万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1637)―福井県敦賀市 五幡神社―万葉集 巻十八 四〇五五

●歌は、「可敝流廻の道行かむ日は五幡の坂に袖振れ我れをし思はば」である。

福井県敦賀市 五幡神社 万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、福井県敦賀市 五幡神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆可敝流未能 美知由可牟日波 伊都波多野 佐可尓蘇泥布礼 和礼乎事於毛波婆

      (大伴家持 巻十八 四〇五五)

 

≪書き下し≫可敝流(かへる)廻(み)の道行かむ日は五幡(いつはた)の坂に袖振(そでふ)れ我れをし思はば

 

(訳)都に帰るという可敝流あたりの道を辿(たど)っていかれる日には、いつの日かまたという五幡(いつはた)の坂で別れの袖を振って下さい。私どもの別れがたさを思って下さるならば。(同上)

(注)可敝流:福井県南条郡南越前町南今庄にあった帰(かえる)。都に帰る意を匂わす。(伊藤脚注)

(注)-み 【回・廻・曲】接尾語:〔地形を表す名詞に付いて〕…の湾曲した所。…のまわり。「磯み」「浦み」「島み」「裾(すそ)み(=山の裾のまわり)」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)五幡:福井県敦賀市五幡。帰から西へ越えた敦賀湾の岸。(伊藤脚注)

(注)五幡の坂に袖振れ:いつの日かまた逢おうと袖を振れ、の意をこめる。(伊藤脚注)

 

 四〇五二から四〇五五歌の歌群の題詞は、「掾久米朝臣廣縄之舘饗田邊史福麻呂宴歌四首」<掾久米朝臣広縄が館(たち)にして、田辺史福麻呂に饗(あへ)する宴(うたげ)の歌四首>である。

(注)福麻呂の帰京を明日に控えての送別の宴。(伊藤脚注)

 

左注は、「右二首大伴宿祢家持  前件歌者廿六日作之」<右の二首は大伴宿禰家持  前(さき)の件(くだり)の歌は、二十六日に作る>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1346裏②)」で紹介している。

 ➡

tom101010.hatenablog.com

 

 

 橘諸兄が、田辺福麻呂越中の家持の元へ派遣した理由等については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その982)」で触れている。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

                           

 可敝流、五幡という地名はどの辺あたりにあるのか気になる。

検索してみると「北陸道」に関して「図説福井県史」に次の様に書かれている。

「927年(延長5)に完成した『延喜式』に規定されている北陸道は、琵琶湖西岸を北上し鞆結駅(滋賀県高島郡マキノ町)から松原駅に至り、そこからは枝分かれして関峠越えで弥美駅に至る若狭方面と、木ノ芽峠越えで鹿蒜駅に至る越前方面とにそれぞれ向かうルートです。一方、万葉集』や木簡などから奈良時代北陸道は、三尾(高島郡高島町)あるいは今津(高島郡今津町)から若狭国に入り若狭国府からのルートと合流して関峠越えで敦賀に至り、敦賀湾東岸の海岸線を五幡・杉津を経由して山中峠越えで鹿蒜(返・可敝流)に至るルートとみられます。」(注:万葉集関連の記載を太字化し、地名にアンダーラインを施しました。)

 

「図説福井県史 『13 北陸道と北の海つ道(1)』に「▲古代の交通路」という地図が掲載されていたのでそれをもとに、奈良時代北陸道の地名を赤色の矢印で、関峠と思われるあたりを緑色の三角形で示してみました。

(注)鹿蒜:返・可敝流(図説福井県史)

(注)関峠:関峠の標高は100mほどしかなく、敦賀市中心部から見たときには、徐々に標高を上げて峠に至るため、勾配がほとんど感じられないままに峠を通過する。関峠は敦賀市西部の旗護山と野坂岳を越える道路であり、この旗護山の稜線が敦賀市(越前)と美浜町(若狭)の境となっているため、関という名が与えられたという伝承がある。(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

「図説福井県史 『13 北陸道と北の海つ道(1)』▲古代の交通路」より引用、加筆させていただきました。

 

 

 

■田結口交差点⇒五幡神社■

 先達のブログによると、神社参道が閉鎖されており中に入れなかったと書かれていた。

四〇五五歌は、可敝流、五幡の地名を上手く使いこなし気持ちを伝えんとするなぜか惹かれる歌であり、何とか歌碑の写真を撮りたいと思っていた。

ダメなら遠くからの雰囲気だけでも撮って来ようと行って見たのである。

丁度、参道に軽トラックが止まり、地元の人と思われる人たちが、右手の建屋の方に入って行かれたのが見えた。


 有り難いことに、開閉柵は開いていたので、参道左手の灯篭下の歌碑に巡り合うことができたのであった。

鳥居と参道


 五幡神社については、検索するも確たる記述は得られなかった。「福井県神社庁HP」によると、「神社名:八幡神社 境内社名:五幡神社」とあり、「御祭神:應神天皇」の記載があり、「由緒」については、何も書かれていなかった。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「図説福井県史 『13 北陸道と北の海つ道(1)』」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「福井県神社庁HP」