●歌は、「立山の雪し来らしも延槻の川の渡り瀬鐙漬かすも」である。
●歌をみてみよう。
題詞は、「新川郡渡延槻河時作歌一首」<新川(にひかは)の郡(こほり)にして延槻川(はひつきかは)を渡る時に作る歌一首>である。
(注)新川郡:越中の東半分を占める大郡。(伊藤脚注)
◆多知夜麻乃 由吉之久良之毛 波比都奇能 可波能和多理瀬 安夫美都加須毛
(大伴家持 巻十七 四〇二四)
≪書き下し≫立山(たちやま)の雪し来らしも延槻の川の渡り瀬(せ)鐙(あぶみ)漬(つ)かすも
(訳)立山の雪が解けてやって来たのであるらしい。この延槻の、川の瀬でも、ふえた水かさで鐙(あぶみ)を浸すばかりだ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)雪し来らしも:雪が早くも消えてやって来たのであるらしい、の意。(伊藤脚注)
(注)あぶみ【鐙】名詞:馬具の一つ。鞍(くら)の両脇(りようわき)に垂らして、乗る人が足を踏みかけるもの。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)「漬かすも」:「漬く」に対する使役性動詞。浸らせる。(伊藤脚注)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1354)」で紹介している。
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石川県・富山県の万葉歌碑巡り2日目である。
最初の万葉歌碑は、白萩東部公民館である。ネットでは白萩東部公民館(旧白萩東部小学校)と出て来る。廃校跡を公民館として活用しているようである。
ナビをセットし一路公民館を目指す。
しだいに人里から離れて来る。少々不安になる。ナビを信じるしかない。家が見当たらないということは過疎化で廃校となるのも致し方がないことなのだろうと考えながらハンドルを握る。
目的地を知らせるアナウンスが。
しかし建物も何もない。一旦通り過ぎまた引き返してくる。ナビの指し示す目的地あたりに車を止め下りてあたりを見回す。
頭上に「避難場所」を示す標識が立っている。よく見るとかすれた文字で「白萩東部公民館」と読める。
眼の前の広場はどうやら公民館の跡地のようである。
歌碑もどこかに移されたのか・・・。
見回すと、道路近くの木陰にポツンと寂しそうに佇む歌碑を発見!
一瞬ドキッとした滑り出しであった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「グーグルマップ」