万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2381)―

■あおぎり■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「梧桐の日本琴一面・・・この琴夢に娘子の化りて日はく・・・いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

 書状に短歌二首(八一〇、八一一)の構成になっている。

 書状からみてみよう。

 

 書状の書き出しは、「大伴淡等謹状 梧桐日本琴一面 對馬結石山孫枝」<大伴淡等(おほとものたびと)謹状(きんじょう) 梧桐(ごとう)の日本(やまと)琴(こと)一面 対馬の結石(ゆひし)の山の孫枝(ひこえ)なり>である。

(注)大伴淡等謹状:都の藤原房前への書状。「淡等」:旅人を漢字音で書いたもの(伊藤脚注)

(注)ごとう【梧 桐】: アオギリの異名。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)結石(ゆひし)の山:対馬北端の山(伊藤脚注)

(注)孫枝(読み)ヒコエ:枝からさらに分かれ出た小枝。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 書簡は、「此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇巒 晞▼九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴 不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰」<この琴、夢(いめ)に娘子(をとめ)に化(な)りて日(い)はく、『余(われ)、根(ね)を遥島(えうたう)の崇巒(すうらん)に託(よ)せ、幹(から)を九陽(きうやう)の休光(きうくわう)に晒(さら)す。長く煙霞(えんか)を帯びて、山川(さんせん)の阿(くま)に逍遥(せうえう)す。遠く風波(ふうは)を望みて、雁木(がんぼく)の間(あひだ)に出入す。ただに恐る、百年の後(のち)に、空(むな)しく溝壑(こうかく)に朽(く)ちなむことのみを。たまさかに良匠に遭(あ)ひ、斮(き)られて小琴(せうきん)と為(な)る。質麁(あら)く音少なきことを顧(かへり)みず、つねに君子の左琴(さきん)を希(ねが)ふ』といっふ。すなはち歌ひて曰はく>である。

 ▼=幹?

 

(訳)この琴が、夢に娘子(おとめ)になって現れて言いました。「私は、遠い対馬(つしま)の高山に根をおろし、果てもない大空の光に幹をさらしていました。長らく雲や霞(かすみ)に包まれ、山や川の蔭(かげ)に遊び暮らし、遥かに風や波を眺めて、物の役に立てるかどうかの状態でいました。たった一つの心配は、寿命を終えて空しく谷底深く朽ち果てることでありました。ところが、偶然にも立派な工匠(たくみ)に出逢い、伐(き)られて小さな琴になりました。音質は荒く音量も乏しいことを顧(かえり)みず、徳の高いお方の膝の上に置かれることをずっと願うております。」と。次のように歌いました。

 

(注)遥島:はるか遠い島。ここでは対馬のことをいう。(伊藤脚注)

(注)崇巒:高い嶺。結石山をいう。(伊藤脚注)

(注)九陽(読み)きゅうよう〘名〙:太陽。日。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)(注)休光:うるわしい光。(伊藤脚注)

(注)逍遥(読み)ショウヨウ [名]:気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)雁木の間:古代中国の思想家、荘子が旅の途中、木こりが木を切り倒していた。「立派な木だから、いい材料になる」。しばらく行くと、親切な村人がごちそうしてくれた。「この雁はよく鳴かないので殺しました」。役に立つから切られるものと、役に立たないから殺されるもの。荘子いわく、「役に立つとか立たないとか考えず生きるのが一番いい」(佐賀新聞LIVE)

(注)百年:人間の寿命➡百年の後>寿命を終えて(伊藤脚注)

(注)溝壑(読み)こうがく:みぞ。どぶ。谷間。(コトバンク 大辞林 第三版)

(注)君子の左琴:『白虎通』に「琴、禁也、以禦二止淫邪_、正二人心,.一也。」、つまり琴が君子の身を修め心を正しくする器であるといい、そのゆえに『風俗通義』に「君子の常に御する所のもの、琴、最も親密なり、身より離さず」という、「君子左琴」「右書左琴」などの、“君子の楽器としての琴”という通念が生まれて来た。(明治大学大学院紀要 第28集1991.2)

 

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感想(1件)

◆伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武

         (大伴旅人 巻五 八一〇)

 

≪書き下し≫いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上(へ)我(わ)が枕(まくら)かむ

 

(訳)どういう日のどんな時になったら、この声を聞きわけて下さる立派なお方の膝の上を、私は枕にすることができるのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 この書状および短歌二首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(番外 200513-2)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 藤原房前にあてた書状および歌に関して、奈良県HP「はじめての万葉集 vol.88」

に、「十月七日、大宰府の長官であった大伴旅人(おおとものたびと)から平城京の房前のもとへ、立派な倭琴(やまとごと)が贈られました。そこには手紙が添えられており、この琴は対馬の結石山(ゆうしやま)に生えていたアオギリ製で、美しい少女の姿になって私の夢に登場し、立派な方の愛用の琴になりたいと懇願されました、それに感動してこの手紙をしたため、琴とともに献上します、とありました。

 夢の中での少女とのやり取りを記した旅人の手紙は『文選(もんぜん)』や『遊仙窟(ゆうせんくつ)』の影響を受けた内容であり、漢文体による物語部分と一字一音表記による和歌(八一〇、八一一番歌)とが混ざり合った形式は、『伊勢物語』など後世の歌物語をもほうふつさせます。・・・『万葉集』には、二人の風雅なやり取りの全文が掲載されています。」

と書かれている。

 

 この房前の書状および歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1472)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 大辞林 第三版」

★「明治大学大学院紀要 第28集1991.2」

★「はじめての万葉集 vol.88」 (奈良県HP)