万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2040~2042)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(46~48)―万葉集 巻十 二一一五、巻十 二一八八、巻十 二二〇二

―その2040―

●歌は、「手に取れば袖さへにほふをみなえしこの白露に散らまく惜しも」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(46)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(46)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆手取者 袖并丹覆 美人部師 此白露尓 散巻惜

       (作者未詳 巻十 二一一五)

 

≪書き下し≫手に取れば袖(そで)さへにほふをみなへしこの白露(しらつゆ)に散らまく惜(を)しも

 

(訳)手に取れば袖までも染まる色美しいおみなえしなのに、この白露のために散るのが今から惜しまれてならない。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ここでは②の意

(注)白露:漢語「白露」の翻読語。普通秋の露にいう。(伊藤脚注)

 

 「おみなえし」は万葉集には十四首が収録されている。この歌を含め拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1178)」で紹介している。

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 「白露」あるいは「露」と「萩」を詠み込んだ歌は、十三首が収録されている。尾花、黄葉、穂、夕蔭草、浅茅、山ぢさなどとも詠まれている。

巻十の「秋雑歌」「詠花」三十四首中五首が萩である。他の四首をみていこう。いずれも作者未詳である。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その951)」で紹介している。

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―その2041―

●歌は、「黄葉のにほひは繁ししかれども妻梨の木を手折りかざざむ」である。

 

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(47)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(47)である。

●歌をみていこう。

 

◆黄葉之 丹穂日者繁 然鞆 妻梨木乎 手折可佐寒

       (作者未詳    巻十 二一八八)

 

≪書き下し≫黄葉(もみぢば)のにほひは繁(しげ)ししかれども妻(つま)梨(なし)の木を手折(たを)りかざさむ

 

(訳)あの山のもみじの色づきはとりどりだ。しかし、妻なしの私は梨の木を手折って挿頭(かざし)にしよう。(同上)

(注)にほひ【匂ひ】名詞:①(美しい)色あい。色つや。②(輝くような)美しさ。つややかな美しさ。③魅力。気品。④(よい)香り。におい。⑤栄華。威光。⑥(句に漂う)気分。余情。(俳諧用語)(学研)ここでは①の意

(注)かざし【挿頭】名詞:花やその枝、のちには造花を、頭髪や冠などに挿すこと。また、その挿したもの。髪飾り。(学研)

(注)つまなし【妻梨】名詞:植物の梨(なし)の別名。「妻無し」に言いかけた語。(学研)

                           

「かざし;頭刺・挿頭」については、万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアム)に、「①花などを用いた頭髪の飾り。名詞形。②花などを手に取り頭に挿し飾りとすること。動詞形。①はカミサシ(髪挿し)かカザリ(飾り)の転か不明。『彦星の頭刺玉(かざしのたま)の』(10-1686)とあり、これは頭に挿した飾り玉で、頭髪に固定させたもの。また『頭刺不插』(8-1559)は「カザシにササズ」で、カザシは挿すものだというから、頭髪に挿した飾りであることが知られる。万葉集の古歌謡には神南備の清い御田屋の、垣内田の池の堤に立つ齋槻の紅葉を手折り、公(きみ)の『頭刺』として持って行くと歌われ、これは恋歌ではなく巫女が神(公)の頭刺として用意したものであり、カザシは古く神を招くものであった。柿本人麻呂の吉野讃歌には天皇が国見をすると、山の神が御調として春は花を挿頭し持ち、秋は黄葉を頭刺すのだという(1-38)。神による天皇への奉仕が詠まれているが、これも本来は神祭における神迎えの頭刺であったと思われる。柿本人麻呂の明日香皇女挽歌には、皇女が生前に春が来ると花を折り挿頭し、秋が来ると黄葉を挿頭したという(2-196)。挽歌に詠まれることから見ると、カザシの生命力(期待)と死(絶望)との対比が見られる。②は①と重なりながら風流の遊びへと展開したカザシである。大宰府の梅花の宴では、『梅の花今盛りなり思ふどち加射之にしてな今盛りなり』(5-820)、『梅を加射之弖楽しく飲まめ』(5-833)のように、梅の花をカザシとして楽しく遊ぶことが歌われている。さらに、桜の花を詠んだ歌には『嬢子らが 挿頭のために 遊士が 蘰のためと』(8-1429)と、桜の花は少女らがカザシとし、風流の男らが蘰(かづら)にするのだという。蔓性の植物を〈カヅラ〉といい、それを輪にして頭に被るのを〈カヅラク〉という。あるいは、神祭に巫女が蔓性の植物を被ったので、蔓性植物をカヅラといったか。持統紀の天武殯宮に『花縵』を奉り、これを『御蔭』というとある。また秋の稲を蘰にして贈ったという例(8-1624)は、季節の習俗と考えられ、稲の呪力を身に付着させる信仰的な行為が残存している。カザシとされた植物は、梅・桜・紅葉・萩・瞿麦・柳・保与・藤・山吹といった花木類である。これらの植物には生命信仰が見られるが、むしろ嬢子や遊士らが風流を楽しむための花木として選択されたものであり、これらには時代や個人の好尚が反映していると思われる。」と書かれている。

