万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1472,1473,1474)―静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P10、P11、P12)―万葉集 巻五 八一一、巻五 八三七、巻六 九二五

―その1472―

●歌は、「言とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P10)万葉歌碑<プレート>(大伴旅人

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P10)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆許等ゝ波奴 樹尓波安里等母 宇流波之吉 伎美我手奈礼能 許等尓之安流倍志 

      (大伴旅人 巻五 八一一)

 

≪書き下し≫言(こと)とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴(たな)れの琴にしあるべし

 

(訳)うつつには物を言わぬ木ではあっても、あなたのようなお方なら、立派なお方がいつも膝に置く琴に、きっとなることができましょう。(同上)

(注)こととふ【言問ふ】自動詞:①ものを言う。言葉を交わす。②尋ねる。質問する。③訪れる。訪問する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌は、旅人が都の藤原房前に「梧桐」でできた琴を贈った時に添えた詩文の中の二首のうちの一首である。

(注)ごとう【梧桐】《「ごどう」とも》アオギリの別名。(weblio辞書 デジタル大辞泉

アオギリ あきた森づくり活動サポートセンターHPより引用させていただきました。

 詩文ならびに二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その番外 200513-2)」で紹介している。

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 旅人は、旧氏族の大伴氏の長である。大宰帥に任ぜられたのは、律令貴族の藤原氏の策略と言われている。保身もあろう、後々の事を考えのことてあったかもしれない。時の藤原氏の中でも中核的な房前に琴を贈っているのである。

 

藤原房前(ふじわらのふささき<681―737>)については、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」に、「奈良時代の政治家。不比等(ふひと)の二男で北家(ほっけ)の祖。705年(慶雲2)に従(じゅ)五位下に叙せられてから昇進を重ね、717年(養老1)に参議となり、兄武智麻呂(むちまろ)、弟宇合(うまかい)、麻呂らとともに政界に重きをなした。721年には元明(げんめい)太上天皇はとくに右大臣長屋王と房前に遺言し、元明なきあとの不測の事態に備え、さらに房前を内臣(ないしん)に任じて元正(げんしょう)天皇を補佐させた。また728年(神亀5)設置の中衛府(ちゅうえふ)は藤原氏との関係が強く長屋王の変でも活躍するが、その最初の中衛大将は房前であったらしく、そのころきわめて重要な官人であった。天平(てんぴょう)9年4月17日、天然痘によって死去。3人の兄弟も同病で7、8月に死去した。」と書かれている。

 

 房前は、この旅人の詩文に書簡と歌を返しているのである。

 こちらもみてみよう。

 

 書簡は、「跪承芳音 嘉懽交深 乃知 龍門之恩復厚蓬身之上 戀望殊念常心百倍 謹和白雲之什以奏野鄙之歌 房前謹状」<跪(ひざまづ)きて芳音(はういん)を承(うけたま)はり、嘉懽(かくわん)こもこも深し。すなはち知る、 竜門(りようもん)の恩、また蓬身(ほうしん)の上に厚しよいふことを。恋望(れんぼう)の殊念(しゆねん)は、常の心に百倍す。謹みて和白雲の什(じふ)に和(こた)へ、もちて野鄙(やひ)の歌を奏(まを)す。 房前(ふささき)謹状>である。

 

(訳)謹んで御芳書を拝受し、御詞藻と御情宜(ごじょうぎ)と、ただただ嬉しく存じます。つけても御琴をお贈り下さった高く遥かな御志の、卑しいこの身にいかに厚いかをしみじみ知りました。ひとえに貴下をお慕いする心は、平生に百倍。謹んで遠来の御尊詠に和して、拙い歌を献上致します。(同上)

(注)【芳音】ほうおん:御作。(コトバンク 平凡社「普及版 字通」)

(注)嘉懽:詞藻を嘉し、情誼を懽ぶ情。(伊藤脚注)

(注)こもごも【交/交々/相/更】[副]《古くは「こもこも」》:① 多くのものが入り混じっているさま。また、次々に現れてくるさま。「悲喜―至る」② 互いに入れ替わるさま。かわるがわる。互いに。(goo辞書)

(注)竜門の恩:立派な琴を下さった恩。「竜門」は黄河上流の、桐の名産地。(伊藤脚注)

(注)ほうしん【蓬身】〘名〙: 蓬(よもぎ)のような卑しい身。自分のことをへりくだっていう語。蓬体。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)殊念:とりわけ甚だしい思い。(伊藤脚注)

