万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1673~1675)―福井県越前市 万葉ロマンの道(36~38)―万葉集 巻十五 三七五八~三七六〇

―その1673―

●歌は、「さす竹の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(36)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(36)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆佐須太氣能 大宮人者 伊麻毛可母 比等奈夫理能未 許能美多流良武 <一云 伊麻左倍也>

       (中臣宅守 巻十五 三七五八)

 

≪書き下し≫さす竹(たけ)の大宮人(おほみやひと)は今もかも人なぶりのみ好(この)みたるらむ <一には「今さへや」といふ>

 

(訳)あの大宮人たちは、今でもやはり、人をもてあそぶことばかりを好んでいるのであろうか。<今でさえ相も変わらず>(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さすたけの【刺す竹の】分類枕詞:「君」「大宮人」「皇子(みこ)」「舎人男(とねりをとこ)」など宮廷関係の語にかかる。「さすだけの」とも。竹の旺盛(おうせい)な生命力にかけて繁栄を祝ったものか。「さすたけの大宮人」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)なぶる【嬲る】:① 弱い立場の者などを、おもしろ半分に苦しめたり、もてあそんだりする。「新入りを—・る」 からかってばかにする。愚弄する。「教師が生徒に—・られる」③ 手でもてあそぶ。いじりまわす。「おもちゃを—・る」(weblio辞書 デジタル大辞泉

ここでは①の意

 

 宅守はこの歌で、自分を裁いた大宮人を怨んでいるのである。

 

 

 

―その1674―

●歌は、「たちかへり泣けども我れは験なみ思ひわぶれて寝る夜しぞ多き」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(37)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多知可敝里 奈氣杼毛安礼波 之流思奈美 於毛比和夫礼弖 奴流欲之曽於保伎

       (中臣宅守 巻十五 三七五九)

 

≪書き下し≫たちかへり泣けども我(あ)れは験(しるし)なみ思ひわぶれて寝(ぬ)る夜(よ)しぞ多き

 

(訳)事の始めに立ち返って悲しい定めに泣くけれど、私にとっては何の甲斐もないので、ただわびしさにくれながら、独りわびしく寝る夜ばかりを重ねている。(同上)

(注)たちかへり:事件の始めに立ち返って。(伊藤脚注)

(注)しるし【徴・験】名詞:①前兆。兆し。②霊験。ご利益。③効果。かい。(学研)ここでは③の意

(注)-み 接尾語:①〔形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて〕(…が)…なので。(…が)…だから。▽原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある。②〔形容詞の語幹に付いて〕…と(思う)。▽下に動詞「思ふ」「す」を続けて、その内容を表す。③〔形容詞の語幹に付いて〕その状態を表す名詞を作る。④〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。(学研)ここでは①の意

(注)わぶる【侘ぶる】自動詞:わびしく思う。気落ちする。(学研)

 

 

 

―その1675―

●歌は、「さ寝る夜は多くあれども物思はず安く寝る夜はさねなきものを」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(38)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(38)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆左奴流欲波 於保久安礼杼母 毛能毛波受 夜須久奴流欲波 佐祢奈伎母能乎

       (中臣宅守 巻十五 三七六〇)

 

≪書き下し≫さ寝(ぬ)る夜(よ)は多くあれども物(もの)思(も)はず安く寝る夜はさねなきものを

 

(訳)寝る夜はたくさんあるけれども、物を思わず安らかに寝る夜は、ちっともないのです。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さぬ【さ寝】自動詞:①寝る。②男女が共寝をする。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)

 

 中臣宅守は、配所で狭野弟上娘子の事を淡々と詠いつつ深い愛情を投げかけている。三七六〇歌は、そういった境遇にあっても、多少遊び心を出している。娘子を元気づけようとしているのであろう。「さ寝(ぬ)る」「寝(ぬ)る」「さね」、「物(もの)」「思(も)ふ」「ものを」と言葉の遊び的な要素をちりばめて詠っている。逆に切ない気持ちに駆られるのである。

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1391)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 三七五八歌で、自分を裁きこの味真野の地に配流した大宮人を怨み、三七五九歌では、少しクールに事の始めから振り返り自分の立ち位置を歎き、これでは娘子に申し訳ないと少し巻き込んで、おそらくさらにクールに客観的にみて、次稿の三七六一歌では、配流の原因は自分にあると、軽い自暴自棄的になっているのである。

 娘子との強い愛情の結び付きがあるからであろう。それだけに悲壮感がよけいに醸し出されるのである。

 

 味真野神社名碑のある角から清水頭交差点までは、JAや商業店舗がちょこちょことある道筋である。20基の歌碑(道標燈籠)が建てられている。昨年来た折にはこの通りの歌碑(道標燈籠)はほとんど撮影していなかったのである。



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」