<春日井市2⃣>
■愛知県春日井市東野町 万葉の小道万葉歌碑<巻二 二三一>■
●歌をみていこう。
◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓
(笠金村 巻二 二三一)
≪書き下し≫高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなくは咲いて散っていることであろうか。見る人もいなくて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)いたづらなり【徒らなり】形容動詞:無駄だ。無意味だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)見る人:暗に志貴皇子をさす。(伊藤脚注)
題詞は、「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」<霊龜元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月に、志貴皇子(しきのみこ)の薨ぜし時に作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。この歌は、短歌二首の一首である。
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1012)」で紹介している。
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■愛知県春日井市東野町 万葉の小道万葉歌碑<巻八 一六二三>■
●歌をみていこう。
◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無
(大伴田村大嬢 巻八 一六二三)
≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし
(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(学研)
(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。(学研)
(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹
題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。
(注)いもうと【妹】名詞:①姉。妹。▽年齢の上下に関係なく、男性からその姉妹を呼ぶ語。[反対語] 兄人(せうと)。②兄妹になぞらえて、男性から親しい女性をさして呼ぶ語。③年下の女のきょうだい。妹。[反対語] 姉。 ※「いもひと」の変化した語。「いもと」とも。(学研)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。
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■愛知県春日井市東野町 万葉の小道万葉歌碑<巻十一 二三五三>■
●歌をみていこう。
◆長谷 弓槻下 吾隠在妻 赤根刺 所光月夜迩 人見點鴨 <一云人見豆良牟可>
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二三五三)
≪書き下し≫泊瀬(はつせ)の斎槻(ゆつき)が下(した)に我(わ)が隠(かく)せる妻(つま)あかねさし照れる月夜(つくよ)に人見てむかも」である。<一には「人みつらむか」といふ>
(訳)泊瀬(はつせ)のこんもり茂る槻の木の下に、私がひっそりと隠してある、大切な妻なのだ。その妻を、あかあかと隈(くま)なく照らすこの月の夜に、人が見つけてしまうのではなかろうか。<人がみつけているのではなかろうか>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)泊瀬の斎槻:人の立ち入りを禁じる聖域であることを匂わす。「泊瀬」は隠処(こもりく)の聖地とされた。「斎槻」は神聖な槻の木。(伊藤脚注)
(注)いつき【斎槻】名詞:神が宿るという槻(つき)の木。神聖な槻の木。一説に、「五十槻(いつき)」で、枝葉の多く茂った槻の木の意とも。※「い」は神聖・清浄の意の接頭語。(学研)
(注)あかねさし【茜さし】 枕詞:茜色に美しく映えての意で、「照る」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1014)」で紹介している。
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■愛知県春日井市東野町 万葉の小道万葉歌碑<巻八 一四三五>■
歌をみていこう。
◆河津鳴 甘南備河尓 陰所見而 今香開良武 山振乃花
(厚見王 巻八 一四三五)
≪書き下し≫かはづ鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花
(訳)河鹿の鳴く神なび川に、影を映して、今頃咲いていることであろうか。岸辺のあの山吹の花は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)神なび川:神なびの地を流れる川。飛鳥川とも竜田川ともいう。(伊藤脚注)
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1015)」で紹介している。
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■愛知県春日井市東野町 万葉の小道万葉歌碑<巻十六 三七八六>■
