万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その984)―名古屋市千種区東山元町 東山植物園(3)―万葉集 巻七 一二四九

●歌は、「君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも」である。

 

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名古屋市千種区東山元町 東山植物園(3)万葉歌碑(プレート)<作者未詳>

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山植物園(3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉

              (作者未詳 巻七 一二四九)

 

≪書き下し≫君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘むと我(わ)が染(そ)めし袖濡れにけるか

 

(訳)あの方に差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘もうとして、私が染めて作った着物の袖がすっかり濡れてしまいました。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 左注に「右の四首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ」とある。

 

 ヒシは、葉の形が特徴的で、菱型という言葉はその葉の形からきているとされている。ヒシは一年生の水草で、七月頃、白い花を咲かせる。それから棘のある特徴的な実をつける。この実は食用になり、栗に似た味がするそうである。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その285)」で紹介している。

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万葉集で詠われた「菱」のような主な水生植物をあげてみる。

あざさ(アサザ)、あやめぐさ(ショウブ)、かきつばた(カキツバタ)、ぬなは(ジュンサイ)、はちす(ハス)、も(カワモ)などである。

これらの万葉植物を詠んだ歌をみてみよう。

(注)万葉の植物名は平仮名で、現在の名前はカタカナで表記している。

 

 

【あざさ(アサザ)】

◆打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀文(・)吾子 諾ゝ名 母者不知 諾ゝ名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 卜細子 彼曽吾孋

               (作者未詳 巻十三 三二九五)

 

 ≪書き下し≫うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏(ふ)み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押(おさ)へ刺(さ)す うらぐはし子 それぞ我(わ)が妻

 

(訳)うちひさつ三宅の原を、地べたに裸足なんかを踏みこんで、夏草に腰をからませて、まあ、いったいどこのどんな娘御(むすめご)ゆえに通っておいでなのだね、お前。ごもっともごもっとも、母さんはご存じありますまい。ごもっともごもっとも、父さんはご存じありますまい。蜷の腸そっくりの黒々とした髪に、木綿(ゆう)の緒(お)であざさを結わえて垂らし、大和の黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)を押えにさしている妙とも妙ともいうべき子、それが私の相手なのです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは「三宅」にかかっている。

(注)三宅の原:奈良県磯城郡三宅町付近。

(注)ひたつち【直土】名詞:地面に直接接していること。 ※「ひた」は接頭語。(学研)

(注)こしなづむ【腰泥む】分類連語:腰にまつわりついて、行き悩む。難渋する。(学研)

(注)うべなうべな【宜な宜な・諾な諾な】副詞:なるほどなるほど。いかにももっともなことに。(学研)

(注)みなのわた【蜷の腸】分類枕詞:蜷(=かわにな)の肉を焼いたものが黒いことから「か黒し」にかかる。(学研)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)あざさ:ミツガシワ科アサザ属の多年生水草ユーラシア大陸の温帯地域に生息し、日本では本州や九州に生息。5月から10月頃にかけて黄色の花を咲かせる水草。(三宅町HP) ※あざさは三宅町の町花である。現在の植物名は「アサザ」である。

(注)うらぐはし【うら細し・うら麗し】形容詞:心にしみて美しい。見ていて気持ちがよい。すばらしく美しい。(学研)

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(432)」で紹介している。

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【あやめぐさ(ショウブ)】

◆保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓勢武日 許由奈伎和多礼

               (田辺福麻呂<誦> 巻十八 四〇三五)

 

≪書き下し≫ほととぎすいとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ

 

(訳)時鳥よ、来てくれていやな時などありはせぬ。だけど、菖蒲草(あやめぐさ)を縵(かうら)に着ける日、その日だけはかならずここを鳴いて渡っておくれ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

古歌(巻十 一九五五)を利用したもの。

 ※一九五五歌と同じ。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その972)」で紹介している。

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【かきつばた(カキツバタ)】

◆加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比獦須流 月者伎尓家里

                (大伴家持 巻十七 三九二一)

 

