万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2388)―

■うめ■

 

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(大伴旅人) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母 [主人]           (大伴旅人 巻八 八二二)

 

≪書き下し≫我(わ)が園(その)に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも  主人

 

(訳)この我らの園に梅の花がしきりに散る。遥かな天空から雪が流れて来るのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも:梅花を雪に見立てている。六朝以来の漢詩に多い。

(注)主人:宴のあるじ。大伴旅人

 

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感想(1件)

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その918)」で紹介している。

 ➡ こちら918

 

 

 

題詞にあるように、天平二年(730年)正月十三日(太陽暦二月八日)に大宰帥大伴旅人の官邸において催された宴会(うたげ)で詠われた「梅花の歌」三十二首の一首である。

 万葉の時代、大宰府は「大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)」とも呼ばれていた。

 「大君の遠の朝廷」について、「万葉神事語辞典」(國學院大學デジタルミュージアム)に次のように書かれている。

都から遠く離れた地方の政庁、あるいは遠方の政庁に派遣される官人。特に大宰府を指して使用されるほか、国府新羅の日本の政庁も指す。田村圓澄は「(政庁を指すのではなく)律令体制下の日本全土が、『朝廷』であり、そして遠方の地域が『遠の朝廷』であった。」と考える。中西進は「遠の朝廷」を人麻呂の造語とする。大宰府は和名を「於保美古止毛知乃司(おほみこともちのつかさ)」(『倭名類聚抄』)と言い、福岡県太宰府市に政庁跡等が確認されている。西海道九国三島の管轄や外交使節の接待等を行った朝廷の地方政庁であるが、森弘子は「大君の 遠(とお)の朝廷(みかど)と…(中略)…敵守(あたまも)る おさへの城(き)そと」(20-4331)とあるように、外敵からの防衛の任も課せられていたと考えた。「大宰府」の文献史料上の初見は、天智紀10(671)年11月条である。740(天平12)年9月の大宰少弐藤原広嗣(だざいのしょうにふじわらのひろつぐ)の乱を受けて742(天平14)年正月大宰府は一時廃されたが、 745(天平17)年6月に再置された。中央政府太政官の上に神祇官を配すように、大宰府では帥(長官)の上に主神(かんつかさ)を置き「諸祭祠事」(養老令)を掌らせた(中央政府と同様、位階は帥より主神が下)。官人構成や諸官衙の設置など、あたかも中央政府を小規模にしたような体裁となっており、「遠の朝廷」の称にふさわしい。万葉集には8例の「トホノミカド」が見えるが、すべて「大君の」、「天皇(すめろき)の」、「食(を)す国の」何れかを冠し、天皇の遠方の政庁、天皇の治める国の遠くへ派遣された官人という表現となっている。中でも(3-304)は遠の朝廷に通う瀬戸内海の諸海峡を見ると「神代」が偲ばれると歌い、国生み神話と重ねて天皇の統治を寿ぐ表現となっている。田村圓澄「『遠の朝廷』考」『古代文化』第42巻第5号。

中西進「『万葉集』と大宰府」『九州歴史資料館開館十周年記念大宰府古文化論叢下巻』(吉川弘文館)。森弘子『太宰府発見』海鳥社。」

 

 

 「大王(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)」と詠われた歌をみてみよう。

 

■巻三 三〇四歌■

大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念

      (柿本人麻呂 巻三 三〇四)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ

 

(訳)我が大王の遠いお役所として、人びとが常に往き来する島門を見ると、この島々が生みなされた神代が偲ばれる。(同上)

(注)遠の朝廷とあり通ふ:遠い朝廷として、大宰府へと人々が行き来する。(伊藤脚注)

(注の注)とほ 【遠】:形容詞語幹⇒とほし。 ※直接、または格助詞「つ」や「の」を伴って時間的・空間的に隔たっている意を表す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

(注)島門:明石海峡を「遠の朝廷」への門口と見立てたもの。(伊藤脚注)

(注の注)しまと【島門】名詞:島と島との間や島と陸地との間の狭い海峡。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その627)」で紹介している。

 ➡ こちら627

 

 

 

■巻五 七九四歌■

大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陁尓母伊摩陁夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許ゝ呂由母 於母波奴阿比陁尓 宇知那毗枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良毗為 加多良比斯 許ゝ呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須

