万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その132改)―奈良県橿原市今井町まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」―万葉集 巻二 一九七

●歌は、「明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし」である。

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奈良県橿原市今井町今井まちなみ交流センター夢甍北側中庭万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、奈良県橿原市今井町まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆明日香川 四我良美渡之 塞益者 進留水母 能杼尓賀有萬思  一云水乃与杼尓加有益

       (柿本人麻呂 巻二 一九七)

 

≪書き下し≫明日香川しがらみ渡し塞(せ)かませば流るる水ものどにかあるまし  一には「水の淀にからまし」といふ

 

(訳)明日香川、この川にしがらみを掛け流して塞きとめたなら、激(たぎ)ち流れる水もゆったりと逝くであろうに。<水が淀(よど)みでもすることになるであろうか>(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より) 

 

 この歌は、題詞、「明日香皇女木▼殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首幷短歌」の短歌二首のうちの一首である。題詞の書き下しは、「明日香皇女(あすかのひめみこ)の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首幷せて短歌」である。

          ※▼は「瓦+缶」 「木▼」=きのへ

 

長歌をみてみよう。

◆飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡(一云、石浪) 下瀬 打橋渡 石橋(一云、石浪) 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾王生乃 立者 玉藻之如許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春部者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 唯見不献 三五月之 益目頬染 所念之 君与時ゞ 幸而 遊賜之 御食向 木瓲之宮乎 常宮跡定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨(一云、所己乎之毛) 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬(一云、為乍) 朝鳥(一云、朝霧) 往来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼往此去 大船 猶預不定見者 遺問流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将往 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此為

                   (柿本人麻呂 巻二 一九六)

 

≪書き下し≫飛ぶ鳥 明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 石橋(いしばし)渡す<一には「石並」といふ> 下(しも)つ瀬に 打橋(うちはし)渡す 石橋に<一には「石並」といふ> 生(お)ひ靡(なび)ける 玉藻ぞ 絶ゆれば生(は)ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥(こ)やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背(そむ)きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉(もみぢば)かざし 敷栲(しきたへ)の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月(もちづき)の いや愛(め)づらしみ 思ほしし 君と時時(ときとき) 出でまして 遊びたまひし 御食(みけ)向かふ 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 定めたまひて あぢさはふ 目言(めこと)も絶えぬ しかれかも<一には「そこをしも」といふ> あやに悲しみ ぬえ鳥(どり)の 片恋(かたこひ)づま(一には「しつつ」といふ) 朝鳥(あさとり)の<一つには「朝霧の」といふ> 通(かよ)はす君が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 夕星(ゆふつづ)の か行きかく行き 大船(おほふな)の たゆたふ見れば 慰(なぐさ)もる 心もあらず そこ故(ゆゑ)に 為(せ)むすべ知れや 音(おと)のみも 名のみも絶えず 天地(あめつち)の いや遠長(とほなが)く 偲ひ行かむ 御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川 万代(よろづよ)までに はしきやし 我が大君の 形見(かたみ)にここを

 

(訳)飛ぶ鳥明日香の川の、川上の浅瀬に飛石を並べる(石並を並べる)、川下の浅瀬に板橋を掛ける。その飛石に(石並に)生(お)い靡いている玉藻はちぎれるとすぐまた生える。その板橋の下に生い茂っている川藻は枯れるとすぐまた生える。それなのにどうして、わが皇女(ひめみこ)は、起きていられる時にはこの玉藻のように、寝(やす)んでいられる時にはこの川藻のように、いつも親しく睦(むつ)みあわれた何不足なき夫(せ)の君の朝宮をお忘れになったのか、夕宮をお見捨てになったのか。いつまでもこの世のお方だとお見うけした時に、春には花を手折って髪に挿し、秋ともなると黄葉(もみぢ)を髪に挿してはそっと手を取り合い、いくら見ても見飽きずにいよいよいとしくお思いになったその夫の君と、四季折々にお出ましになって遊ばれた城上(きのえ)の宮なのに、その宮を、今は永久の御殿とお定めになって、じかに逢うことも言葉を交わすこともなされなくなってしまった。そのためであろうか(そのことを)むしょうに悲しんで片恋をなさる夫の君(片恋をなさりながら)朝鳥のように(朝霧のように)城上の殯宮に通われる夫の君が、夏草の萎(な)えるようにしょんぼりして、夕星のように行きつ戻りつ心落ち着かずにおられるのを見ると、私どももますます心晴れやらず、それゆえどうしてよいかなすすべを知らない。せめて、お噂(うわさ)だけ御名(みな)だけでも絶やすことなく、天地(あめつち)とともに遠く久しくお偲びしていこう。その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも……、ああ、われらが皇女の形見としてこの明日香川を。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ををる【撓る】自動詞:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。 ※上代語。(学研)

(注)もころ【如・若】名詞:〔連体修飾語を受けて〕…のごとく。…のように。▽よく似た状態であることを表す。(学研)

(注)こやす【臥やす】自動詞:横におなりになる。▽多く、死者が横たわっていることについて、婉曲(えんきよく)にいったもの。「臥(こ)ゆ」の尊敬語。 ※上代語。(学研)

(注)宜しき君が 朝宮を:何不足のない夫の君の朝宮なのに、その宮を。(伊藤脚注)

(注)うつそみと 思ひし時に:いついつまでもこの世の人とお見受けしていた、ご在世の時。(伊藤脚注)

(注)はるべ【春方】名詞:春のころ。春。 ※古くは「はるへ」。(学研)

(注)「敷栲の」以下「鏡なす」「望月の」「御食向ふ」「あぢさはふ」「ぬえ鳥の」「朝鳥の」「夏草の」「夕星の」「大船の」と共に枕詞。(伊藤脚注)

(注)たづさふ 【携ふ】:手を取りあう。連れ立つ。連れ添う。(学研)

(注)目言(めこと):名詞 実際に目で見、口で話すこと。顔を合わせて語り合うこと。(学研)

(注)とこみや【常宮】名詞:永遠に変わることなく栄える宮殿。貴人の墓所の意でも用いる。「常(とこ)つ御門(みかど)」とも。(学研)

(注)ゆふつづ【長庚・夕星】名詞:夕方、西の空に見える金星。宵(よい)の明星(みようじよう)。 ※後に「ゆふづつ」。[反対語] 明星(あかほし)。(学研)

(注)天地の:天地と共に、の意。(伊藤脚注)

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】自動詞:①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)ここでは①の意

(注)御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川:その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも。(伊藤脚注)

 

もう一つの短歌をみてみよう。

◆明日香川 明日谷(一云左倍)将見等 念八方(一云念香毛) 吾王 御名忘世奴(一云御名不所忘)

               (柿本人麻呂 巻二 一九八)

 

≪書き下し≫明日香川(あすかがは)明日(あす)だに<一には「さへ」といふ>見むと思へやも<一には「思へかも」という>我が大君の御名(みな)忘れせぬ<一には「御名忘らえぬ」といふ>

 

(訳)明日香川がこの川の名のように、せめて明日だけでもお逢いしたいと来る日も来る日もおもっているからなのか、いやもうお逢いできないとは知りながら、我が皇女の御名を忘れることができない。これまでのように明日もお逢いしたいと思うからか、わが皇女の御名が忘れられない。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 今井町まちなみ交流センター「華甍」は、奈良県の指定文化財である。明治36年(1903)高市郡教育博物館として建設され、昭和4年からは今井町役場として使用されていた。当時、奈良県社会教育施設としては、奈良市所在の重要文化財「旧帝国博物館」に次ぐものだったという。「華甍」の北側に「明日香川」をイメージした「流れ」があり、建物との間の中庭に歌碑がある。駐車場も観光トイレも整備されている。

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今井まちなみ交流センター夢甍

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夢甍正面

 

 

  一九六歌に、明日香乃河之 上瀬 石橋渡(一云、石浪)<明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 石橋(いしばし)渡す<一には「石並」といふ> とあるが、七月八日に行った、明日香村の稲淵の飛石(石橋)を見たのであるが、情景が具体的に目に浮かぶし、「石浪>石並」と言う言葉も納得できる。万葉集の歌の理解にも三現主義(現場、現物、現実を重視する)は欠かせないものである。

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(参考文献)

★{萬葉集} 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「橿原の万葉歌碑めぐり」(橿原市観光政策課)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

20220406前回の改訂に加え注釈等補追