(注)じゅう ジフ【什】〘名〙: 詩経で、雅、頌の各一〇篇のこと。転じて、詩歌、または、詩篇。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)白雲の什:白雲重なり隔つ筑紫からの歌。(伊藤脚注)

(注)やひ【野卑・野鄙】〘名〙:身分・地位の低いこと。また、その人。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

◆許等騰波奴 紀尓茂安理等毛 和何世古我 多那礼之美巨騰 都地尓意加米移母

       (藤原房前 巻五 八一二)

 

≪書き下し≫言(こと)とはぬ木にもありとも我(わ)が背子(せこ)が手馴(たな)れの御琴(みこと)地(つち)に置かめやも

 

(訳)物言わぬ木ではあっても、あなたのお気に入りのお琴、この琴をわが膝から離すようなことは致しません。(同上)

 

 

 「 十一月八日附還使大監 謹通 尊門 記室」<十一月八日 還使(くわんし)の大監(だいげん)に附く 謹通(きんつう) 尊門(そんもん) 記室>

(注)還使:大宰府に還る使い。(伊藤脚注)

(注)大監:大宰府の訴訟を掌る官。大伴宿禰百代らしい。(伊藤脚注)

(注)尊門:他人への尊称。(伊藤脚注)

(注)記室:書記に宛てた形で相手を敬ったもの。(伊藤脚注)

 

 旅人の書簡が天平元年(729年)十月7日で、房前の返書が十一月八日である。琴に託した旅人の気持ち、藤原一族に対して対抗の意はないことを「つねに君子の左琴を希(ねが)ふ」と記したことに対し、「御琴地に置かめやも」と房前は、和(こた)えている。

 このやり取りがあって、翌年(730年)十一月、旅人は大納言に任ぜられ、十二月に上京するのである。

 ドラマチックな歌のやり取りである。

 

 

 

―その1473―

●歌は、「春の野に鳴くやうぐひすなつけむと我が家の園に梅が花咲く」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P11)万葉歌碑<プレート>(志氏大道)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆波流能努尓 奈久夜汙隅比須 奈都氣牟得 和何弊能曽能尓 汙米何波奈佐久  [笇師志氏大道]

      (志氏大道 巻五 八三七)

 

≪書き下し≫春の野に鳴くやうぐいすなつけむと我が家(へ)の園に梅が花咲く  [算師(さんし)志氏大道(しじのおほみち)]

 

(訳)春の野で鳴く鴬、その鴬を手なずけようとして、この我らの園に梅の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)算師:物数計算官。笇(さん)=算:数を数える。

 

 「梅花の歌三十二首」の一首である。この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(太宰府番外編その4)」で紹介している。

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―その1474―

●歌は、「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P12)万葉歌碑<プレート>(山部赤人

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P12)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴

       (山部赤人 巻六 九二五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く

 

(訳)ぬばたまの夜が更けていくにつれて、久木の生い茂る清らかなこの川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ひさぎ:植物の名。キササゲ、またはアカメガシワというが未詳。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 この歌は、題詞「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」のなかの九二三から九二五歌の反歌二首のうちの一首である。この歌群は吉野の宮を讃える長歌反歌二首であり、九二六・九二七歌は、天皇を讃える長歌反歌一首という構成をなしている。

             

 九二三から九二七歌すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その125改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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(注)ひさぎ【楸・久木】名詞:木の名。あかめがしわ。一説に、きささげ。(学研)

(注の注)あかめがしわ:わが国の本州から四国・九州、それに朝鮮半島や台湾、中国南部に分布しています。丘陵地に生え、高さは15メートルになります。葉は卵形または広卵形で互生します。雌雄異株で、6月から7月ごろ、枝先に円錐花序をだし花弁のない花を咲かせます。名前は、新芽や新しい葉が赤いことから。昔は「かしわ」の葉と同じように、食べ物を盛るのに使ったことから「めしもりな(飯盛菜)」という別名もあります。(weblio辞書 植物図鑑)

ひさぎ(アカメガシワ) 「weblio辞書 植物図鑑」より引用させていただきました。

キササゲ 「熊本大学薬学部 薬草園 植物データベース」より引用させていただきました。

 キササゲは、中国原産で輸入され各地で栽培され川岸などで自生するようになったという。吉野という地名やかしわと名付けられている点を考えるとアカメガシワがふさわしいように思える。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 平凡社 普及版 字通」

★「熊本大学薬学部 薬草園 植物データベース」

★「weblio辞書 植物図鑑」

★「あきた森づくり活動サポートセンターHP」

 

※20230629静岡県浜松市に訂正