万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1356①~⑥)―福井県越前市 万葉の里味真野苑「下段の池」―万葉集 巻十五 三七二三、三七四七、三七五一、三七五三、三七六七、三七七二

―その1356①-

●歌は、「あしひきの山道越えむとする君を心に待ちて安けくもなし」である。

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福井県越前市 万葉の里味真野苑「下段の池」万葉歌碑(狭野弟上娘子)

●歌碑は、福井県越前市 万葉の里味真野苑「下段の池」にある。

(歌碑には六首が刻されており、当該歌は歌碑に向かって右側最初である。)

 

●歌をみていこう。

 

 標題は、「中臣朝臣宅守与狭野弟上娘子贈答歌」<中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)、狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)と贈答する歌>である。

 

◆安之比奇能 夜麻治古延牟等 須流君乎 許々呂尓毛知弖 夜須家久母奈之

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七二三)

 

≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)越えむとする君を心に持ちて安けくもなし

                           

(訳)山道を遠く越えて行こうとするあなた、そのあなたを心に抱え続けて、この頃は安らかな時とてありません。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

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万葉の里味真野苑「下段の池」と娘子の歌碑

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万葉の里味真野苑「下段の池」娘子歌の書き下し

 万葉集巻十五は二つの大きな歌群から構成されている。「遣新羅使人らの歌百四十五首(三五七八から三七二二歌)と中臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌六十三首(三七二三から三七八五歌)である。

 この三七二三歌は、中臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌の先頭歌である。二人の悲劇の幕開けの歌である。

 左注(三七二三~三七二六歌)は、「右の四首は。娘子、別れに臨(のぞ)みて作る歌」である。

 

 

―その1356②―

◆和我屋度能 麻都能葉見都ゝ 安礼麻多無 波夜可反里麻世 古非之奈奴刀尓

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七四七)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどの松の葉見つつ我(あ)れ待たむ早(はや)帰りませ恋ひ死なぬとに

 

(訳)我が家の庭のの葉を見ながら、私はひたすら待っておりましょう。早く帰って来てください。この私が焦がれ死にしないうちに。(同上)

(注)ぬとに:「ぬ外(と)に」の意。~しないうちに。(伊藤脚注)

(注の注)「ぬとに」に例は、一八二二歌にもみられる。「我(わ)が背子(せこ)を莫越(なこし)の山の呼子鳥(よぶこどり)君呼び返(かへ)せ夜の更けぬとに」<訳:我が背子を越えさせないでと願う、その莫越の山の呼子鳥よ、我が君を呼び戻しておくれ。夜の更けないうちに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)>

 

 

―その1356③―

◆之呂多倍能 安我之多其呂母 宇思奈波受 毛弖礼和我世故 多太尓安布麻弖尓

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七五一)

 

≪書き下し≫白栲(しろたへ)の我(あ)が下衣(したごろも)失はず持てれ我(わ)が背子(せこ)直(ただ)に逢ふまでに

 

(訳)まっ白な私の下衣、この衣も、肌身離さず持ってて下さいね、あなた。じかにお逢いできるその日までずっと。(同上)

(注)したごろも【下衣】名詞:下に着る衣。下着。(学研)

 

 

 古橋信孝氏はその著「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」(NHKブックス)の中で「・・・いったん着たものは、その人の魂が付着している。だから与える側も、めったな人には与えられない。そういう衣を下着にするのは、いつもいっしょにいるのと同じことになる。」と書かれている。

 

 

―その1356④―

◆安波牟日能 可多美尓世与等 多和也女能 於毛比美太礼弖 奴敝流許呂母曽

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七五三)

 

≪書き下し≫逢はむ日の形見(かたみ)にせよとたわや女(め)の思ひ乱れて縫へる衣(ころも)ぞ          

 

(訳)再び逢える日までの形見にしてほしいものと、か弱い女の身のこの私が千々に思い乱れて縫った着物なのです、これは。(同上)

(注)たわやめ【手弱女】名詞:しなやかで優しい女性。「たをやめ」とも。 ※「たわや」は、たわみしなうさまの意の「撓(たわ)」に接尾語「や」が付いたもの。「手弱」は当て字。[反対語] 益荒男(ますらを)。(学研)

 

 三七五三歌は、三七五一歌の「下衣」「逢う」を承けつつ、宅守の三七三三歌(我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし)に応じている。(伊藤脚注)

 

 左注(三七四五~三七五三歌)は「右の九首は娘子(をとめ)」である。

 

 

―その1356⑤―

◆多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七六七)

 

≪書き下し≫魂(たましひ)は朝夕(あしたゆうへ)にたまふれど我(あ)が胸痛(むねいた)し恋の繁(しげ)きに

 

(訳)あなたのお心は、朝な夕なにこの身にいただいておりますが、それでも私の胸は痛みます。逢いたい思いの激しさに。(同上)

(注)たまふ【賜ふ・給ふ】他動詞:{語幹〈たま〉}いただく。ちょうだいする。▽「受く」「飲む」「食ふ」の謙譲語。(学研)

 

 三七六七歌は、中臣宅守の三七五七歌(我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを)を意識した歌。

 

 

―その1356⑥―

◆可敝里家流 比等伎多礼里等 伊比之可婆 保等保登之尓吉 君香登於毛比弖

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七七二)

 

≪書き下し≫帰りける人来(きた)れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思(おも)ひて

 

(訳)赦(ゆる)されて帰って来た人が着いたと人が言ったものだから、すんでのことに死ぬところでした。もしやあなたかと思って。(同上)

(注)帰りける人:許されて帰った人。中臣宅守天平十二年の大赦には洩れた。(伊藤脚注)

(注)ほとほとし【殆とし・幾とし】形容詞:①もう少しで(…しそうである)。すんでのところで(…しそうである)。極めて危うい。②ほとんど死にそうである。危篤である。(学研)ここでは①の意

左注(三七五四~三七七四歌)は「右の八首は娘子(をとめ)」である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」