万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1733~1735)―坂出市沙弥島 万葉樹木園(7)~(9)―万葉集 巻三 二七七、巻三 三七九、巻五 八一〇の書簡

―その1733―

●歌は、「早来ても見てましものを山背の多賀の槻群散りにけるかも」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(7)万葉歌碑(高市黒人

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(7)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「高市連黒人覊旅歌八首」<高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が覊旅(きりょ)の歌八首>である。

 

◆速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去毛奚留鴨

        (高市黒人 巻三 二七七)

 

≪書き下し≫早(はや)来ても見てましものを山背(やましろ)の多賀の槻群(たかのつきむら)散にけるかも

 

(訳)もっと早くやって来て見たらよかったのに。山背の多賀のもみじした欅(けやき)、この欅林(けやきばやし)は、もうすっかり散ってしまっている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)早来ても:旅から早く帰って来ての意。(伊藤脚注)

(注):山背の多賀:京都府綴喜郡井手町多賀。(伊藤脚注) 

 

 この羇旅の歌八首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その250)」で紹介している。

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 羇旅の歌八首の書き下しを並べて見る。

◆(二七〇歌)旅にしてもの恋(こひ)しきに山下(やました)し赤(あけ)のそほ船(ふね)沖に漕(こ)ぐ見ゆ

 

◆(二七一歌)桜田 (さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干(しほひ)にけらし鶴鳴き渡る

 

◆(二七二歌)四極山(しはつやま)うち越(こ)え見れば笠縫(かさぬひ)の島漕(こ)ぎ隠(かく)る棚(たな)なし小舟(をぶね)

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1459)」で紹介している。

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◆(二七三歌)磯(いそ)の崎(さき)漕(こ)ぎ廻(た)み行けば近江(あふみ)海(うみ)八十(やそ)の港(みなと)に鶴(たづ)さはに鳴く 

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その410)」で紹介している。

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◆(二七四歌)我(わ)が舟は比良(ひら)の港に漕(こ)ぎ泊(は)てむ沖へな離(さか)りさ夜(よ)更(ふ)けにけり

 

◆(二七五歌)いづくにか我(わ)が宿りせむ高島(たかしま)の勝野(かつの)の原にこの日暮れなば

 

◆(二七六歌)妹も我(あ)れも一つなれかも三河(みかは)なる二見(ふたみ)の道ゆ別れかねつる

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1460)」で紹介している。

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◆(二七七歌)早(はや)来ても見てましものを山背の多賀(たが)の槻群(つきむら)散りにけるかも

 

 旅路で目にしたものが姿を消して行くとか人の別れといった時間軸での移動の対極にある「自己は、孤独に残された姿」(中西進著「古代史で楽しむ万葉集<角川文庫>)であり、「『何処(いづく)にか』―『どこ』というのも彼の口ぐせである。・・・どことも何とも定まらない不安定さが、黒人の心の色彩を決定する。・・・動きやまないもので、それらに心を捉えられること自体が、すでに黒人の身についた情緒であって、物すべてが揺れやまぬ不定の世界に存在する。行幸に供奉(ぐぶ)しながら、そうした風景が黒人の棲んだ世界であった。」(前著)

 

 

 

―その1734―

●歌は、「ひさかたの・・・奥山の賢木の枝に白香付け木綿取り付けて・・・」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(8)万葉歌碑(大伴坂上郎女

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(8)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大伴坂上郎女祭神歌一首并短歌」<大伴坂上郎女、神を祭る歌一首并せて短歌>である。

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞

       (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(膝)折り伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸(か)け かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒(お)にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(学研)

(注)だにも 分類連語:①…だけでも。②…さえも。 ※なりたち副助詞「だに」+係助詞「も」

(注)君に逢はじかも:祖神の中に、亡夫宿奈麻呂を封じ込めた表現

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1079)」で紹介している。

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 樋口清之氏は、その著「万葉の女人たち」(講談社学術文庫)のなかで、「(大伴坂上郎女が)大伴氏の祭神すなわち祖神を祭ったということは、なお寧楽時代にあっても、皇室の斎宮を始めとし、各氏々の主要な女性が神に奉仕する職掌を有するものであったことを示すものといえましょう。かかる点より見れば万葉女人が神に通ずる強いそして純粋な感情を所有していたということも単なる抽象的考察ではなくして、女性の生活に裏付けられた必然性であるということができます。(後略)」と書かれている。

 当時の祭神を祀る儀式の詳細がうかがえる歌である。と同時に「かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも」と、本音を詠っている。

 一族の代表として神を祀るという任務を果たしながら、「神」とはと考える郎女ならではの鋭い歌でもある。

 