上記解説を理解するために説明引用歌をみてみよう。

 

■巻九 一六八六歌■

孫星 頭刺玉之 嬬戀 乱祁良志 此川瀬尓

      (柿本人麻呂歌集 巻九 一六八六)

 

≪書き下し≫彦星(ひこぼし)のかざしの玉の妻恋(つまご)ひに乱れにけらしこの川の瀬に

 

(訳)天上の彦星が髪飾りに着けている玉が、妻恋しさに乱れ落ちて飛び交っているのであるらしい。この川の瀬に。(同上)

 

 

■巻八 一五五九■

◆秋芽子者 盛過乎 徒尓 頭刺不挿 還去牟跡哉

      (沙弥尼等 巻八 一五五九)

 

≪書き下し≫秋萩は盛(さか)り過ぐるをいたづらにかざしに挿(さ)さず帰りなむとや

 

(訳)萩の花は盛りを過ぎるというのに、むなしくそのまま、髪に挿すこともなくお帰りになるというのですか。(同上)

(注)とや 分類連語:①〔文中の場合〕…と…か。…というのか。▽「と」で受ける内容について疑問の意を表す。②〔文末の場合〕(ア)…とかいうことだ。▽伝聞あるいは不確実な内容であることを表す。(イ)…というのだな。…というのか。▽相手に問い返したり確認したりする意を表す。 ⇒参考:②(ア)は説話などの末尾に用いられる。「とや言ふ」の「言ふ」が省略された形。 ⇒なりたち:格助詞「と」+係助詞「や」(学研)

(注)さみ【沙弥】名詞:出家して十戒は受けたが、まだ具足戒は受けていない男子の僧。出家したばかりで修行の未熟な僧。「さみ」とも。女子は「沙弥尼(しやみに)」という。 ※仏教語。(学研)

 

 

■巻一 三八■

◆安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為勢婆 疊有 青垣山 ゝ神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭刺理 <一云 黄葉加射之> 逝副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨

       (柿本人麻呂 巻一 三八)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと 吉野川 たぎつ河内(かふち)に 高殿(たかとの)を 高知(たかし)りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山(あをかきやま) 山神(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみち)かざせり <一には「黄葉かざし」といふ> 行き沿(そ)ふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕(つか)へ奉(まつ)ると 上(かみ)つ瀬に 鵜川(うかは)を立ち 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川(やまかは)も 依(よ)りて仕(つか)ふる 神の御代(みよ)かも

 

(訳)安らかに天の下を支配されるわれらが大君、大君が神であるままに神らしくなさるとて、吉野川の激流渦巻く河内に、高殿を高々とお造りのなり、そこに登り立って国見をなさると、幾重にも重なる青垣のような山々の、その山の神が大君に捧(ささ)げ奉る貢物(みつぎもの)として、春の頃おいには花を髪にかざし、秋たけなわの時ともなるとになると色づいをかざしている<色づいた葉をかざし>、高殿に行き沿うて流れる川、その川の神も、大君のお食事にお仕え申そうと、上の瀬に鵜川(うかわ)を設け、下の瀬にすくい網を張り渡している。ああ、われらが大君の代は山や川の神までも心服して仕える神の御代であるよ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)「神ながら 神さびせすと」:神のままに神らしくなさるとて。(伊藤脚注)

(注)せす【為す】分類連語:なさる。あそばす。 ※上代語。 ⇒なりたち サ変動詞「す」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」(学研)

(注)たたなはる【畳なはる】自動詞:①畳み重ねたような形になる。重なり合って連なる。②寄り合って重なる。 ⇒参考 ①の用例の「たたなはる」は、「青垣山」にかかる枕詞(まくらことば)とする説もある。(学研)ここでは①の意

(注)かざす【挿頭す】[動]《「かみ(髪)さ(挿)す」の音変化という》:① 草木の花や枝葉、造花などを髪や冠にさす。② 物の上に飾りつける。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

(注)おほみけ【大御食】名詞:召し上がり物。▽神・天皇が食べる食べ物の尊敬語。 ※「おほみ」は接頭語(学研)

(注)うかは【鵜川】名詞:鵜(う)の習性を利用して魚(多く鮎(あゆ))をとること。鵜飼い。また、その川。(学研)

(注)さで【叉手・小網】名詞:魚をすくい取る網。さであみ。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1324)」で紹介している。

