万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1676~1678)―福井県越前市 万葉ロマンの道(39~41)―万葉集 巻十五 三七六一~三七六三

―その1676―

●歌は、「世間の常の理かくさまになり来にけらしすゑし種から」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(39)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(39)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆与能奈可能 都年能己等和利 可久左麻尓 奈里伎尓家良之 須恵之多祢可良

     (中臣宅守 巻十五 三七六一)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)の常(つね)の理(ことわり)かくさまになり来(き)にけらしすゑし種(たね)から

 

(訳)世の中の常の道理、そんな因果の道理によってこんな次第になってきたのであるらしい。みずから蒔(ま)いた種がもとで。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ことわり【理】名詞:①道理。筋道。②理屈。説明。理由。③断り。辞退。言い訳。◇「断り」とも書く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)すう【据う】他動詞:①置く。据える。②住まわせる。とどめておく。③設置する。設ける。④位につかせる。地位につける。⑤判を押す。⑥(灸(きゆう)を)据える(。学研)ここでは③の意

                           

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1392)」で紹介している。

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―その1677―

●歌は、「我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(40)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(40)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和伎毛故尓 安布左可山乎 故要弖伎弖 奈伎都々乎礼杼 安布余思毛奈之

       (中臣宅守 巻十五 三七六二)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢坂山(あふさかやま)を越えて来て泣きつつ居(を)れど逢(あ)ふよしもなし

 

(訳)我妹子に逢うという名の逢坂山、その山を越えてこんな所までやって来て、恋しさに泣きくれているけれど、逢う手立てがない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)わぎもこに【吾妹子に】枕 :「吾妹子に会ふ」の意から、「あふ」と同音を含む「あふちの花」「逢坂山」「淡海」「淡路」にかかる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)我妹子に:結句にも響く。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1393)」で紹介している。

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―その1678―

●歌は、「旅と言へば言にぞやすきすべもなく苦しき旅も言にまさめやも」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(41)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(41)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆多婢等伊倍婆 許登尓曽夜須伎 須敝毛奈久 ゝ流思伎多婢毛 許等尓麻左米也母

       (中臣宅守 巻十五 三七六三)

 

≪書き下し≫旅と言へば言(こと)にぞやすきすべもなく苦しき旅も言(こと)にまさめやも

 

(訳)旅と言えば、口の上ではたやすいことだ。といって、どうしようもなく苦しいこの旅も、旅という言葉よりまさる言い方で表わし得るというのか、表しようはないのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)こと【言】名詞:①ことば。言語。②うわさ。評判。③和歌。 ⇒参考:「事」と同じ語源という。奈良時代以降に分化したといわれるが、奈良・平安時代の「こと」には「言」「事」のどちらにもとれる例がある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)言にまさめやも:旅という言葉以上でありえようか、所詮旅としか言い表しようがない。(伊藤脚注)

(注の注)ます【増す・益す】自動詞:①ふえる。激しくなる。②すぐれる。まさる。◇「勝す」とも書く。(学研)ここでは②の意

(注の注)やも 分類連語:①…かなあ、いや、…ない。▽詠嘆の意をこめつつ反語の意を表す。②…かなあ。▽詠嘆の意をこめつつ疑問の意を表す。 ※上代語。

⇒語法:「やも」が文中で用いられる場合は、係り結びの法則で、文末の活用語は連体形となる。 ⇒参考:「やも」で係助詞とする説もある。 ⇒なりたち:係助詞「や」+終助詞「も」。一説に「も」は係助詞。(学研)ここでは①の意

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1394)」で紹介している。

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 万葉ロマンの道の歌碑(道標燈籠)を散策し紹介しているが、この歌群の標題は、万葉集目録にあるように、「中臣朝臣宅守、蔵部の女嬬狭野弟上娘子を娶る時に、勅して流罪に断じて、越前国に配しき(後略)」である。