         (山上憶良 巻五 七九四)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕(した)ひ来(き)まして 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あひだ)に うち靡(なび)き 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 石木(いはき)をも 問(と)ひ放(さ)け知らず 家(いへ)ならば かたちはあらむを 恨(うら)めしき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あ)れをばも いかにせよとか にほ鳥(どり)の ふたり並び居(ゐ) 語らひし 心背(そむ)きて 家離(ざか)りいます

 

(訳)都遠く離れた大君の政庁だからと、この筑紫の国に、泣く子のようにむりやり付いて来て、息すら休める間もなく年月もいくらも経たないのに、思いもかけぬ間(ま)にぐったりと臥(ふ)してしまわれたので、どう言手だてもわからず、せめて庭の岩や木に問いかけて心を晴らそうとするがそれもかなわず、途方にくれるばかりだ。ああ、あのまま奈良の家にいたなら、しゃんとしていられたろうに、恨めしい妻だが、この私にどうせよという気なのか、かいつぶりのように二人並んで夫婦の語らいを交わしたその心に背いて、家を離れて行ってしまわれた。(同上)

(注)しらぬひ 分類枕詞:語義・かかる理由未詳。地名「筑紫(つくし)」にかかる。「しらぬひ筑紫」。 ※中古以降「しらぬひの」とも。(学研)

 (注)したふ【慕ふ】他動詞:①(心引かれて)あとを追う。ついて行く。②恋しく思う。愛惜する。慕う。(学研) ここでは①の意

(注)いまだあらねば:いくらも経っていないのに。(伊藤脚注)

(注)臥やしぬれ:死んだことを婉曲にいう。ヌレはヌレバの意。(伊藤脚注)

(注)家離りいます:死んで墓に籠ったことをいう。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その910)」で紹介している。

 ➡ こちら910

 

 

 

■巻十五 三六六八歌■

於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝礼杼 氣奈我久之安礼婆 古非尓家流可母

        (阿倍継麻呂 巻十五 三六六八)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)と思へれど日(け)長くしあれば恋ひにけるかも

 

(訳)大君の遠の官人(つかさびと)であるがゆえに、遣新羅使(けんしらきし)としての本来のありようを保たなければと考える。だが、旅のある日があまりにも久しいので、その気持ちを貫くこともかなわずに、つい都が恋しくなってしまうのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1779)」で、高松市香南町冠纓神社の歌碑とともに紹介している。

 ➡ こちら1779

 

 

 



■巻十八 四一一三歌■

於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

       (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)手枕:妻の手枕。(伊藤脚注)

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(学研)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その810)」で紹介している。

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■巻二十 四三三一歌■

天皇乃 等保能朝廷等 之良奴日 筑紫國波 安多麻毛流 於佐倍乃城曽等 聞食 四方國尓波 比等佐波尓 美知弖波安礼杼 登利我奈久 安豆麻乎能故波 伊田牟可比 加敝里見世受弖 伊佐美多流 多家吉軍卒等 祢疑多麻比 麻氣乃麻尓ゝゝ 多良知祢乃 波ゝ我目可礼弖 若草能 都麻乎母麻可受 安良多麻能 月日餘美都々 安之我知流 難波能美津尓 大船尓 末加伊之自奴伎 安佐奈藝尓 可故等登能倍 由布思保尓 可知比伎乎里 安騰母比弖 許藝由久伎美波 奈美乃間乎 伊由伎佐具久美 麻佐吉久母 波夜久伊多里弖 大王乃 美許等能麻尓末 麻須良男乃 許己呂乎母知弖 安里米具理 事之乎波良婆 都々麻波受 可敝理伎麻勢登 伊波比倍乎 等許敝尓須恵弖 之路多倍能 蘇田遠利加敝之 奴婆多麻乃 久路加美之伎弖 奈我伎氣遠 麻知可母戀牟 波之伎都麻良波

       (大伴家持 巻二十 四三三一)

 

