓(たわ)」に接尾語「や」が付いたもの。「手弱」は当て字。[反対語] 益荒男(ますらを)。(学研)

(注)おもひたわむ【思ひ撓む】自動詞:気持ちがくじける。(学研)

(注)たもとほる【徘徊る】自動詞:行ったり来たりする。歩き回る。 ※「た」は接頭語。上代語。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その611)」で紹介している。

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三方五湖レインボーライン山頂公園第1駐車場下⇒田結口交差点■

 ストリートビューで歌碑を確認していたので、8号線「田結口交差点」側、敦賀から来て右手前の中州のような所に建てられている歌碑を撮影。

 この交差点から、北西約300mに田結海水浴場がある。この辺りで塩を焼いていたのであろう。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」