(注)くらべ【蔵部】〘名〙:① 令制で大蔵省の下級職員。出納事務を行なう品部(ともべ)。渡来人。〔令義解(718)〕② 令制で中務省被管である内蔵寮(くらづかさ・くらりょう)の下級職員。出納事務を行なう品部。渡来人。〔令義解(718)〕(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)にょじゅ【女嬬女孺/女豎】: 律令制で、宮中に仕えた下級の女官。堂上の掃除、灯油のことなどをつかさどった。めのわらわ。にょうじゅ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 「流罪」について「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」を核に調べてみよう。

「・・・記録に残る最初の流刑は允恭天皇時代に兄妹で情を通じたとして伊予国に流された軽大娘皇女と木梨軽皇子である。一般的に古代の流刑は特権階級に対する刑罰であり、政治的な意味合いが強かった。」とある。

万葉集では、磐姫皇后の八五歌「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」の類歌として、軽太郎女(=軽大娘皇女、衣通王)の九〇歌(軽太子=木梨軽皇子が伊予の湯に流された時に、衣通王が恋慕ひ堪へず追ひ往く時に詠った歌)が収録されている。

 

九〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1076)」で紹介している。

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流罪」は、「律令における五刑の1つであり・・・(日本の場合は)畿内からの距離によって「近流(こんる/ごんる)」、「中流(ちゅうる)」、「遠流(おんる)」の3等級が存在した。927年に成立した延喜式によれば、追放される距離は近流300里、中流560里、遠流1500里とされている。実際には、罪状や身分、流刑地の状況などにより距離と配流先は変更された。女性への適用はされずに代わりに杖罪と徒罪の両方を課された。受刑者は、居住地から遠隔地への強制移住と、1年間の徒罪の服役が課された(遠流対象者で特に悪質なものに対しては3年間の徒役が課された)。また妻妾は連座して強制的に同行させられるが、他の家族は希望者のみが送られた。配所への護送は季節ごとに1回行われた。配所到着後は現地の戸籍に編入され、1年間の徒罪服役後に口分田が与えられて、現地の良民として租税を課された。」とある。当初は、「配所到着後は現地の住民とされたために原則的に恩赦等による帰国もなかった。もっとも、後年には流罪も含めたすべての罪人が赦免される『非常赦』がしばしば行われて帰国が許されている事例も多く存在している。」

(注)ごけい【五刑】名詞:罪人に対する五種の刑罰。日本では律令制で「笞(ち)(=むち打ち)」「杖(ぢやう)(=杖(つえ)で打つ)」「徒(づ)(=懲役)」「流(る)(=流刑)」「死(=死刑)」の五種類とし、江戸時代まで続いた。 ※もとは古代中国に始まる五つの刑罰。(学研)

(注)杖罪(じょうざい)、もしくは杖刑(じょうけい):律令法の五刑の一つ。笞刑に次ぐ軽い刑罰である。木製の杖をもって背中又は臀部を打つ刑である。日本の大宝律令養老律令では、単に「杖」と記されている(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

(注)徒罪(ずざい・徒刑(ずけい)):律令法の五刑の一つ。3番目に重い刑罰である。受刑者を一定期間獄に拘禁して、強制的に労役に服させる刑で今日の懲役と似た自由刑である。日本の大宝律令養老律令では、単に「徒」と記されている。(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

宅守の独白的な「花鳥歌」(三七七九から三七八五歌)は、娘子の悲劇を示唆しているように思える。「流罪」は、「女性への適用はされずに代わりに杖罪と徒罪の両方を課された。」とあるので、精神的、肉体的なダメージが娘子をむしばんでいったと考えてしまう。また「流罪」に処せられた者の「妻妾は連座して強制的に同行させられるが、他の家族は希望者のみが送られた。」とあるので、宅守はさほどの罪ではなかったのだろうか。あえて刑期も長くないと娘子を都に残して行ったのだろうか。確かに、目録では、「中臣朝臣宅守、蔵部の女嬬狭野弟上娘子を娶る時・・・」とあるので、「娶る」とあるのは正式な結婚であり、娘子も「蔵部の女嬬」であり「采女」などとは違うことから、一途な思いゆえの精神的な負担が娘子を襲ったのかもしれない。それだけ一層の悲惨さが漂ってくるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」