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■巻二 一九六■

◆飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡<一云石浪> 下瀬 打橋渡 石橋<一云石浪> 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾王生乃 立者 玉藻之如許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春部者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 唯見不献 三五月之 益目頬染 所念之 君与時ゞ 幸而 遊賜之 御食向 木瓲之宮乎 常宮跡定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨<一云所己乎之毛> 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬<一云為乍> 朝鳥<一云朝霧> 往来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼往此去 大船 猶預不定見者 遺問流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将往 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此為

                   (柿本人麻呂 巻二 一九六)

 

≪書き下し≫飛ぶ鳥 明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 石橋(いしばし)渡す<一には「石並」といふ> 下(しも)つ瀬に 打橋(うちはし)渡す 石橋に<一には「石並」といふ> 生(お)ひ靡(なび)ける 玉藻ぞ 絶ゆれば生(は)ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥(こ)やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背(そむ)きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉(もみぢば)かざし 敷栲(しきたへ)の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月(もちづき)の いや愛(め)づらしみ 思ほしし 君と時時(ときとき) 出でまして 遊びたまひし 御食(みけ)向かふ 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 定めたまひて あぢさはふ 目言(めこと)も絶えぬ しかれかも<一には「そこをしも」といふ> あやに悲しみ ぬえ鳥(どり)の 片恋(かたこひ)づま(一には「しつつ」といふ) 朝鳥(あさとり)の<一つには「朝霧の」といふ> 通(かよ)はす君が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 夕星(ゆふつづ)の か行きかく行き 大船(おほふな)の たゆたふ見れば 慰(なぐさ)もる 心もあらず そこ故(ゆゑ)に 為(せ)むすべ知れや 音(おと)のみも 名のみも絶えず 天地(あめつち)の いや遠長(とほなが)く 偲ひ行かむ 御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川 万代(よろづよ)までに はしきやし 我が大君の 形見(かたみ)にここを

 

(訳)飛ぶ鳥明日香の川の、川上の浅瀬に飛石を並べる<石並を並べる>、川下の浅瀬に板橋を掛ける。その飛石に<石並に>生(お)い靡いている玉藻はちぎれるとすぐまた生える。その板橋の下に生い茂っている川藻は枯れるとすぐまた生える。それなのにどうして、わが皇女(ひめみこ)は、起きていられる時にはこの玉藻のように、寝(やす)んでいられる時にはこの川藻のように、いつも親しく睦(むつ)みあわれた何不足なき夫(せ)の君の朝宮をお忘れになったのか、夕宮をお見捨てになったのか。いつまでもこの世のお方だとお見うけした時に、春には花を手折って髪に挿し、秋ともなると黄葉(もみぢ)を髪に挿してはそっと手を取り合い、いくら見ても見飽きずにいよいよいとしくお思いになったその夫の君と、四季折々にお出ましになって遊ばれた城上(きのえ)の宮なのに、その宮を、今は永久の御殿とお定めになって、じかに逢うことも言葉を交わすこともなされなくなってしまった。そのためであろうか<そのことを>むしょうに悲しんで片恋をなさる夫の君<片恋をなさりながら>朝鳥のように<朝霧のように>城上の殯宮に通われる夫の君が、夏草の萎(な)えるようにしょんぼりして、夕星のように行きつ戻りつ心落ち着かずにおられるのを見ると、私どももますます心晴れやらず、それゆえどうしてよいかなすすべを知らない。せめて、お噂(うわさ)だけ御名(みな)だけでも絶やすことなく、天地(あめつち)とともに遠く久しくお偲びしていこう。その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも……、ああ、われらが皇女の形見としてこの明日香川を。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ををる【撓る】自動詞:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。 ※上代語。(学研)

(注)もころ【如・若】名詞:〔連体修飾語を受けて〕…のごとく。…のように。▽よく似た状態であることを表す。(学研)

(注)こやす【臥やす】自動詞:横におなりになる。▽多く、死者が横たわっていることについて、婉曲(えんきよく)にいったもの。「臥(こ)ゆ」の尊敬語。 ※上代語。(学研)

(注)宜しき君が 朝宮を:何不足のない夫の君の朝宮なのに、その宮を。(伊藤脚注)

(注)うつそみと 思ひし時に:いついつまでもこの世の人とお見受けしていた、ご在世の時。(伊藤脚注)

(注)はるべ【春方】名詞:春のころ。春。 ※古くは「はるへ」。(学研)

(注)「敷栲の」以下「鏡なす」「望月の」「御食向ふ」「あぢさはふ」「ぬえ鳥の」「朝鳥の」「夏草の」「夕星の」「大船の」と共に枕詞。(伊藤脚注)

(注)たづさふ 【携ふ】:手を取りあう。連れ立つ。連れ添う。(学研)

(注)目言(めこと):名詞 実際に目で見、口で話すこと。顔を合わせて語り合うこと。(学研)