歌をみていこう。
◆春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 其一
(作者未詳 巻十六 三七八六)
≪書き下し≫春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも その一
(訳)春がめぐってきたら、その時こそ挿頭(かざし)にしようと私が心に思い込んでいた桜の花、その花ははや散って行ってしまったのだ、ああ。 その一 (伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)挿頭にせむ:髪飾りにしようと。妻にすることの譬え。(伊藤脚注)
(注)桜の花:娘子桜児の譬え。(伊藤脚注)
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1016)」で紹介している。
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■愛知県春日井市東野町 万葉の小道万葉歌碑<巻十九 四二二六>■
●歌をみていこう。
◆此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見
(大伴家持 巻十九 四二二六)
≪書き下し≫この雪の消殘(けのこ)る時にいざ行かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照るも見む
(訳)この雪がまだ消えてしまわないうちに、さあ行こう。山橘の実が雪に照り輝いているさまを見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)やまたちばな【山橘】名詞:やぶこうじ(=木の名)の別名。冬、赤い実をつける。[季語] 冬。(学研)
題詞は、「雪日作歌一首」<雪の日に作る歌一首>である。
左注は、「右一首十二月大伴宿祢家持作之」<右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る>である。
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1017)」で紹介している。
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■愛知県春日井市東野町 万葉の小道万葉歌碑<巻七 一三三〇>■
●歌をみていこう。
◆南淵之 細川山 立檀 弓束纒及 人二不所知
(作者未詳 巻七 一三三〇)
≪書き下し≫南淵(みなぶち)の細川山(ほそかはやま)に立つ檀(まゆみ)弓束(ゆづか)巻くまで人に知らえじ
(訳)南淵の細川山に立っている檀(まゆみ)の木よ、お前を弓に仕上げて弓束を巻くまで、人に知られたくないものだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)細川山:奈良県明日香村稲渕の細川に臨む山。(伊藤脚注)
(注)ゆつか【弓柄・弓束】名詞:矢を射るとき、左手で握る弓の中ほどより少し下の部分。また、そこに巻く皮や布など。「ゆづか」とも。(学研)
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1018)」で紹介している。
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「ふれあい緑道」「万葉の小道」については、春日井市HPの「ふれあい緑道(第1回都市景観賞)」の項に次のように書かれている。
「延長/8.4キロメートル(整備済)、9.2キロメートル(計画)
この緑道は昭和36年『グリーンベルト構想』として計画され、着々と整備されてきた。今回は生地川と八田川の流れに沿った部分が注目された。当初植えられた樹木が今では見事に枝を茂らせている。春の桜並木や冬の雪景色、あるいは緑道へ通じる橋など、緑道にかかわる幾つかの風景がかすがい百景にも選ばれており、緑道に対する人々の愛着の深さをうかがい知ることができる。このことが今回の都市景観賞受賞にも大きく影響したと思われる。
緑道は離れて眺めるよりも、散策やサイクリングを楽しみながらその風景の中に埋没するのがよい。木立の中を続く舗装は、大きな通りに行き当たっても地下道を抜け途切れることがないので快適であり、全線にわたって控えめに立っている背の低い照明灯は、夜の散歩に風情を添えてくれよう。石塚橋(東野町)付近は『万葉の小道』と名付けられ、ここには大伴家持ら万葉歌人の歌に見られる梅、橘などの木々が配置され、その木の名を詠み込んだ歌が一首ずつ添えられている。その少し下流側には、市民の傑作であるハニワまつりで焼かれた小さなハニワが点在し、これらが道行く人にほほえみかける。このような仕掛けが散策やサイクリングを楽しませてくれるのである。
ちなみに、朝宮公園からは尾張広域緑道が小牧市境まで延びているので、これを合わせると一本の緑道として実に総延長約15kmに達する。」
三ツ又ふれあい公園(愛知県春日井市東野町西)の駐車場の車を留める。略地図を見ながら「万葉の小道」を目指す。川と縁道のグリーンベルトに様々な表情をした人や動物の埴輪がやさしく出迎えてくれる。感覚としてはすぐ近くと思っていたが結構歩いたのである。ようやく左手に「万葉の小道歌碑案内図」が見え、その先に歌碑らしいものが手を振ってくれていたのである。今まであちこち巡って来たが、これほどまで手入れの行き届いた自然と調和した散策道は初めてといっていいだろう。
歌碑と共に緑道を堪能したのであった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「春日井市HP」