≪書き下し≫大君の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国は 敵(あた)まもる おさへの城(き)ぞと きこしをす 四方(よも)の国には 人(ひと)さはに 満ちてはあれど 鶏(とり)が鳴く 東男(あづまをのこ)は 出(い)で向(むか)ひ かへり見せずて 勇みたる 猛(たけ)き軍士(いくさ)と ねぎたまひ 任(ま)けのまにまに たらちねの 母が目離(か)れて 若草の 妻をもまかず あらたまの 月日数(よ)みつつ 葦(あし)が散る 難波(なには)の御津(みつ)に 大船(おほぶね)に ま櫂(かい)しじ貫(ぬ)き 朝なぎに 水手(かこ)ととのへ 夕潮(ゆふしほ)に 楫(かぢ)引き折(を)り 率(あども)ひて 漕(こ)ぎ行く君は 波の間(ま)を い行きさぐくみ ま幸(さき)くも 早く至りて 大君(おほきみ)の 命(みこと)のまにま 大夫の 心を持ちて あり廻(めぐ)り 事し終(をは)らば つつまはず 帰り来ませと 斎瓮(いはひへ)を 床辺(とこへ)に据(す)ゑて 白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日(け)を 待ちかも恋ひむ 愛(は)しき妻らは

 

(訳)大君の都を遠く離れたお役所として、筑紫の国は敵(あた)を守る抑えの砦(とりで)なのだと、お治めになっている四方の国々には人が数多く満ち溢(あふ)れてはいるが、中でも東(あずま)の国の男子(おのこ)は門出をし敵に立ち向かって我が身を顧みることもなく、勇み立つ猛々(たけだけ)しい兵士であると、大君がほめ労(ねぎら)われてお差し向けになるままに、やさしい母のまなざしから遠ざかり、なよやかな妻の腕(かいな)を枕にすることもなく、過ぎてゆく月日を指折り数えながら、葦の花散る難波の御津の港から、大船の左右にびっしり櫂(かい)を貫(ぬ)き並べ、朝凪(あさなぎ)の海に漕ぎ手を揃え、夕潮の流れに楫(かじ)を引き撓(たわ)め、声掛け合って漕いで行く君は、波の間を押し分けて進み、恙(つつが)なく早々と筑紫に至り着き、大君の仰せのままに男子たるものの志を持して、日々の見張りを続けその務めが果てたなら、障りもなしに帰って来て下さいと、清めた甕(かめ)を床(とこ)の辺(へ)に据えて、まっ白な着物の袖(そで)を折り返し、夜床に黒髪を敷いて寝て、この先長い日々を待ち恋い慕うことであろうか。いとしいその妻は。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しらぬひ 分類枕詞:語義・かかる理由未詳。地名「筑紫(つくし)」にかかる。「しらぬひ筑紫」。 ※中古以降「しらぬひの」とも。(学研)

(注)あた【仇・敵・賊】名詞:①敵。外敵。②かたき。仇敵(きゆうてき)。③害。④恨み。恨みの種。 ⇒注意:近世以降、「あだ」というようになる。「あだ(徒)なり」は別語。 ⇒参考:「当たる」の語幹から派生した語で、自分に当たってくるもの・自分に向かってくるものの意。(学研)

(注)き【城・柵】名詞:防塞(ぼうさい)。とりで。敵を防ぐために、周囲に柵(さく)・堀などをめぐらした所。(学研)

(注)きこしをす【聞こし食す】他動詞:お治めあそばす。 ※「聞く」の尊敬語「きこす」の連用形に尊敬の動詞「をす」の付いたもの。上代語。(学研)

(注)ねぐ【労ぐ】他動詞:ねぎらう。いたわる。(学研)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)

(注)あしがちる【葦が散る】:[枕]難波 (なにわ) 一帯には、葦が多かったところから「難波 (なには) 」にかかる。(goo辞書)

(注)かこ【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)

(注)ひきをる【引き折る】他動詞①二重に折る。裾(すそ)をたくし上げる。②櫂(かい)などが折れるほど強く漕(こ)ぐ。(学研)ここでは②の意

(注)さぐくむ 他動詞:間をぬって進む。(学研)

(注)あり廻り:任国をずっと見廻りを続けて。(伊藤脚注)

(注)つつまふ【恙まふ・障まふ】分類連語:災害にあう。病気になる。 ※上代語。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい(学研)

 

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1390)」で紹介している。

 ➡ こちら1390

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「goo辞書」