(注)とこみや【常宮】名詞:永遠に変わることなく栄える宮殿。貴人の墓所の意でも用いる。「常(とこ)つ御門(みかど)」とも。(学研)

(注)ゆふつづ【長庚・夕星】名詞:夕方、西の空に見える金星。宵(よい)の明星(みようじよう)。 ※後に「ゆふづつ」。[反対語] 明星(あかほし)。(学研)

(注)天地の:天地と共に、の意。(伊藤脚注)

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】自動詞:①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)ここでは①の意

(注)御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川:その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに短歌二首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その132改)」で紹介している。

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■巻五 八二〇■

◆烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理  [筑後守葛井大夫]

       (葛井大夫 巻八 八二〇)

 

≪書き下し≫梅の花今盛りなりと思ふどちかざしにしてな今盛りなり [筑後守(つくしのみちのしりのかみ)葛井大夫(ふぢゐのまへつきみ)]

 

(訳)梅の花は今がまっ盛りだ。気心知れた皆の者の髪飾りにしよう。梅の花は今がまっ盛りだ。(伊藤 博  著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)おもふどち【思ふどち】名詞:気の合う者同士。仲間。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その太宰府番外編その2)」で紹介している。

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■巻八 一四二九■

題詞は、「櫻花歌一首 幷短歌」<桜花(さくらばな)の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆▼嬬等之 頭挿乃多米尓 遊士之 蘰之多米等 敷座流 國乃波多弖尓 開尓鶏類 櫻花能 丹穂日波母安奈尓

      (作者未詳 巻八 一四二九)

   ▼は、「女偏」+「感」で「おとめ」 →「▼嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫娘子(をとえ)らが かざしのために 風流士(みやびを)が かづらのためと 敷きませる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の にほひはもあなに

 

(訳)娘子たちの挿頭(かざし)のためにと、また風流士(みやびお)の縵(かずら)のためにと、大君のお治めになる国の隅々まで咲き満ちている桜の花の、何とまあ輝くばかりの美しさよ。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)みやびを【雅び男】名詞:風流を解する男。風流を好む男。風流人。(学研)

(注)しく【敷く・領く】他動詞:①平らに広げる。一面に並べる。②(あまねく)治める。③広く行きわたらせる。 ⇒注意②の意味は現代語にはない。(学研)

(注)はたて【果たて・極】名詞:果て。限り。(学研)

(注)にほひ【匂ひ】名詞:①(美しい)色あい。色つや。②(輝くような)美しさ。つややかな美しさ。③魅力。気品。④(よい)香り。におい。⑤栄華。威光。⑥(句に漂う)気分。余情。(学研)ここでは②の意

(注)あなに 感動詞:ああ、本当に。▽強い感動を表す。(学研)

 

 

■巻八 一六二四■

◆吾之蒔有 早田之穂立 造有 蘰曽見乍 師弩波世吾背

      (大伴坂上大嬢 巻八 一六二四)

 

≪書き下し≫我が蒔(ま)ける早稲田(わさだ)の穂立(ほたち)作りたるかづらぞ見つつ偲はせ我が背(せ)

 

(訳)私が蒔いた早稲田の穂立、立揃ったその稲穂でこしらえた縵(かづら)です、これは。ご覧になりながら私のことを偲(しの)んで下さい、あなた。(同上)

(注)ほたち【穂立ち】名詞:稲の穂が出ること。また、その穂。「ほだち」とも。(学研)

 

 

―その2042―

●歌は、「黄葉する時になるらし月人の桂の枝の色づく見れば」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(48)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(48)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆黄葉為 時尓成 月人 楓枝乃 色付見者

       (作者未詳 巻十 二二〇二)

 

≪書き下し≫黄葉(もみち)する時になるらし月人(つきひと)の桂(かつら)の枝(えだ)の色づく見れば 

 

(訳)木の葉の色づく時節になったらしい。お月さまの中の桂の枝が色付いてきたところを見ると。(同上)

(注)つきひと【月人】名詞:月。▽月を擬人化していう語。(学研)

 

  「月の桂」で調べてみると、「古代中国の伝説で、月の中にはえているという高さが五〇〇丈(約一五〇〇メートル)の桂の木。月の中の桂。月桂(げっけい)。転じて、月、月の光などをいう。《季・秋》」とある。さらに、「 (1)日本においては早く『懐風藻』に『金漢星楡冷、銀河月桂秋』〔山田三方『七夕』〕、『玉俎風蘋薦。金罍月桂浮』〔藤原万里『仲秋釈奠』〕などとあり、前者は『月の中にあるという桂の木』、後者は『月影(光)』の意である。(2)『万葉集』にも『目には見て手には取らえぬ月内之楓(つきのうちのかつら)のごとき妹をいおある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1089)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫より)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫より)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアムHP)