■あかがし■
●歌は、「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣我(わ)が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと)」である。
●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
◆莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
(額田王 巻一 九)
≪書き下し≫莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣我(わ)が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと)
(訳)静まり返った浦波をはるかに見放(みさ)けながら、我が背子(せこ)有間皇子(ありまのみこ)がお立ちになったであろう、この聖なる橿の木の根本よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句定訓がない。澤瀉久孝一試訓「シズマリシウラナミミサケ」。(伊藤脚注)
(注)我が背子:女性から親しい男性を呼ぶ称。ここは斉明天皇の甥の亡き有間皇子で、歌は斉明天皇の立場での詠か。(伊藤脚注)
(注)いつかし【厳橿】:〘名〙 けがれを避け、清められた神聖な樫(かし)の木。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その492)」で紹介している。 ➡
上二句は定訓がないが、プレートには、「静まりし浦波さわく」となっている。これは、「萬葉集註釋」(澤瀉久孝)に拠っている。
額田王は、万葉第1期にあって燦然と光輝く歌人であり万葉集には、長歌3首、短歌10首が収録されているだけであるが、これだけでも人物像を浮かび上がらせるには充分である。書き下しのみであるがおってみよう。(詳細は、➡を参照してください。)
◆(巻一 七)秋の野のみ草刈り葺(ふ)き宿れりし宇治(うぢ)の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思ほゆ
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◆(巻一 八)熟田津(にきたつ)に船乗(ふなの)りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな
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◆(巻一 九)莫囂円隣之大相七兄爪謁気我が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本(もと)
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◆(巻一 一六)冬こもり 春さり来(く)れば 鳴かずありし 鳥も来(き)鳴きぬ咲かずありし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りても取らす 草(くさ)深(ふか)み 取りても見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲(しの)ぶ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山我(わ)れは
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◆(巻一 一七)味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠るまで 道の隈(くま) い積(つ)もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を 心なく 雲の隠(かく)さふべしや
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◆(巻一 一八)三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや
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◆(巻一 二〇)あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る
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◆(巻一 一一二)いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我が思へるごと
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◆(巻一 一一三)み吉野の玉松が枝(え)ははしきかも君が御言(みこと)を持ちて通(かよ)はく
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◆(巻二 一五一)かからむとかねて知りせば大御船(おほみふね)泊(は)てし泊(とま)りに標結(しめゆ)はらましを
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◆(巻二 一五五)やすみしし 我(わ)ご大君(おほきみ)の 畏(かしこ)きや 御陵仕ふる 山科の 鏡(かがみ)の山に 夜はも 夜(よ)のことごとに 昼はも 日のことごとに 哭(ね)のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 行き別れなむ
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◆君待つと我(あ)が恋ひ居(を)れば我(わ)がやどの簾(すだれ)動かし秋の風吹く (巻四 四八八)
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◆君待つと我(あ)が恋ひ居(を)れば我(わ)がやどの簾(すだれ)動かし秋の風吹く (巻八 一六〇六)
(注)四八八歌と一六〇六歌は同じ。編者の考えによって重複使用されたのであろう。続く四八九歌と一六〇七歌(鏡王女)も同じ扱いになっている。
額田王の歌は以上みてきたとおりであるが、これらについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1139)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 精選版国語大辞典」