≪書き下し≫かきつはた衣(きぬ)に摺(す)り付けますらをの着(き)襲(そ)ひ猟(かり)する月は来にけり

 

(訳)杜若(かきつばた)、その花を着物に摺り付け染め、ますらおたちが着飾って薬猟(くすりがり)をする月は、今ここにやってきた。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)きそふ【着襲ふ】他動詞:衣服を重ねて着る。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その339)」で紹介している。

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【ぬなは(ジュンサイ)】

◆吾情 湯谷絶谷 浮蒪 邊毛奥毛 依勝益士

            (作者未詳 巻七 一三五二)

 

≪書き下し≫我(あ)が心ゆたにたゆたに浮蒪(うきぬなは)辺にも沖(おき)にも寄りかつましじ

 

(訳)私の心は、ゆったりしたり揺動したりで、池の面(も)に浮かんでいる蒪菜(じゅんさい)だ。岸の方にも沖の方にも寄りつけそうもない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆたに>ゆたなり 【寛なり】形容動詞ナリ活用:ゆったりとしている。(webliok古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(同上)

(注)寄りかつましじ:寄り付けそうにもあるまい

 

 蒪(ぬなは)は、ジュンサイのことで、スイレン科の多年生植物。沼などの泥の中に根を延ばし、葉は楕円形で10cm程度。葉や茎はぬるぬるしていて水面に浮かんでいる。若い芽は食用にする。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その281)」で紹介している。

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【はちす(ハス)】

◆久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似有将見

                (作者未詳 巻十六 三八三七)

 

≪書き下し≫ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすは)に溜(た)まれる水の玉に似たる見む

 

(訳)空から雨でも降って来ないものかな。蓮の葉に留まった水の、玉のようにきらきら光るのが見たい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右歌一首傳云 有右兵衛<姓名未詳> 多能歌作之藝也 于時府家備設酒食饗宴府官人等 於是饌食盛之皆用荷葉 諸人酒酣歌舞駱驛 乃誘兵衛云関其荷葉而作歌者 登時應聲作斯歌也<右の歌一首は、伝へて云はく、「右兵衛(うひやうゑ)のものあり。<姓名は未詳> 歌作の芸(わざ)に多能なり。時に、府家(ふか)に酒食(しゅし)を備へ設けて、府(つかさ)の官人らに饗宴(あへ)す。ここに、饌食(せんし)は盛(も)るに、皆蓮葉(はちすば)をもちてす。諸人(もろひと)酒(さけ)酣(たけなは)にして、歌舞(かぶ)駱驛(らくえき)す。すなはち、兵衛を誘(いざな)ひて云はく、『その蓮葉に関(か)けて歌を作れ』といへれば、たちまちに声に応へて、この歌を作る」といふ。

(注)うひゃうゑ【右兵衛】名詞:「右兵衛府」の略。また、「右兵衛府」の武官。[反対語] 左兵衛。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うひゃうゑふ【右兵衛府】名詞:「六衛府(ろくゑふ)」の一つ。「左兵衛府(さひやうゑふ)」とともに、内裏(だいり)外側の諸門の警備、行幸のときの警護、左右京内の巡検などを担当した役所。右の兵衛府。[反対語] 左兵衛府。(同上)

(注)らくえき【絡繹・駱駅】人馬などが次々に続いて絶えないさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

  この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その282)」で紹介している。

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【も(カワモ)】

◆飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡(一云、石浪) 下瀬 打橋渡 石橋(一云、石浪) 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾王生乃 立者 玉藻之如許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春部者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 唯見不献 三五月之 益目頬染 所念之 君与時ゞ 幸而 遊賜之 御食向 木瓲之宮乎 常宮跡定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨(一云、所己乎之毛) 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬(一云、為乍) 朝鳥(一云、朝霧) 往来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼往此去 大船 猶預不定見者 遺問流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将往 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此為

                                          (柿本人麻呂 巻二 一九六)

 

