万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1392)―福井県越前市 万葉ロマンの道(11)―万葉集 巻十五 三七六一

●歌は、「世間の常の理かくさまになり来にけらしすゑし種から」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(11)万葉歌碑(中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆与能奈可能 都年能己等和利 可久左麻尓 奈里伎尓家良之 須恵之多祢可良

     (中臣宅守 巻十五 三七六一)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)の常(つね)の理(ことわり)かくさまになり来(き)にけらしすゑし種(たね)から

 

(訳)世の中の常の道理、そんな因果の道理によってこんな次第になってきたのであるらしい。みずから蒔(ま)いた種がもとで。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ことわり【理】名詞:①道理。筋道。②理屈。説明。理由。③断り。辞退。言い訳。◇「断り」とも書く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)すう【据う】他動詞:①置く。据える。②住まわせる。とどめておく。③設置する。設ける。④位につかせる。地位につける。⑤判を押す。⑥(灸(きゆう)を)据える(。学研)ここでは③の意

 

 「理(ことわり)」を詠んだ歌をみてみよう。「理」のような、理屈っぽい言葉を詠み込んだ歌はさすがに少ない。作者は笠女郎、山上憶良大伴家持大伴坂上郎女とビッグネームである。

 

 まず笠女郎からみてみよう。

 

◆天地之 神 無者社 吾念君尓 不相死為有

     (笠女郎 巻四 六〇五)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の神に理(ことわり)なくはこそ我(あ)が思う君に逢はず死にせめ

 

(訳)天地を支配される神々にもし道理がなければ、その時こそ、お慕い申しているあの方に逢えないまま、死んでしまうことになりましょうか・・・。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1094)」で紹介している。

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 続いて山上憶良である。

 

◆父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母智騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦

      (山上憶良 巻五 八〇〇)

 

≪書き下し≫父母を 見れば貴(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥(どり)の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱(ぬ)き棄(つ)るごとく 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より なり出(で)し人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行(ゆ)かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君(おほきみ)います この照らす 日月(ひつき)の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み たにぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか

 

(訳)父母を見ると尊いし、妻子を見るといとおしくかわいい。世の中はこうあって当然で、恩愛の絆は黐(もち)にかかった鳥のように離れがたく断ち切れぬものなのだ。行く末どうなるともわからぬ有情世間(うじょうせけん)のわれらなのだから。それなのに穴(あな)あき沓(ぐつ)を脱ぎ棄てるように父母妻子をほったらかしてどこかへ行くという人は、非情の岩や木から生まれ出た人なのか。そなたはいったい何者なのか名告りたまえ。天へ行ったらそなたの思い通りにするもよかろうが、この地上にいる限りは大君がおいでになる。

この日月の照らす下は、天雲のたなびく果て、蟇(ひきがえる)の這(は)い回る果てまで、大君の治められる秀(ひい)でた国なのだ。あれこれと思いどおりにするもよういが、物の道理は私の言うとおりなのではあるまいか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

(注)もちどり【黐鳥】〘名〙: (「もちとり」とも) とりもちにかかった鳥。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)恩愛の絆の譬え(伊藤脚注)

(注)かからはし【懸からはし】形容詞:ひっかかって離れにくい。とらわれがちだ。(学研)

(注)ゆくへ知らねば:俗世の人は行く末どうなるともわからぬのだから。(伊藤脚注)

(注)うけぐつ【穿沓】〘名〙 (「うけ」は穴があく意の動詞「うぐ(穿)」の連用形) はき古して穴のあいたくつ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ちふ 分類連語:…という。 ⇒参考 「といふ」の変化した語。上代には「とふ」の形も用いられ、中古以後は、「てふ」が用いられる。(学研)

(注)いはき【石木・岩木】名詞:岩石や木。多く、心情を持たないものをたとえて言う。(学研)

(注)きこしめす【聞こし召す】他動詞:①お聞きになる。▽「聞く」の尊敬語。②お聞き入れなさる。承知なさる。▽「聞き入る」の尊敬語。③関心をお持ちになる。気にかけなさる。④お治めになる。(政治・儀式などを)なさる。▽「治む」「行ふ」などの尊敬語。⑤召し上がる。▽「食ふ」「飲む」の尊敬語。(学研)ここでは④の意

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1326)」で紹介している。

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 そして家持の歌である。

 

◆於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良之 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之へ尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良無 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐  <言佐夫流者遊行女婦之字也>

       (大伴家持 巻十八 四一〇六)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代(かみよ)より 言ひ継(つ)ぎけらく 父母を 見れば貴(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻(つま)の子(こ)と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神(かみ)言寄(ことよ)せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離(はな)れ居(ゐ)て 嘆かす妹が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 射水川(いづみ かは) 流る水沫(みなは)の 寄るへなみ 左夫流(さぶる)その子(こ)に 紐(ひも)の緒(を)の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居(ゐ) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ  <佐夫流と言ふは遊行女婦(うかれめ)の字(あざな)なり>

 

(訳)大汝(おほなむち)命(みこと)と少彦名命が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは、「父母は見る尊いし、妻子は見るといとしくいじらしい。これがこの世の道理なのだ」と、こんな風に言ってきたものだが、それが世の常の人の立てる誓いの言葉なのだが、その言葉通りに、ちさの花の真っ盛りの頃に、いとしい奥さんと朝に夕に、時には微笑み時に真顔で、溜息まじりに言い交した、「いつまでもこんな貧しい状態が続くということがあろうか、天地の神々がうまく取り持って下さって、春の盛りの花のように栄える時もあろう」と言う言葉をたよりに奥さんが待っておられた、その盛りの時が今なのだ。

