万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その418)―東近江市八日市清水町 薬師寺―万葉集 巻一 十六 

●歌は、「冬こもり春去り来れば鳴かずありし鳥も来鳴きぬ咲かずありし花も咲けれど山を茂み入りても取らず草深み取りても見ず秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りて偲ふ青きをば置きてぞ嘆くそこし恨めし秋山我れは」である。

 

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東近江市八日市清水 薬師寺万葉歌碑(額田王

●歌碑は、東近江市八日市清水町 薬師寺住職邸庭にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者

               (額田王 巻一 十六)

 

≪書き下し≫冬こもり 春さり来(く)れば 鳴かずありし 鳥も来(き)鳴きぬ 咲かざずありし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りにも取らず 草深(くさふか)み 取りても見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りにそ偲(しの)ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨(うら)めし 秋山我(わ)れは

 

(訳)冬木も茂る春がやって来ると、それまでそんなに鳴かなかずにいた鳥も来て鳴く。

咲かずにいた花も咲く、だが、山が茂っているのでわけ入ってとることもできない。草が深いので折り取って見ることもできない。秋山の木の葉を見るについては、色づいた葉を手に折り取って賞美することができる。ただし、青い葉、それをそのままに捨て置いて嘆息する。その点が残念です。しかし、何といっても秋山です。私どもは。((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふゆごもり【冬籠り】名詞:寒い冬の間、動植物が活動をひかえること。また、人が家にこもってしまうこと。[季語] 冬。 ※古くは「ふゆこもり」。

ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 標題は、「近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇謚曰天智天皇」<近江(おふみ)の大津 (おほつ)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇(すめらみこと)の代 天命(あめのみこと)開別(ひらかすわけの)天皇(すめらみこと)、謚(おくりな)して天智天皇といふ>

 

 題詞は、「天皇内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時 額田王以歌判之歌」< 天皇内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)に詔(みことのり)して、春山の万花(ばんくわ)の艶(にほひ)と秋山の千葉の彩(いろ)とを競(きほ)ひ憐(あは)れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて判(ことわ)る歌>である。

 

 この件について、中西 進氏は「万葉の心」(毎日新聞社)の中で、「近江朝のある日、宮廷では春と秋の情趣の優劣が語られ、それにともなって中国の古典なども披露されたと思われる。本来これは中国で好まれた優劣論である。」とし、額田王が和歌で答えたのである。「すべてが黄葉しているからよいというのは平凡にすぎる。黄葉に青をまじえ、喜びと嘆きとの交錯することこそよいのだという(額田)王の非凡さを、この歌に隠すことはできない。」と書いておられる。

 

 

 薬師寺の駐車場に車を止め、山門から入り丹念に歌碑を探すも見つからない。お寺の外周も探したが結局見つからず。あきらめようとしたとき、ちょうど奥様と思しき人が帰ってこられたので、歌碑についてお尋ねした。

 ご親切にご自宅のお庭の中に案内していただく。歌碑と対面することができた。写真も撮らせていただく。有り難いことであった。

 

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薬師寺山門

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」