≪書き下し≫飛ぶ鳥 明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 石橋(いしばし)渡す<一には「石並」といふ> 下(しも)つ瀬に 打橋(うちはし)渡す 石橋に<一には「石並」といふ> 生(お)ひ靡(なび)ける 玉藻ぞ 絶ゆれば生(は)ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥(こ)やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背(そむ)きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉(もみぢば)かざし 敷栲(しきたへ)の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月(もちづき)の いや愛(め)づらしみ 思ほしし 君と時時(ときとき) 出でまして 遊びたまひし 御食(みけ)向かふ 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 定めたまひて あぢさはふ 目言(めこと)も絶えぬ しかれかも<一には「そこをしも」といふ> あやに悲しみ ぬえ鳥(どり)の 片恋(かたこひ)づま(一には「しつつ」といふ) 朝鳥(あさとり)の<一つには「朝霧の」といふ> 通(かよ)はす君が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 夕星(ゆふつづ)の か行きかく行き 大船(おほふな)の たゆたふ見れば 慰(なぐさ)もる 心もあらず そこ故(ゆゑ)に 為(せ)むすべ知れや 音(おと)のみも 名のみも絶えず 天地(あめつち)の いや遠長(とほなが)く 偲ひ行かむ 御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川 万代(よろづよ)までに はしきやし 我が大君の 形見(かたみ)にここを

 

(訳)飛ぶ鳥明日香の川の、川上の浅瀬に飛石を並べる(石並を並べる)、川下の浅瀬に板橋を掛ける。その飛石に(石並に)生(お)い靡いている玉藻はちぎれるとすぐまた生える。その板橋の下に生い茂っている川藻は枯れるとすぐまた生える。それなのにどうして、わが皇女(ひめみこ)は、起きていられる時にはこの玉藻のように、寝(やす)んでいられる時にはこの川藻のように、いつも親しく睦(むつ)みあわれた何不足なき夫(せ)の君の朝宮をお忘れになったのか、夕宮をお見捨てになったのか。いつまでもこの世のお方だとお見うけした時に、春には花を手折って髪に挿し、秋ともなると黄葉(もみぢ)を髪に挿してはそっと手を取り合い、いくら見ても見飽きずにいよいよいとしくお思いになったその夫の君と、四季折々にお出ましになって遊ばれた城上(きのえ)の宮なのに、その宮を、今は永久の御殿とお定めになって、じかに逢うことも言葉を交わすこともなされなくなってしまった。そのためであろうか(そのことを)むしょうに悲しんで片恋をなさる夫の君(片恋をなさりながら)朝鳥のように(朝霧のように)城上の殯宮に通われる夫の君が、夏草の萎(な)えるようにしょんぼりして、夕星のように行きつ戻りつ心落ち着かずにおられるのを見ると、私どももますます心晴れやらず、それゆえどうしてよいかなすすべを知らない。せめて、お噂(うわさ)だけ御名(みな)だけでも絶やすことなく、天地(あめつち)とともに遠く久しくお偲びしていこう。その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも……、ああ、われらが皇女の形見としてこの明日香川を。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ををれる<ををる 【撓る】:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。

                 たわみ曲がる。

(注)もころ【如・若】名詞〔連体修飾語を受けて〕…のごとく。…のように。

                    ▽よく似た状態であることを表す

(注)はるへ<はるべ 【春方】名詞 春のころ。春。古くは「はるへ」

(注)しきたへの 【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞 「しきたへ」が寝具である

      ことから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、

      また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」

      などにかかる。

(注)たづさふ 【携ふ】:手を取りあう。連れ立つ。連れ添う。

(注)あぢさはふ:分類枕詞 「目」にかかる。語義・かかる理由未詳。

(注)目言(めこと):名詞 実際に目で見、口で話すこと。

            顔を合わせて語り合うこと。

(注)たゆたふ:定まる所なく揺れ動く。

        (注)は、「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」による。

 

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(132改)」で紹介している。(初期のブログのためタイトル写真に朝食の写真が載っているが本文では、改訂して削除してあります。ご容赦下さい。)

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」