 

 

―その1735―

大伴旅人藤原房前に送った書状の書き出しは、「大伴旅人謹状 梧桐の日本琴一面 対馬の結石の山の孫枝なり・・・」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(9)万葉歌碑(大伴旅人

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(9)にある。

 

●書状ならびに歌(八一〇歌)をみていこう。

 

 書状の書き出しは、「大伴淡等謹状 梧桐日本琴一面 對馬結石山孫枝」<大伴淡等(おほとものたびと)謹状(きんじょう) 梧桐(ごとう)の日本(やまと)琴(こと)一面 対馬の結石(ゆひし)の山の孫枝(ひこえ)なり>である。

(注)ごとう【梧 桐】: アオギリの異名。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)「淡等」:旅人を漢字音で書いたもの

(注)結石(ゆひし)の山:対馬北端の山

(注)孫枝(読み)ヒコエ:枝からさらに分かれ出た小枝。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 前文は、「此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇巒 晞▼九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴 不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰」<この琴、夢(いめ)に娘子(をとめ)に化(な)りて日(い)はく、『余(われ)、根(ね)を遥島(えうたう)の崇巒(すうらん)に託(よ)せ、幹(から)を九陽(きうやう)の休光(きうくわう)に晒(さら)す。長く煙霞(えんか)を帯びて、山川(さんせん)の阿(くま)に逍遥(せうえう)す。遠く風波(ふうは)を望みて、雁木(がんぼく)の間(あひだ)に出入す。ただに恐る、百年の後(のち)に、空(むな)しく溝壑(こうかく)に朽(く)ちなむことのみを。たまさかに良匠に遭(あ)ひ、斮(き)られて小琴(せうきん)と為(な)る。質麁(あら)く音少なきことを顧(かへり)みず、つねに君子の左琴(さきん)を希(ねが)ふ』といっふ。すなはち歌ひて曰はく>である。

 

(訳)この琴が、夢に娘子(おとめ)になって現れて言いました。「私は、遠い対馬(つしま)の高山に根をおろし、果てもない大空の光に幹をさらしていました。長らく雲や霞(かすみ)に包まれ、山や川の蔭(かげ)に遊び暮らし、遥かに風や波を眺めて、物の役に立てるかどうかの状態でいました。たった一つの心配は、寿命を終えて空しく谷底深く朽ち果てることでありました。ところが、偶然にも立派な工匠(たくみ)に出逢い、伐(き)られて小さな琴になりました。音質は荒く音量も乏しいことを顧(かえり)みず、徳の高いお方の膝の上に置かれることをずっと願うております。」と。次のように歌いました。

(注)遥島:はるか遠い島。ここでは対馬のことをいう。

(注)崇巒:高い嶺。

(注)九陽(読み)きゅうよう〘名〙:太陽。日。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)(注)休光:うるわしい光

(注)逍遥(読み)ショウヨウ [名]:気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)雁木の間:古代中国の思想家、荘子が旅の途中、木こりが木を切り倒していた。「立派な木だから、いい材料になる」。しばらく行くと、親切な村人がごちそうしてくれた。「この雁はよく鳴かないので殺しました」。役に立つから切られるものと、役に立たないから殺されるもの。荘子いわく、「役に立つとか立たないとか考えず生きるのが一番いい」(佐賀新聞LIVE)

(注)百年:人間の寿命➡百年の後>寿命を終えて

(注)溝壑(読み)こうがく:みぞ。どぶ。谷間。(コトバンク 大辞林 第三版)

(注)君子の左琴:『白虎通』に「琴、禁也、以禦二止淫邪_、正二人心,.一也。」、つまり琴が君子の身を修め心を正しくする器であるといい、そのゆえに『風俗通義』に「君子の常に御する所のもの、琴、最も親密なり、身より離さず」という、「君子左琴」「右書左琴」などの、“君子の楽器としての琴”という通念が生まれて来た。(明治大学大学院紀要 第28集1991.2)

 

 

◆伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武

        (大伴旅人 巻五 八一〇)

 

≪書き下し≫いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上(へ)我(わ)が枕(まくら)かむ

 

(訳)どういう日のどんな時になったら、この声を聞きわけて下さる立派なお方の膝の上を、私は枕にすることができるのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 前文ならびに後文・八一一歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その番外200513⁻2)」で紹介している。

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 この大伴旅人の書簡と歌に対して藤原房前が返書と歌を贈っている。これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1472)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川文庫)

★「万葉の女人たち」 樋口清之 著 (講談社学術文庫

★「明治大学大学院紀要 第28集1991.2」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「佐賀新聞LIVE」