離れていて溜息ついておられるお方が、いつになったら夫の使いが来るのだろうとお待ちになっているその心はさぞ寂しいことだろうに、ああ、南風が吹き雪解け水が溢れて、射水川の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように寄る辺もなくうらさびれるという、左夫流と名告るそんな娘(こ)なんぞに、紐の緒のようにぴったりくっつき合って、かいつぶりのように二人肩を並べて、奈呉の海の底の深さのように、深々と迷いの底にのめりこんでおられるあなたの心、その心の何ともまあ処置のしようのないこと。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ちさ【萵苣】名詞:木の名。えごのき。初夏に白色の花をつける。一説に「ちしゃのき」とも。(学研)

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。※上代語。(学研)

参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。

なりたち形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」

(注)ゑむ 【笑む】①ほほえむ。にっこりとする。微笑する。②(花が)咲く。(学研)

(注)ことよす【言寄す・事寄す】①言葉や行為によって働きかける。言葉を添えて助力する。②あるものに託す。かこつける。③うわさをたてる。➡ここでは①の意(学研)

(注)はるはなの【春花の】分類枕詞:①春の花が美しく咲きにおう意から「盛り」「にほえさかゆ」にかかる。②春の花をめでる意から「貴(たふと)し」や「めづらし」にかかる。③春の花が散っていく意から「うつろふ」にかかる。(学研)

(注)ひものおの【紐の緒の】 枕詞 :① 紐を結ぶのに、一方を輪にして他方をその中にいれるところから、「心に入る」にかかる。 ② 紐の緒をつなぐことから、比喩的に「いつがる」にかかる。(コトバンク 三省堂大辞林

(注)いつがる【い繫る】つながる。自然につながり合う。「い」は接頭語。(学研)

(注)にほどりの【鳰鳥の】枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その473)」で紹介している。

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 最後は大伴坂上郎女である。

 

◆和多都民能 可味能美許等乃 美久之宜尓 多久波比於伎氐 伊都久等布 多麻尓末佐里氐 於毛敝里之 安我故尓波安礼騰 宇都世美乃 与能許等和利等 麻須良乎能 比伎能麻尓麻仁 之奈謝可流 古之地乎左之氐 波布都多能 和可礼尓之欲理 於吉都奈美 等乎牟麻欲妣伎 於保夫祢能 由久良々々々耳 於毛可宜尓 毛得奈民延都々 可久古非婆 意伊豆久安我未 氣太志安倍牟可母

     (大伴坂上郎女 巻十九 四二二〇)

 

≪書き下し≫海神(わたつみ)の 神(かみ)の命(みこと)の み櫛笥(くしげ)に 貯(たくは)ひ置きて 斎(いつ)くとふ 玉にまさりて 思へりし 我(あ)が子にはあれど うつせみの 世の理(ことわり)と ますらをの 引きのまにまに しなざかる 越道(こしぢ)をさして 延(は)ふ蔦(つた)の 別れにしより 沖つ波 撓(とを)む眉引(まよび)き 大船(おおぶね)の ゆくらゆくらに 面影(おもかげ)に もとな見えつつ かく恋ひば 老(お)いづく我(あ)が身 けだし堪(あ)へむかも

 

(訳)海神(わたつみ)のその神の命が玉櫛笥にしまいこんでおいてたいせつにするという真珠、その真珠にもまさって思い思っていた我が子ではあるけれど、世の中の定めとて、ますらおの引き連れるままに、山野層々と重なって都離れた越道(こしじ)をさして、延う蔦の分かれるようにあなたがはるばる別れて行ってしまったその日から、沖にうねる波のようにたおやかなあなたの眉が、大船の揺れ動くようにゆらゆらと面影にやたらちらついてやりきれない、ああこんなに恋い慕っていたなら、年老いてゆくこの身は、もしや保(も)たないのではなかろうか。(同上)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)おきつなみ【沖つ波】分類枕詞:沖に立つ波の状態から「頻(し)く」「撓(とを)む」「競(きほ)ふ」「高し」などにかかる。(学研)

(注)とをむ>たわむ【撓む】:自動詞①しなやかに曲がる。しなう。たわむ。②屈する。弱気になる。(学研)ここでは①の意

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)ゆくらゆくらなり 形容動詞:ゆらゆらと揺れ動く。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)けだし【蓋し】副詞:①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。②〔下に仮定の表現を伴って〕もしかして。万一。③おおかた。多分。大体。(学研)

(注)あふ【敢ふ】自動詞:堪える。我慢する。持ちこたえる。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1350裏)」で紹介している。

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■■■和歌山県かつらぎ町橋本市の万葉歌碑巡り■■■

 

3月28日、超久しぶりに万葉歌碑巡りである。ブログのネタの歌碑の写真も手持が少なくなってきた。

コースは次の通りである。

 かつらぎ町島「厳島神社船岡山)」➡「厳島神社側堤防護岸」➡同町窪「下水道処理センター」➡同「道の駅『紀の川万葉の里』➡橋本市妻「西の森妻の社」➡同市河瀬「阿弥陀寺」➡「JR橋本駅」➡「橋本中央中学校」➡「JR隅田駅」➡同市隅田町真土「『真土』交差点」➡同「古道飛び越え石」➡奈良県五條市上野真土山手前

 

 巡りの概要は次稿で紹介いたします。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典